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第三夜 蛇女(その五)

●第三夜 蛇女 (その五)

 結局、夜まで経っても蛇迫白じゃさこ・しろの姿は見付からなかった。

 それはそうだろう。東京は広い街……本気で逃げたら見つからない。

 新田周平あらた・しゅうへいの部屋に戻った芦屋結衣あしや・ゆい猫野目そらねこのめ・そらは、改めて彼から事情を聞く。

「ふーん、白蛇朔夜しろへび・さくやが本物の白蛇の御使いで、蛇迫白さんと肉体を共有してる……ね」

「信じられないかも知れないが、本当なんだ」

 新田の説明に、結衣はふーんと返事をする。二重人格と言われても実際のその姿を見ていないのだ。なんとも言えないのが事実だろう。

「まあ確かに同類の匂いはしたにゃ、美味しそうだったにゃ!」

 猫の本能か、そらはひくひくと鼻を動かすような仕草をしながら答える。

「そらちゃんが言うなら本当かもね。それでどうするの? 霊力を分けるの?」

「それは……」

 新田が口を開きかけた時だ。リビングの隣にある新田の部屋から白蛇朔夜の声が響く。

『こんばんへび~、幸運の白蛇の御使い、白蛇朔夜だ巳~』

「あんた、こんな時にパソコン点けっぱなしだったの!?」

 いや、違う。きちんとシャットダウンしてあったと新田は言いながら自室へと入る。

 そこにはヴィチューバー白蛇朔夜の姿があり、チャット欄には勝手にパソコンが起動したと言うコメントも書き込まれていた。

『今日は、御社復興の為にリスナーのみんなに協力して欲しいんだ巳~……魂を分けて頂戴』

 白蛇朔夜はそう告げると瞳が赤く染まる。その瞳を覗きこんだ新田は……そして全国のパソコンの前に居たリスナーたちは、一斉に生命力を奪われガタっと床に崩れ落ちる。

「新田!?」

「ご主人様!?」

 慌てて新田を二人がかりで部屋から運び出している間に、笑い声を残して配信は終了する。

 反射的に結界を張った新田は、一般人である他のリスナーほど力を吸われずに済んだ。

 だが、魂を……霊力を奪われたリスナーたちは、皆パソコンやスマートフォンの前で意識不明の状態に陥っていた。

「さ、朔夜様が配信をしてると言うことは……白さんは部屋にいる筈だ」

「なら乗り込みましょう! これは流石に見過ごせないわ!!」

 そらと結衣はふらりと立ち上がった新田を支えながら、白の部屋へと向かう。

「……いくぞ」

 夜のアパート。蛇迫白の部屋の前に辿り着くと、流石に緊張の面持ちをする三人。

 新田が代表し、インターフォンのチャイムを押す。

 するとスピーカーから、『待ってたえ、入るとええ』と女性の声が響いた。

「お邪魔します。……そのお姿、朔夜様ですね」

「せや、わらわじゃ」

 パソコンの前に置かれたゲーミングチェア。そこに座していたのは白ではない。

 足が白蛇の尾に変わっており、蛇の長く細い舌がチロチロと覗く……白蛇朔夜だ。

 いや、朔夜の力が強まっているのか、細い腕や上着から覗く首元が鱗に覆われていた

「新田、あんたの言ってた通り、本当に姿が変わっているのね……」

「蛇だにゃ……!」

 彼女の人間から離れたその姿に、結衣とそらは驚きの声を上げる。

 ……若干、そらの声が美味しそうな物を見付けたのと同じ感じがしたのは、きっと気のせいだろう。

「朔夜様……白さんは?」

「今はわらわの中で眠っておる……おかげで身体が自由に動かせる。それでシューヘーや、わらわに霊力を捧げる気になったかえ?」

 新田の問いかけに、胸元を抑える朔夜。そして反対の手で新田に向かって手を伸ばす。

 霊力を捧げよ、と。

「……今の朔夜様には渡す訳にはいかないな。悪いが祓わせて貰う」

 スマートフォンを……そのストラップを構える新田。石灯籠のストラップは彼の手の中で大きくなり、式神・古籠火としての姿を取り戻す。

「でも新田、そうすると白さんが!?」

「くっ……そうか」

 同じように折り畳み傘……式神である唐傘を構えた結衣であったが、身体を共有していると言うことは朔夜を倒すと白も倒してしまうことになる。

 どうする……考える新田は、あることを思いついた。

「結衣、朔夜様を抑えてくれるか? これを使え」

「呪符? あんたなんでこんなの持ってるのさ?」

 そう言って新田から渡された物……それは呪符であった。

「イイ男には秘密が付きもの、だろ?」

「あんたがイイ男かは疑問符だけど、これがあるならお安い御用! そらちゃん!」

 呪符を受け取った結衣はそらへと目配せをし、朔夜に向かい飛び掛かる。

「うぉぉぉっ!」

「にゃぁぁっ!!」

 雄叫びを上げつつ、唐傘を剣のように振りかざす結衣と、伸ばした爪を尖らせ斬りかかるそら。

 だが朔夜は鱗の腕で易々とその攻撃を受け止め払う。

「おぉ、怖い怖い」

「魂を吸い取るなんて、怖いのはそっちだぁ!」

 右から左からと唐傘を振るう結衣は、慕ってくれていたリスナーから魂を吸い取った朔夜のことが許せなかった。

「そうにゃ! ご主人様たち……リスナーさんたちは大事な人じゃなかったのかにゃ!?」

 猫耳メイドカフェ『フォークテイルキャット』のキャストであり、お客様を大事にしているそらも結衣に同意する……だが朔夜は、人とあやかしとは違うと告げる。

「大切じゃよ。大切な、大切な贄じゃ。人と言う者は所詮贄でしかすぎぬ……リスナーとは、わらわにスパチャと生命力と信奉を捧げてくれる存在。だからそれを奪ってなにが悪い!」

 そう告げた朔夜は彼女たちの攻撃を硬い鱗で攻撃を防ぐと、反撃だとばかりに太い尻尾で結衣とそらを薙ぎ払って来る。

「おっと!?」

「美味しそうな尻尾にゃ! 噛みついてやるにゃ!!」

 大縄跳びのように薙ぎ払われた尻尾を結衣とそらは飛んで交わす。

そしてそらが尻尾に噛みつこうとするも、堅い鱗がその牙を阻む……噛めないにゃーと涙声を上げる彼女に、結衣がヨシヨシと頭を撫でる。

「(戦いの前……小娘はシューヘーから呪符を貰っていたの。そうなると小娘は符術師か。ならば猫だけ気を付ければよいかの)」

 そんな二人の姿を、朔夜は余裕も余力もあり冷静に戦況を分析する。

 逆に結衣たちは数では勝っているとは言え、万が一朔夜を……白を殺してはいけないと、どうしても手加減をしてしまう。

 ただでさえ防御力が高いのに、その手加減で緩んだ攻撃はたっぷりと霊力を吸い、強化された朔夜には通らない。

「くーっ、堅い!」

「爪がボロボロだにゃ……」

 攻撃が通らずに焦った様子の結衣とそら。朔夜はそんな結衣たちを挑発する。

「どうした、人の子らよ……大口を叩いたわりには、わらわに傷一つ付けておらぬぞ?」

「くっ、人の足元を見て……そらちゃん、もっと行くよ!」

 はいにゃ! そう答えるそらと共に再び飛び掛かる結衣。

 ここまで数度の打ち合いで遠慮はいらないことが分かった。ならば、と結衣は全力で唐傘を振り回す。

「軽い、軽いぞ小娘! 猫もそんなぬるい爪でこの朔夜の鱗を剥がせると思っているのか!?」

「くっ、言いたい放題言ってくれちゃって……そらちゃん!」

 朔夜の言葉に、脳天に血が上った結衣は狭い部屋のなか、全力で唐傘を振り回す。

 そらも壁や天井を飛び跳ね、朔夜の死角から鋭い爪の一撃を繰り出した。

「ふむ。ここは化身とわらわの住まいじゃ。あまり、部屋を壊されるのはよろしくないのぉ……」

 だが、幾ら結衣たちが本気を出したと言っても、棚や壁に飾られていた小物などが散乱する姿を見て、それを嘆くぐらい受ける朔夜には余裕があった。

「まるで効いてない……なら、これでどぉだぁっ!」

 圧倒的な力量差を感じつつも、結衣は新田に頼まれ、お安い御用と承った手前、責任感もあり逆転の一手を探る。

 導き出したのは全力のフルスイング……ここは狭い部屋の中だから逃げられない筈。余波で少し部屋は荒れるかも知れないが仕方ないだろう。

「そらちゃん! 朔夜をこっちへ飛ばして!!」

「わ、分かったにゃ!」

 部屋の壁を蹴り、天井を蹴ったそらが朔夜の背後に立つと、ドンっとドロップキックを放つ。

 おっとっととたたらを踏み、押し飛ばされた朔夜に向けて、結衣は唐傘を振りかぶり全力のフルスイングで打ち返す……筈であった。

「お、重い……っ!」

「れでぃに重いとは失礼な! ……お主の筋力が足りぬだけよ」

 霊力をたっぷりと吸い、鱗を硬くした朔夜の身体は、まるでバットで水を吸った土嚢を殴ったかのような手応えを与えて来る。

 ズシっと重く、それでいて根が張った大樹の如く動かない……そんな朔夜の姿に、結衣は焦る。

「呪符師の割にはやりおるの……だが、ただの打撃では、わらわは倒せんぞ?」

 大きな胸を張り、足元の結衣を見下ろす朔夜の姿に、彼女はどうすれば良いか考える。

 閃いたのは斬るのがダメなら突き……それも一発ではダメ。

構えを変え、素早く三連突きを喉元から心臓、そしてみぞおちへと向けて結衣は放つ。

「お、お主、呪符師ではないのかっ!?」

 結衣の放った三連突き……その素早さと威力は流石に朔夜の予想を超えたようで、彼女はどかっと言う音と共に部屋の奥へと吹き飛ばされる。

 足元で転がる朔夜の姿を今度は逆に見下ろし、結衣は汗を拭う。

「はぁーっ、はぁーっ……誰が呪符師だ! 私を舐めるからそうなるのよ、そらちゃん!!」

「了解にゃ!!」

 荒い息を漏らした結衣は、そらに倒れた朔夜の両腕を抑えるように告げると二人で圧し掛かる。同時に新田から渡された呪符……金縛りの術が仕組まれた札を起動させた。

 朔夜は振り解こうとするが、呪符の効果もあり、二人にしっかりと脇を固められて彼女は身動きが取れない。

「わ、わらわの動きを止めて、どうするつもりじゃ?」

「こうするんですよ、朔夜様……失礼!」

 思いもよらぬ攻撃に焦る朔夜。それを待っていたのか、新田が彼女に近づく。

 次の瞬間、わーっと言う驚きと悲鳴……二者二様の声が見守る結衣とそらから上がるなか、新田は朔夜の唇を深々と奪う。

 舌を絡め、唇を吸うたびに鱗に覆われた範囲が狭まり、やがて白蛇の下半身も人間の足へと戻っていった。

「んんっ……んん!?」

「ふぅ……気付きましたか、白さん」

 差し込んだ舌を抜き、離れた唇同士の間に唾液の橋が架かるなか、新田は目覚めた白に微笑みかける。

「は、はい……新田さん、ありがとうございます」

 ぎゅ、っと彼のシャツを掴んだ白は、赤くなった頬を隠すかのように新田の胸の中に顔を埋めると意識を手放した。


「で、説明しなさいよ」

「……俺も最近知ったんだが、霊力や妖力は口移しで奪い取れるみたいでな。今回は白さん……いや、朔夜様の集めた妖力を吸い取って大人しくさせた、と言う訳だ」

 ベッドに寝かされた白の前で、結衣が新田に詰め寄る。

 そらも濃厚なキスシーンをドラマや漫画以外で初めて見たのか、思わず顔を手で隠し、指の隙間からこちらを窺っていた。

「そう言うことを! 聞いてるんじゃ! ないのっ!!」

 結衣のローキックが新田のふくらはぎに炸裂する。

 じゃあなんだよ! と新田は痛みに耐えながら告げるが、それくらい考えなさいと結衣は答えてくれない。

「乙女心は複雑にゃ~」

 そんな新田と結衣の掛け合いを見て、そらは微笑ましく笑みを浮かべると彼に問いかける。

「それでにゃ、こんなことになってどう収拾を付けるのにゃ?」

「それなんだけど……ここまで力が強くなったのなら、その力を封印する……しかないんじゃないかな」

 新田の言葉に、それでいいの? と結衣は尋ねる。

 封印する、という事は少なくても白蛇朔夜との別れを意味する。

 ヴィチューバー白蛇朔夜を応援していたんじゃないの? そう尋ねる結衣に、新田は複雑そうな表情を見せた。

「とりあえず、明日社長に相談してみないとだな」

「そう……なら起きたら白さんに説明すること。私たちは先に帰るから。そらちゃん、今日は一緒に寝よう」

 新田のその表情から寂しさを感じ取った結衣は、そう彼に告げるとそらの手を取る。

「にゃにゃにゃ? お大事ににゃー」

 結衣に引き摺られていくそらを見送りながら、新田はベッドで眠る白の姿を見る。

 スースーと寝息を立てる白の額に掛かっていた前髪を避けてやると、んんっと彼女が反応する。

「……新田、さん?」

「起こしてしまいましたか? おはようございます……まだ夜ですが」

 水を汲んで来ますね、と新田が席を立とうとすると、白は彼の服の裾を掴む。

「す、すいません……あの、朔夜がやった……んですよね」

 ベッドサイドに座り直し、何処まで覚えてますか? と新田が尋ねると、白は記憶を思い出すように告げる。

「秋葉原の街で……女性に会いました。その人が朔夜の力を強くして、私が出れなくなりました」

 それから? と彼が優しく聞くと、権能を強化され、配信に乗せられることが分かった朔夜がインターネットを通して生命力を奪ったこと。

 そして暴走した朔夜が新田たちに止めら、リスナーから奪った生命力を変換した妖力も、新田にキスで吸われたこと。

 最後は唇を抑えながら、言い難そうに告げる。いや恥ずかしいのか。

「今、朔夜様はどうなっていますか?」

「はい……今は妖力が殆どなくなり、私の中で眠っている状態です。ですが、目覚めた権能は残ったままです」

 権能を奪うか、封印するか……目覚めてしまえば、またインターネット配信を通し妖力を奪いかねない。

「……社長に相談しましょう。電脳神ですから、インターネットを通した事件にも通じてるかも知れません」

「わかりました……その、判断はお任せします」

 では、今夜はゆっくり休んで下さい。そう言って新田が改めて立ち上がろうとすると、おずおずと白が言う。

「あの……今夜は、一緒に居てくれませんか? そ、その、深い意味はないんです! そ、そうです、も、もし寝ている間に朔夜が出て来ても困りますので!! ……だ、ダメですか?」

 耳まで真っ赤に染めながら頼む白に、微笑んだ新田は彼女の頭を撫で、優しく頷くのであった。


「それで、私にどうして欲しいのかね? 蛇迫白君」

 翌日。新田と白、そして結衣は千紙屋を訪れる。

 待ち受けていた平将門たいらのまさかどは眼鏡のレンズ越しに、白の全身を赤い瞳でじっくりと見つめつつ彼女に尋ねる。

 まるでその視線は、白の中の朔夜を見つめているかのようであった。

「出来れば……朔夜の能力を、インターネットを通して生命力を奪う力を封印して頂けると助かります」

「それは……出来んな。その力は最早彼女そのもの。本質を担う部分。それを奪うことは、イコール白蛇朔夜そのものを奪うと言うこと」

 朔夜を封印し取り出し、白を普通の人間にするという事なら可能だと将門は告げる。

「取り出した朔夜さんの魂はどうなるんですか?」

 聞きにくいことを結衣が聞いてくれた。素直に助かると新田は思う。

 将門はそう言えば見せたことが無かったな、そう告げると千紙屋の奥へ新田たちを導く。

「ここが大金庫……預かっているあやかしの能力や権能を収めている場所だ」

 そう告げ、目の前の黒い大扉、その鍵に将門が妖力を通すとガチャリと何かが開く音が響く。

 そして重々しくノブを捻ると、分厚い重厚な扉がゆっくりと開いた。

「凄い、妖力の塊が沢山ある……!」

「これは猫の尻尾? あっ、そらちゃんの尻尾だ!」

 棚に並ぶ妖力の塊の数々。大切に並べられ、その数は何十では済まない。

 ここに並ぶ物はすべて千紙屋を頼ったあやかしたちが、その代償として預けた権能や存在、能力と言ったあやかしがあやかしたる物であった。

「この中に……朔夜の魂も並べるんですか?」

「君がそう望むなら」

 白の問いかけに、将門はそう答える。

 彼女は千紙屋の正式な客ではない。何かを担保にし、借金や保証を得る訳ではないのだ。

 だから朔夜の魂を代償に、白が望むことを叶えよう……そう将門は告げる。

「あの……ここに並べるのではなくて、祠とかに祀って頂くことは可能なんでしょうか?」

「それは可能だが……祀ると言うことは神になると言うこと。代償は大きい。そうだね……君の中の白蛇朔夜とそれに類する記憶を失うことになる。それでもいいかな?」

 白の中にある朔夜の記憶……それを失うと言うことは、すなわち新田との関係性も失うと言うこと。

 新田との関係を求めた白にとっては辛い選択肢の筈だ。

 だが、彼女は……蛇迫白は一度新田の方を向くと決断する。

「お願いします……朔夜を、白蛇朔夜を祀ってください」

 そう言うと手を胸の前で組み、将門の前で瞳を閉じる白。

 頷いた将門は彼女の胸の前へと手を翳す。

「んんっ……!」

 白の口から吐息が漏れる。そして新田たちが見ている前で、光の塊が彼女の体内から抜き出された。

 あれが白蛇朔夜の魂なのだろう。

 同時に白の身体がバタリと崩れ、慌てて新田が支えに入る。

「よかった……気を失っているだけのようです」

「そうだろうな……その子はソファーに寝かせておきなさい。その間に私はこの魂を祀って来よう」

 そう言うと将門は朔夜の魂を持ちながら念じると姿を消す。

 驚く新田と結衣であったが、神田・秋葉原を守護する氏神でもある平将門は、その力の及ぶ範囲内であればどこにでも行ける。

 恐らくその瞬間移動なのだと察すると、二人は視線を白へと戻す。

「……良かったの? 起きたら、あんたのことも何もかも覚えてないのよ」

「いいさ。縁があればまた出会えるだろう……それに、俺の傍には家族が居てくれるんだろ?」

 止めなくて本当に良かったのか、脇腹を小突きながら問いかける結衣に、新田はそう笑顔で返す。

 その笑顔に、結衣は「ズルい……」と呟きながら、彼に頭をもたれ掛かるのであった。


 蛇迫白は日常へと返っていった。

 目を覚ました時に知らない場所に居たのはかなり驚いていたが、熱射病か何かでビルの前で倒れていたとの説明を受け、素直に納得する。

 感謝の言葉を述べ……彼女は帰っていったのだ。

 あやかしも陰陽師も関係ない、ただの普通の人間として。

「その……ドンマイ!」

「ああ、分かっていたことだから」

 結衣の声に新田は少し寂しそうに答える。

 そして数日が経った。案の定、記憶を失ったことで、朝のゴミステーションに待っている白の姿はない。

 新田が自室のパソコンでインターネットをやることも無しにダラダラと眺めていると、突然ポーンと通知が届く。

 それはヴィチューバー白蛇朔夜の配信通知。

 慌てて配信サイトを開いてみると、そこには確かに白蛇朔夜のアバターが手を振っていた。

『こんばんへびー! 幸運の白蛇の御使い、白蛇朔夜だ巳―!』

「朔夜……様!?」

 新田はパソコンの前で驚きの声を上げる。その視線の先では、白蛇朔夜が普段通りにトークをしたり、ゲームをしたりと、何時も通りのヴィチューバー活動をしていたのだ。

『それじゃ、今晩も楽しかったへびよー! また来週会おうだ巳―!』

 配信が終わると新田は部屋を飛び出す。目的地は白の部屋……インターフォンのチャイムを振るえる指でそっと押した。

『待っていたぞ、入るがええ』

 スピーカーから聞こえたのは、朔夜の声……ゴクリと唾を飲み込むと、新田は扉のノブを捻る。

 そこで待っていたのは、ゲーミングチェアに座る下半身が白蛇の尾となった白の姿。

 いや、間違いなくあれは朔夜だろう。

「お久しぶりです、朔夜様……祀られたのではないのですか?」

「おぉ、シューヘーよ。その通り、わらわの本体は今や社の中……だが忘れたのか、白とわらわは魂を共有していたことを」

 残滓を全て引き裂くなど不可能……蛇迫白の中に白蛇朔夜は残っていた、と言う訳か。

 そう新田が告げると、その通りと朔夜は首を縦に振る。

「じゃが、白の記憶の修復には妖力が足りぬ……どこぞの誰かに奪われたからの」

「……そうですね。誰か様が無茶をしましたから。大変でしたよ、隠蔽するの」

 朔夜の配信でリスナーが倒れたことは事実。それを新田が将門に頼み込み、電脳神としての権能を活用しニュースやSNS、掲示板を書き換え、騒ぎを鎮静化させたのだ。

「なぁシューヘーよ、わらわに奪った妖力を返してくれぬか? 褒美として、白の記憶を甦らせよう」

「その前に……今の白さんはどうなっているんですか?」

 新田のその言葉に、朔夜は忌々し気な表情を見せる。

「見ておるよ……だが、わらわやお主が誰か分からぬことで混乱しておる」

「なら白さんに変わってください。彼女の意見も聞きたいと思います」

 仕方ないな……そう言い朔夜は白へと変わる。人間の足に戻った彼女はキョロキョロと不安気に視線を動かす。

「あ、あの、どなたですか? 一体どうなっているんですか!?」

 恐る恐る尋ねる白に、新田は自己紹介をしつつ優しく彼女があやかし……白蛇朔夜に取り付かれていることを説明する。

「そう……なんですか、取り除くとかは出来ないんですね」

「はい、一度試しましたが……魂の段階で共有しているらしく、こうして復活してしまいました」

 ただ妖力は殆ど残っていないため悪さは出来ない。配信をさせてあげれば満足するでしょうと新田は告げる。

「それぐらいなら……あの、新田さんは専門家? さん、なのですよね?」

「まあ、一応そうなりますね」

 そう答える新田に白は少し考えると、そっと手を差し出す。

「あの、蛇迫白です。改めてよろしくお願いします。もし朔夜がご迷惑をおかけしたら対処をお願い出来ますか?」

「よろしくお願いします、白さん……ええ、任せて下さい」

 新田と白、二人は手を握ると彼は朔夜へと話しかける。

「と、言う訳で霊力供給も妖力の返還もなしだ。ヴィチューバー白蛇朔夜様として頑張って一から……いやゼロから集めてくれ」

「なんだか、心の中で悔しがっているのが分かります」

 白の言葉に、二人はふふっと笑みを浮かべる。

「(口惜しや……だが、何時か奪って見せるからのう)」

 霊力を渡して貰えないことになった朔夜は、心の中で悔し気な……それでいて楽し気な声を上げるのであった。


「それで、江戸はどうであった?」

「はっ……とても面白い物が見れました」

 京都、東山は地下深くに設けられた館の一間で、桔梗紋の羽織袴を着た男は、秋葉原で白がぶつかった女性を迎える。

「ほう、聞かせて貰おうか、玉藻よ……?」

 玉藻……九尾の狐、は。秋葉原での出来事を彼へと話し聞かせる。

 興味深そうに聞いていた男だが、騒ぎを収束させたのがまた『千神屋』だと言うことに忌々し気な表情を見せる。

「江戸の街に潜むあやかしに力を与えるのは面白いな……だが、面白くないのは千神屋だ。いんたーねっととやらを抑えられてるのは痛いのお」

「ただ、市中のあやかしに力を与え、暴れさせるのは江戸の街を混乱させるには良い手です……これからも積極的に接触し、力を分け与えてみたいと思います」

 玉藻の言葉に、男はうむと頷く。そして傍仕えの者に先に東京へと向かった小名木……彼の配下であるこなきじじいのあやかし、その様子を尋ねる。

「ふむ、湾岸地区に拠点を設けると……確かに朱雀の様子を観察するには、その地に拠点を設けるのは道理だな」

「では、わたくしもそこを拠点にしようかしら?」

 玉藻の言葉に、それが良いと彼も同意する。

「では、玉藻の前……再び江戸へ向かいますわ」

「うむ、頼むぞ……四神結界の崩壊と江戸の転覆。我が野望のため黄泉帰りし肉体を活用するように」

 はっ、と返事をすると玉藻の前は東京へと戻るため部屋を下がる。

 その姿を見送りながら、男は難しい顔をする。

「それにしても千神屋か……やっかいだな」

 彼は配下が調べた『千神屋』の構成員名簿を手に取る。

 平将門、新田周平、芦屋結衣……切り崩すなら何処からか。

 隠し撮りした写真が添付された報告書を眺めながら、一枚を手に取る。

 そこにはセーラー服を着た白髪の少女の姿が写っていた。


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