●第三夜 蛇女 (その三)
「内緒にして下さいって……」
「リスナーさんに正体がバレたって知られたら事務所に怒られちゃうだけじゃなく、引っ越ししなきゃいけないんです! 何でもしますからお願いします!」
そう新田に向かい必死に頼み込む白に、何でもすると言われ思わず彼はゴクリと生唾を飲み込む。そして浮かんだ妄想を追い払うかのように内心でパタパタと両手を振る。
そして表情は努めて冷静に、それでいて優しい笑顔を浮かべ、大丈夫ですよと彼女に声を掛ける。
「俺もリスナーの一人として、白さんの活動を邪魔する気はありませんよ。むしろ困った白さんを助けられて光栄に思っています」
「新田さん……」
新田のその言葉にホッとした表情を見せる白。何か要求されるのではないかと怯えていたのか、それとも純粋に安堵してなのか……彼女の目尻に涙が浮かぶ。
「むしろ今回みたいに何かお手伝い出来ることがあればお手伝いさせて下さい! 朔夜様の、そして白さんの力になりたいんです!」
「た、助けだなんて、そんな……今日のことだけでも充分に助かってますよ!」
あわあわと両手を前に突き出し、ふるふると横に振る白に、新田はその腕をそっと掴み告げる。
「白さん……俺は白さんの役に立てませんか?」
「あ、新田さん……そんな急に言われても」
手を握られ、恥ずかしそうに俯く白。その構図に気付いたのか、慌てて新田は手を放すと飛び退く。
「す。すみません。失礼しました」
「い、いえ……その、男の人にこう迫られたのは初めてだったので……」
火照った頬を隠すかのように両手を顔に当てる白の姿を見た新田は、ふと思うことを尋ねる。
「そう言えば、朔夜様の時の白さん。随分と性格と言うか態度と言うか……違いますよね?」
リスナーの中にはセクハラに近いコメントをチャットで投げる奴も居る。
だが朔夜様はそれをヒラリと交わし、逆にネタにする柔軟さを持っていた。
こんな純情そうな人が中の人をやっているだなんて、想像出来なくても当然だ。
「あれは……演技と言うか、朔夜はもう一人の私なんです」
彼に話しても大丈夫かな、と反応を伺いながら、おずおずと事情を話し出す白。
彼女によると、朔夜の時の自分はまるで二重人格が切り替わるかのように白の意識が後退し、同時に朔夜に人格の主導権が入れ替わっているのだと言う。
「信じられないのでしたら、配信……見てみますか? 声とかは出さないとお約束して頂ければ、新田さんなら見ても構いませんよ」
白の提案は、リスナーとしても白の友人としても気になる部分であったので、新田は彼女に向かい即答する。
「白さんさえ良ければ、ぜひ」
「分かりました……新しいパソコンのテスト配信と言うことで、これからお見せします」
そう言うと白はパソコンの前に置かれたゲーミングチェアに座ると、キーボードとマウスを操作し、配信ソフトの立ち上げや配信サイトとの連携など、ヴィチューバー白蛇朔夜になるための作業を行う。
そして……時計の針が午後10時を差した瞬間、それは起こった。
『こんばんへびー! 幸運の白蛇の御使い、白蛇朔夜だ巳―!』
配信ボタンを押したのと同時に白のどことなく自信が無さげな表情が変わり、天真爛漫な笑顔に変わる。
それだけではない。彼女の胸元が大きく育ち、さらにスカートで覆われている下半身が人間の足から、白蛇の尾に変わっていたのだ。
「(んぐっ!?)」
流石に驚きを隠せない新田であったが、声を出せば隣に誰か居ることがバレてしまう。
ただでさえ新田にバレているのに、これ以上のスキャンダラスは流石にマズイと思ったのか、反射的に口元を抑え声が出ないようにする。
そんな風に驚きで漏れそうな声を殺しながら見ている新田の横で、白は……いや、白蛇朔夜は朗々と配信を行っていく。
新しいパソコンテストと言うことで雑談を中心に簡単にゲームの動作テストを行い、一時間程の配信を終えた彼女は配信終了のボタンをマウスでクリックする。
だが、その後の様子はおかしい。まるで身体の内部で言い争っているような感じがする。
「白さん……? それとも朔夜様……?」
止めていた息をふぅーっと吐き出し、配信を終えた彼女に話しかける新田。
それを待っていたかのように、白は……いや、白蛇朔夜は新田の方へと近付いてきた。
「ほう、わらわが本物の白蛇の御使いであることに驚かんとな」
「いえ、驚きましたよ……ただ、仕事柄、あやかしは見慣れているもので」
朔夜の問いかけに冷静に返す新田。先程までの軽さは何処へやら……あやかしに対する冷淡な瞳で彼女を見る。
だが朔夜は同時に白でもある……間違った対応は出来ない。
「何故こんなことをしているか、を聞きたそうじゃな……教えて欲しいか、のう人の子よ?」
「えぇ、出来れば。それと俺は新田周平と言う。新田でも周平でも好きな方で呼んでくれ」
新田がそう言うと、少し考えこむ朔夜……そしてお主が『シューヘー』かと尋ねて来る。
「確かに俺のハンドルネームはシューヘーです。よくご存じで」
「なに、信仰をくれる者、御布施をくれる者の名はすべて覚えておる。今日は我が化身である白の役にも立ったようで……新しいパソコンは調子が良いぞ」
うんうんと頷く朔夜。どうやら白と朔夜で意識は共有しているらしい。
いや、それよりもリスナーをすべて覚えている? そんなことが出来るのか、新田は不審に思う。
「そうだ、シューヘーの献身に褒美をやらんといけんな……お主から頂いた御布施を使うのは本末転倒。ならばこれが一番か」
混乱する新田の元へ、朔夜はそう言うと蛇の尻尾をくねらせ迫り両腕を伸ばす。
そして彼の頭を掴むと、唇と唇を合わせてきた。
「んんっ、んんっ!?」
驚く彼を無視し、先程までちらりと見えていた白の舌とは違う、蛇のように長い舌をねじ込んで来る朔夜。その舌は新田の口内を蹂躙し、激しく吸い上げる。
「(んんっ!! れ、霊力が吸われる!?)」
体内に眠る霊力を、唇を通し吸い上げられる……それに気付いた新田は、慌てて朔夜を引き剥がす。唇と唇の間に唾液で出来た銀の橋が掛かり、直前までの濃厚な接触を思い返される。
「なんじゃ、白……これからと言う時に……仕方ない、身体を返す。説明は次の機会にじゃな」
どうやら流石の白も、今の行為には怒ったのだろう……朔夜の身体が、特に蛇の尾となっていた足が二本に分れると人間の足へと戻る。
それと同時に、すみませんすみませんと、土下座する勢いで謝る白の姿があった。
「それで、白さんは本当に白蛇の神様の御使いで、その化身が朔夜様だと……」
「何時もだと配信の終了と共に交代してたので、脚がまさか蛇になってたのは気付きませんでした……すみません」
何度も謝りながら、事情を説明してくれる白。新田も『千紙屋』の名刺を出し、あやかしが東京に居ること。このアパートにも住んでいること。悪い奴ばかりではないことなど、知っていることを話す。
「朔夜様の目標は、御社を建てること……って配信で言ってましたよね」
「そうです。朔夜によれば、白蛇の御社は壊れてしまい新たな御社が必要。それで信仰心を集めるのと御社の復興費を集めるのに両得だからと、ヴィチューバーを始めました」
リスナーを集めれば信仰され、あやかしとしての力が強まる。
そしてスパチャなどの動画収入で依り代となる御社を建立する……確かに現代的だが、理にはかなっている。
したたかに都会で生き残るあやかしならではの生き方だろう。
それにしても、白の様子がおかしい。頬を赤くしふらふらと揺れ、まるでアルコールにでも酔っているような……?
心配になった新田は、彼女に話しかける。
「白さん。顔が赤いですし、足元もふらついてるようですし……確かお酒とかは飲んでなかったですよね? だとすると配信のあとは何時もこうなるんですか?」
「い、いえ、なんだか今日は特別と言うか……そ、その、キスをした時に何かが流れ込んで来た感じで、それに当てられて」
キス、と言う単語に恥ずかしがる白。そして新田は心当たりがある。
朔夜にキスされたとき、霊力を奪われた感じがした……それが反応し、まるでアルコールで酔ったように、魔力酔いとでも言えばいいのか、そんな症状となっているのだろう。
そう結論付けた新田であったが、どうしようかと迷う。
先程のキスで感覚は掴んだので、彼女のなかの溢れた霊力や妖力を奪うことは出来そうだ。
だがそれを白にしていい物か……朔夜のしたことなので強くは言わないが、彼女の反応的に初めてのキスだったのかも知れない。
そう考えていると、ついにはグラっと倒れ込む白。慌てて受け止めた新田は、とりあえず彼女のベッドへと運ぶ。
完全に吸収した霊力で酔っているのか、白は荒い呼吸を繰り返し、意識が朦朧となる。
新田は考え抜いた末、「ごめんなさい」と一言謝ったのちに彼女の唇を奪う。
舌を割り入れ、白の舌と絡め、奪われた霊力を吸い上げるように口を吸う。
新田の中にあやかしの妖力が流れ込んで来る……それはとても甘く良く馴染み、しかし溺れるようなことはない。
白が落ち着くまで妖力を調整すると、そっと唇を放す。
「(どうか、覚えてませんように……)」
そうすやすやと眠る白を見下ろしながら、部屋の電気を消した新田は自分の部屋へと戻るのであった。
「遅い! お腹空いたよ!」
新田が部屋に帰るなり、同居人である
どうやら食事もせずに待っていたようだ。
「遅くなるってメッセージ送っただろ?」
結衣の理不尽な怒りに、新田はため息を漏らすが……夕食は食べた筈なのにお腹が空いているのも事実。
「簡単に作るか……」
彼はスーツの上着を脱ぎながら、大きな鍋いっぱいにお湯を沸かすとスパゲティーを茹でる。
キッチンタイマーを九分にセットし、その間にフライパンで冷凍しておいたソースを暖め、タイマーが鳴ったところで茹でたスパゲティーと和える。
お皿に取り分けると結衣に机の上を片付けるように伝え、出来上がったスパゲティーをテーブルへと運ぶ。
「今日はナポリタンー! 粉チーズ、粉チーズ!!」
鼻歌を歌うように結衣は冷蔵庫から粉チーズと牛乳を取り出して来る。
新田がグラスを並べると、彼女は楽しそうに牛乳を注ぐ。
「待ってなくてもよかったのに」
「良いじゃない、家族は一緒に食事をするもんよ!」
頂きます、と声を掛けてから二人はフォークでスパゲティーを食べ始める。
食べながら新田が結衣に次からは先に食べてていいぞと話すと、彼女は再び家族なんだからなるべく一緒に食べるわよ、と返して来た。
「……家族、か」
「そうよ。一緒に暮らして同じ食事を取って、家族じゃない。それに今日は将門様の仕事だったんでしょ? あやかしの匂いがぷんぷんするわよ。食べ終わったらシャワーね」
あやかしの匂い、と言う言葉に新田はギクっとする。
さすがにあやかしと妖力と霊力の交換をしていたなど言えない。
新田は不審がられない程度に返事を返すと、急いでスパゲティーを平らげシャワーを浴びにバスルームへとそそくさと消えるのであった。
そして翌朝……何時ものゴミステーションの前に、白が恥ずかしそうに立っていた。
「白……さん」
「あっ……新田さん、その……」
頬を真っ赤に染める白。釣られて新田の頬も赤く染まる。
顔を合わせられないのか、無言で下を向く二人。だが意を決して切り出そうとする。
「「あの……」」
その声は全くの同時であった。慌ててお互いにどうぞ、どうぞと譲り合う。
そして譲り合い合戦は新田が根負けし、彼から口を開くことになった。
「その……白さん、体調は大丈夫ですか?」
「はい、何故か一晩寝たら元気になりました! 新田さん、何かしてくれましたか?」
はい、キスを……とは流石に言えない新田は、ちょっとしたまじないを、と言い淀む。
だがそれは白には疑われなかったようで、そうなんですね……と快く受け入れられた。
「それで、白さんの方は?」
「あっ、そ、そうでした……実は改めて朔夜のことで相談したいと思いまして、よければ、こ、こ、こ、このあとお時間ありますか!?」
勇気を振り絞るように誘う白の姿に、新田は頷く。
今日は土曜日。千紙屋の仕事も平日は高校に通っている結衣が当番の日だから彼は休み。
「それでは、着替えたら伺いますね」
「は、はいっ!」
そうして新田はゴミを捨てて部屋に戻ると、再び白の部屋に行けると言うことで思わずガッツポーズを取る。
だが朔夜のこともある……用心はしないといけない。
ラフにスラックスとワイシャツへ着替えた新田は、念のために歯磨きをしてから白の部屋をノックする。
「お、お待ちしておりました……どうぞ!」
「し、失礼します!」
お互い緊張して声が上ずり、見つめ合って苦笑する。そして仲良さげに白の部屋へと消えていく。
そんな二人の様子を、出勤しようと部屋を出た同じアパートに住む