●第三夜 蛇女 (その二)
『最近、パソコンの調子が悪い巳~、みんなからのスパチャを発動する時かも知れないへび』
今日も
『買い替えするなら、今のパソコンから移植出来る物は移植すると良いと思いますよ』
『シューヘーさん、アドバイスありがとう巳~! 周りに詳しい人が居るならお任せするへびだけど、なかなか……』
確かに千紙屋に入るまでは、ブラックIT企業でシステムエンジニアをしていた新田であれば、パソコンの移植などプラモデルを組み立てるような物。
だが、市販品しか使ったことのないような、パソコンにあまり詳しくはない人にとっては、蓋を開けて差すだけのメモリの増設ですら大仕事だ。
どうやら朔夜もハードはあまり詳しくない方らしく、今日のチャット欄はメーカー品だけではなくショップメイドを含めた市販品を勧める派と自作派で盛り上がるのであった。
そんなことがあった次の朝……出勤前のゴミステーションで、深刻そうにチラシを見ている
「おはようございます、蛇迫さん。深刻な表情をしてますが、どうかしました?」
「ふぁ!? あ、お、おはようございます……実は、パソコンを買い替えようかと思ってまして……」
白が手にしていたのは、よくポストに投函される格安を歌っているパソコン販売のチラシ。
だがそう言ったのは結局安くなかったり、酷く型落ちだったり、性能が低かったりとイマイチなことが多いのだ。
それを知っている新田はチラシを摘まむと、手にしていたゴミ袋の中に押し込んでゴミステーションにポイっと捨てる。
「あ、新田さん!?」
「こういうチラシのパソコンは型落ちだったりで使えない物が多いんです。目的があるならショップの物を、そうでないならメーカー品を買うのが良いですよ」
元々そう言った方面の仕事をしていたので……そう告げた新田に、白は尊敬のまなざしを向ける。
「あ、新田さん! ぱ、パソコンに詳しいのでしたら、お願いがあるのですが……!」
それは、白の新しいパソコンを新田に選んで欲しいとのお願いであった。
「(で、デートではない……浮かれるな、俺!)」
白の頼みを受けた新田は、仕事中も上の空であった。
だがそれも仕方がないことであろう。白は一般的に見ても可愛い方であり、新田的には胸元がやや物足りないことを除けば非の打ち所がない美少女。
そんな女性と一緒に買い物に行けるとなると、男としてはつい期待したくもなってしまう。
「新田君、今日はご機嫌のようだね?」
「しゃ、社長! 大丈夫です、仕事ですか!?」
浮かれる新田の姿に、千紙屋の社長である
あやかしよろず相談所『千神屋』の社長にして、秋葉原を含む神田地区を氏子として持つ除災厄除の神。
電脳神でもあり、そして朝廷に刃を向けたことでも知られる日本三大怨霊の一柱。
東京を護る四神結界の綻びから侵入したあやかしたちのため、融資・保証を与える『千紙屋』を開き、あやかしと人間、あやかし同士のトラブルが起きた際には『千神屋』として解決する。
それが現代に甦った平将門であった。
そんな平将門が微笑みながら話しかけて来る……やばい、浮かれ過ぎたか。
悪いあやかしの脅威は日に日に増している。先日も女郎蜘蛛や蛟竜の事件があったのだ。
気が緩んだことを指摘されるのでは、そう焦る新田であったが、将門は気にせずこのあと何があるのかと尋ねてきた。
隠すようなことではないので、将門にこの後パソコンを知り合いと見に行くと伝えたところ、彼はそれならばと名刺を一枚取って来る。
「この店はあやかしが経営している。私の名前を出せば割り引いてくれるだろう」
付喪電機……秋葉原でも有名なショップだ。普段はカタカナ表記なので気がつかなかったが、漢字で書けば付喪神と言う訳か。
「あ、ありがとうございます! 相手は学生さんだったので助かります」
「そうでしたか、良い買い物が出来るといいですね。今日は早く上がってもいいですからね」
そう言い残し、将門は社長室へと戻る。新田は大事そうに頂いた名刺を名刺入れに仕舞う。
そして夕方……定時が来た瞬間、新田は勢いよく席を立つ。
「それじゃ、お先に失礼します!」
「はい、また来週」
微笑んでいる将門に見送られながら、タイムカードを押すと新田はスキップするような足取りで千紙屋を出る。
その様子を笑顔で見守っていた将門であったが、彼の姿がエレベーターの向こうに消えると険しい顔をする。
「(最近、少し嫌な予感がしていますね……気のせいならば良いんですが、この秋葉原の地に虫が入り込んだような気がします。新田君の力の発現もまだのようですし、大したことなければ良いのですが……)」
将門の悩みの一つ……新田の背負った鞄の奥にある何かの重さなど無かったように、彼の脚は軽く動いていた。
白との待ち合わせは駅前にあるアキヨドカメラのパソコンコーナー……まずは彼女の希望を聞きながら商品を見てみないと。
そういう時にアキヨドカメラのような大型量販店は役に立つ。
パソコンコーナーには既に大学帰りの白が居て、ペンタブの試し書きをしていた。
「蛇迫さん、お待たせしました! ……イラスト、上手いですね」
「あ、新田さん……ありがとうございます」
慌てて描きかけのイラストを削除する白。だがその描いていたキャラクターには見覚えがあった。
「今の……失礼ですが、
「あ、あのー……はい、そうです」
白のその返事に、パァッと表情が明るくなる新田。まるで同志を見つけたと言わんばかりに彼女の手を取る。
「俺も朔夜様推しなんですよ! いいですよね、朔夜様……癒しボイスでトークもゲームも上手いし!」
早口でまくし立てる新田の姿に、何故か白は恥ずかしそうに聞いている。
一通り語り終え、ハッと我に返った彼は白に謝る。
「すみません、つい好きなことになると話過ぎるクセがありまして……蛇迫さん、どうしました? 顔が赤いですよ?」
な、なんでもないですよと言いながら、白は被っていた帽子を目深かに被り直す。
まるで赤く染まった顔を見られないようにと。
それから早くパソコンを探しましょうと新田に背を向けパソコンコーナーを歩き出す。
「失礼ですが、予算はどれくらいを?」
「え、えっと……とりあえず三十万は用意しました」
それならば、と新田は幾つかのパソコンの値札と性能表を、手にしたスマートフォンのカメラで写真に撮る。そして電気街へ行きますと白へ促す。
「こちらで買わないんですか? ポイントも貯まるのに……」
「蛇迫さんの使用用途だと、BTO……ショップでカスタムしたパソコンを買うのが良いと判断しました」
「それで、何処へ行くんですか?」
「目当てはありますが……道すがら他の店舗も覗いて、金額と性能を確認していきましょう」
そうしてパソコンの説明をしながらパソコンショップを巡る二人。
巡っていくうちに構成は決まった。あとは値段との勝負……新田は最後と決めていたショップに白と共に赴く。
「すみませーん、BTOの相談をしたいんですがー」
最後に訪れたのは将門に紹介された付喪電気。パソコンコーナーで店員を捕まえると、そう新田は話しかける。
「CPUはi9、グラボは4070Ti、メモリ32GBにSSD1TBですか……」
「最低、ですね。出来ればそれ以上を。予算は30万で」
店員はお客さん、それは厳しいですよー、せめてあと10万円……と返して来たところで、新田は伝家の宝刀を切る。
そう、将門から預かった名刺だ。名刺には付喪電気の代表者の名前が書かれており、裏には『公に便宜をはかる』と署名入りで記載されていた。
「……これをどちらで?」
「実は私、平社長の下で働いてまして……」
周りの目を気にして、ひそひそと声を落とし話しかけて来る店員に、同じく口元を隠すように手をかざしながら答える新田。
あやかしにも力関係はある。例えばこの秋葉原では氏神である平将門が最高位であり、彼のもたらす安定を力ないあやかしは享受している。
そもそもあやかしが人間向けの店を出す……と言ったことも、将門の力があれば出来るのだ。
以前の蛟竜も、誰かの支援を受けて店を出していたのだろう。結局黒幕までは辿り着けなかったが、将門と同じように悪いあやかしを支援するあやかし……いや神かも知れないが、存在するのかも知れない。
新田がそんなことを思いながら、店員を見ていると、そう言うことですか……と納得した彼は打ち出した見積書を持ち、一度バックヤードへ消える。
そして暫くしたあと戻って来ると、そこには店長値引きと書いて総額30万に抑えてくれていた。
「それで支払いは?」
「あ、その、現金で。領収書も下さい……あの、どれくらいで出来ますか?」
店員に現金が入った封筒を手渡しながら、白は組み立てがどれくらい掛かるか尋ねる。
それに対し、店員はそうですねぇ……と領収書を書きながら、急ぐのであれば特別に閉店までには用意しますよと返す。
「お、お願い出来ますか? 新田さんももう少しお時間頂きますが、良いですか?」
「ええ、構いませんよ。最後までお付き合いします。丁度時間も時間ですし、食事でもしませんか?」
腕時計を見た新田に釣られるように白も時計を見る。夜七時半過ぎ……確かに食事を取るには丁度良い時間であった。
「じ、実は、家族以外の男性と食事するの、初めてだったりします……無作法があったら申し訳ありません」
秋葉原のファミリーレストラン『プリンスホスト』の店内。
向かい合わせに座り注文を終えた新田に、白が神妙な面持ちでそう話し出す
「……その、緊張しないでくれると助かります」
彼女の告白に、どういう顔をしていいのか分からない新田はとりあえず笑ってそう言うと、席を立とうとする。
「そうですね、まずはドリンクバーを取って来ましょうか。蛇迫さんは何を飲まれますか?」
「そ、そんな、私が取って来ます!」
私が、俺が……二人はそう言い合ってから、同時に苦笑する。
「それじゃ、一緒に取りに行きましょうか」
「そ、そうですね、そうしましょう」
そうして笑いあった二人は。共にドリンクバーへ向かう。
最初は緊張しながら、そして料理が運ばれお皿の中身が空になる頃には新田と白は親しく話せるまでになっていた。
「本当にご馳走になって良いんですか?」
「今日は大きな買い物もしましたし、こういう時は大人の男性が出すものですよ?」
レジで会計を済ませる時に、白は申し訳なさそうに新田を見る。
逆に新田はと言うと、見栄と同時にこういう時にポイントを稼ぎたいと言う下心もあり、胸を張って答える。
そんな彼の内心に気付かない白は、良い人だなと新田を思いながら、お言葉に甘えることにした。
「もしあれでしたら、次の機会は蛇迫さん……白さんが出してくれれば良いんですよ」
「そうですね、次は私が奢っちゃいますね!」
下の名前を呼び直す新田に笑顔で返す白。二人は会計を終えると、ありがとうございましたと声を掛けるスタッフに見送られながらパソコンショップへと戻る。
付喪電機の店頭では既に白の新しいパソコンは組み上がっており、新田による簡単な検品の後、梱包してくれた店員から受け取ると捕まえたタクシーでアパートまでパソコンを運ぶ。
タクシーを降りながら新田は白に確認する。
「白さん、設置とセットアップは問題ありませんか?」
「じ、実は自信なくて……新田さん、お手伝いをお願いしても良いですか?」
白の返事に、両手にパソコンの入った段ボールを抱えている新田は内心でガッツポーズをする。
「こちらです……汚い部屋ですが、どうぞ」
そう言われ入った白の部屋は、汚いどころか白を基調にきちんと片付けられた部屋であり、アロマだろうか? 何か甘く心地よい匂いがする。
そしてそれよりも気になったのは、飾られたぬいぐるみの中に白蛇朔夜のぬいぐるみがあったことだ。
「(あれ……? このぬいぐるみ、市販はまだだった筈)」
白に問いかけて良いものか? 判断が付かない新田は、とりあえずパソコンのセットアップとデータ移行を始める。
「……これでヨシ、と」
「お疲れ様です。紅茶を淹れましたので休憩にしませんか?」
初期設定を完了させた新田の背から、白の声が掛かる。
彼女の手にしたお盆には、湯気の立つミルクティーが淹れられたカップが二つと、手作りっぽいクッキーが皿に乗せられていた。
「ソフト類も必要な物は移行しておきましたので確認して貰えますか? それにしても凄いですね……配信もやっているんですね」
「い、いえ……配信って言っても大したことないんですけど」
そう言いながら白は配信ソフトを立ち上げる。するとそこには3Dのアバターが表示されていた。
そう、新田も良く知っている白蛇朔夜の物だ。
「朔夜……さま?」
新田の呟きにハッ、と言う表情を見せる白。完全に油断した……そんな表情だ。
「白さんが朔夜様だったんですね。どうりで聞いたことのある声だと思ったんです」
「あの、その、私が朔夜なのは内緒でお願いします!」
モニターに表示された白蛇朔夜と白は、一緒にお願いしますと両手を合わせるポーズを取るのであった。