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第五夜 鼬(その一)

●第五夜 鼬 (その一)

 何をやってもダメな奴。それは人間だけではない、あやかしにも存在する。

 人間社会に溶け込もうするも失敗し、仕事にもあり付けず、借金だけが残る。

 それを返せるかもと言う僅かな望みのためにパチンコやパチスロと言ったギャンブルに手を出し、そして負け、再び金を借りるを繰り返す。

 いたちと言うあやかしが居た。人間に化けることを得意とする彼は、その負けループに陥った典型例であった。

 化けることしか出来ない彼は、その化ける能力を代償に少しずつ、あやかし専門の金融業者である『千紙屋』から金を借りていた。

 能力を代償にして得た筈の金はパチンコ、パチスロに溶け、そして残りの能力を切り売りし千紙屋から再び金を借りる生活を繰り返す。

 だが、能力は有限だ……その自転車操業の生活は、何時か破綻と言う名の終わりがくる。

 それが、彼にとっては今日と言う日であっただけ。


「鼬さん……申し訳ありません。あなたからお預かり出来る権能は、もう残ってはいないようです」

 東京、秋葉原。電気街の裏通りにある雑居ビルの五階。

 そこに『千紙屋』はあった。

 受付を務める男、新田 周平あらた・しゅうへい……事情があって入社した彼はあやかしではない、人間である……にそう言われた鼬は、何とか金を借りられないかと詰め寄る。

「そう言われましても、鼬さんがこれ以上能力を渡すと、人間への変化自体が出来なくなりますよ?」

 人間に化けられなくては、人間社会で生きていく意味がない……なのでこれ以上の融資は出来ない。

そう新田に告げられるのだが、金を借りれないと分かった鼬は冷静でいられない。

「人間如きが……!」

 腕を熊の腕に変化させ、鼬は新田を殴ろうとする。

 無理やりでも言うことを聞かせようと言うのだ。

 だが……。

「古籠火、少しだけ燃やせ」

 そうスマートフォンのストラップに告げた彼の言葉に、石灯籠のストラップは灯りの部分から炎を吐き出す。

 古籠火……石灯籠に宿り火を噴くあやかしであり、彼の式神である。

 新田周平、彼が千紙屋で働いている理由。働けている理由。それは彼が千紙屋に所属する陰陽師の見習いだからであった。

「鼬様、トラブルは困りますよ……今回のは見なかったことに致しますので、返済、頑張りましょう!」

 そう笑顔で告げる新田に、腕を焼かれて消火の為に床を転がっていた鼬は、しぶしぶ起き上がると無言で千紙屋を後にする。

「ありがとうございましたー。次の方どうぞー……ってユキさんじゃないですか!」

「お久しぶりです、新田さん。千紙屋さんで借金を一本化して頂いて、本当に助かりました。今月分の返済です」

「そうですか! 皆さんユキさんみたいだと手間がかからなくて助かるんですが……」

 背後から聞こえる新田の楽し気な声に鼬は苛立ちを感じつつ、この先どうしようかと考えながらエレベーターのボタンを押すのであった。


「ちくしょう! 人間風情め! この台壊れてるんじゃねぇか!?」

 千紙屋を出た鼬は、手近なパチンコ屋に入るとスロットコーナーへと向かう。

 そしてダラダラと千円、また千円と消費していき、気が付けばかなり遅い時間になっていた。

「ちくしょう、なんで勝てねぇんだよ……負け組なのはわかっているよ。だったらさ、せめてスロぐらい勝たせてくれてもいいだろ?」

 あやかしが人間世界で暮らすには、二つの方法がある。

 一つはあやかしとしての能力を活かし活動する。雪女の雪芽ユキ(ゆきめ・ゆき)などがそうだ。

 彼女は気象庁の職員として、天候を読み、時には操り、人間社会の役に立つことで生きている。

 もう一つは金だ。働く、ギャンブル、兎に角なんでも良い。金を手にすることで地位を手にし、人間社会で成り上がる。

 これは人間にも言えることだが、三途の川も金次第と言うだけあって現代社会では金を集めた者が強者であり、金が無いものは弱者。

 あやかしとしての能力が変化しかない鼬は、それを活かす術を知らず、結果的に後者の道を選ぶ。

 だが金の切れ目が縁の切れ目……彼の周りからは一人、また一人と離れていき、気が付けば一人になっていた。

 パチスロで残り少ない金を散財し、帰り道をとぼとぼと歩く鼬。

夜の街は一層冷たく、静けさが骨身にしみるようだった。路地にぽつんと灯る街灯は、薄ぼんやりとした光を落とすだけで、周囲に命の気配はなかった。

その静寂を裂くように、突然、背後から陰湿な笑い声が響いた。暗闇の中、まるで路地裏全体がその声に反応するかのように、影がゆらゆらと揺れ動いた。

「おい、また負けたんだって?」

声の主は、路地の一角から不意に姿を現し、黒々とした翼を大きく広げ、見下ろしていた。

「お前、カラス天狗か?」

鼬が目を見開いた先……カラス天狗はゆるりと翼を動かすたび、周囲の薄暗い光さえも吸い込まれていくかのようだった。

「金がないってことは、残り少ない力で楽しませてもらうしかねぇよな?」

鼬は踵を返し、焦って足を速めようとしたが、その瞬間、冷たくぬるりとした何かが背中に絡みついた。

振り返る間もなく、その冷たい感触が彼の全身に巻きつき、髪を蛇に変えた女……西洋のあやかし、メデューサが、湿った空気とともに姿を現した。

 石化の権能は危険だと言うことで『千紙屋』に奪われたが、頭の蛇は残っている。

 そして蛇たちはその身を伸ばし、鼬の身体に絡みつく。

「逃げるなんて、愚かねぇ……残りの力がどれほどなのか、全部見せてもらうわよ」

メデューサ……石蛇女の言葉が響くと、周囲の空気が一気に重くなり、息苦しさが増した。

鼬は巻きつかれ、蛇の冷たさは体内にまで染み込むように感じられた。

狭い路地は、圧倒的な閉塞感で彼の逃げ場を完全に奪っていた。

先には霧が薄く立ち込めていて、まるで全てが鼬の行く手を阻むかのようだった。

「おいおい、そんなに怯えんなよ。お前にチャンスをやろうって言うんだ……俺たちにお前の変化で楽しませてくれたなら、金をくれてやる」

カラス天狗はにやりと笑い、鼬の帽子を翼のひと振りで吹き飛ばした。彼が羽ばたくたび、冷たい風が鼬の顔を容赦なく叩きつける。風に巻き上げられた砂やゴミが彼の顔に当たり、目を開けることすら困難だった。

「わかった、わかったからその風を止めてくれ……」

 そう言って鼬は土下座をするように頼むと、笑い声と共にカラス天狗の起こす風と石蛇女の拘束が解ける。

「それじゃあ……ふん、ふん、ふん!」

 動物や物へと次々と変化する鼬。カラス天狗たちは、次はアレになれ、次はコレになれと指示を飛ばすと、言われたままに彼はそれに大人しく従う。

 だが、何度変化しても、あやかしの力……妖力の源である尻尾が殆どない鼬は変身を維持出来ず、直ぐに元の姿に戻ってしまう。

「あーあ、興醒めだぜ……変化もろくに出来ないとか、鼬やってる意味あるの?」

「そうねぇ……鼬鍋にして、食べてあげた方が役に立ちそうよね」

「頼む……もうやめてくれ……」

鼬は泣きそうな顔で懇願したが、石蛇女は冷たく微笑むだけだった。その冷笑は、氷のように冷えた声となって響いた。

「やめてほしい? じゃあ、今すぐその力を全部見せてみなさいよ。出せないなら、お前はもう終わりよ」

その言葉が突き刺さり、鼬の心は絶望の闇に覆われた。夜の静寂は苦しみを増幅させるかのように、周囲の闇が一層濃くなっていく。

「つまんねぇな、とりあえずボコるか」

「せ、せめて化けて見せた金を……」

「あんな中途半端な変化で見世物になったつもり? カラス天狗、やっちゃって」

カラス天狗と石蛇女の冷酷な嘲笑の中で、暴力と屈辱にさらされ、鼬はただ苦しみの中でもがくことしかできなかった。


路地裏の暗がりで、鼬は無気力に壁にもたれかかっていた。血と汗が混じり合い、彼の顔には深い疲労の影が浮かんでいた。

「ちくしょう、妖怪にも人間にも勝てねぇ……せめてもう一度やり直す力を……!」

 神に向かって愚痴を零す鼬……だがそんな彼に、話しかける女が居た。

「もしもーし、そこの負け組あやかし君。人生一発大逆転に興味はないかい?」

「だ、誰だ!?」

 権能は切り売りしたが、それでも人間への擬態は完璧なはずだ。

 同族であっても気付かれるはずがない……そう油断していた鼬は、あやかしであることを突かれ思わず飛び退いた。

 冷静に考えれば、その自信があるなら驚かない方が正解だっただろう。

 ただの喧嘩に負けた哀れな人間にしか見えないのだから。

 だが驚いてしまった、虚を突かれてしまった。……負け組であることを認めてしまった。

 狼狽する鼬に、女はにっこりと笑みを浮かべながら、九本の尻尾を見せる。

「お、お前……いや、あなた様は」

 スッと尻尾を引っ込めると、女は鼬に告げる。

「逆転の目はそこらに転がっている……拾うか拾わないかはあんた次第……一夜の勝ちを得るか、人生の勝ちを得るか……さて、君はどっちを選ぶ?」

 この人に着いて行けば……このどん底人生から逆転出来るかも知れない。

「あなた様に着いて行けば、逆転出来るんだよな?」

「おや、後がないと言うのに保証が欲しいのか……それとも背中を押して欲しいのか。甘ったれた奴だな」

 図星を突かれ、手を振り上げようとする鼬であったが……自制すると片膝を付く。

「あなた様に着いていきます。俺は鼬、よろしくお願い致します」

「それでいい、着いて来い」

 鼬にそう告げると、女はくるりと背中を向け歩きだす。

 慌てて追いかける鼬……こうして、彼は最後の道を踏み外した。

 自らの足で、自らの意思で。

 その一歩一歩が彼を運命の淵へと導くことを、この時の鼬はまだ知らなかった。


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