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第三夜 蛇女 (その一)

●第三夜 蛇女 (その一)

『こんばんへびー、幸運の白蛇の御使い、朔夜が今夜もリスナーさんたちを幸せに導いちゃう~!!』

 ここは秋葉原から神田川に沿って進んだところにある、浅草橋駅近くのとあるアパート。

その一室では、薄暗くした室内に三枚並べられたデスクトップパソコンのモニターが明かりを灯し、中央の一枚には3Dモデルのアバターが動いていた。

部屋の主……新田 周平あらた・しゅうへいは、右側のモニターに表示したチャットのコメント欄に凄まじい勢いでタイピングをすると、ターンと言う気持ち良い音と共にエンターキーを押す。

 赤色で彩られたコメントが表示されると、中央のモニターに映る3Dアバターが驚きの表情を浮かべながら読み上げる。

『おっ、シューヘーさん、今夜も書き込みとスパチャありがとだ巳~! 御社再建のため、大事に使うへびよー』

「うぉぉぉっ、朔夜ちゃーん!」

 コメントが読み上げられた瞬間、新田は普段の彼からは想像が付かないぐらいに満面の笑みを浮かべ、奇声を部屋中に響かせる。

 その声は壁を越えて隣の部屋にも伝わってしまう。

「新田、五月蝿い!!」

 防音性能はそれなりの部屋。だがそれを突き抜ける新田の叫び声に、つい先日から同居することになった芦屋 結衣あしや・ゆいはドアを激しくノックすると有無を言わさずガチャリと開く。

 そこには普段のスーツ姿ではなく、上下ジャージに『白蛇♡朔夜』と書かれたハチマキを絞め、デレッデレの締りのない表情で白いペンライトを振る新田の姿がそこにあった。

「あのー、結衣ちゃん、勝手に開けるのは良くないと思うのにゃー……でも今のご主人様のその姿は見たくなかったにゃ」

 応援スタイルの新田を呆れて見るのはもう一人居た。このアパートの別の部屋に住む住人、猫野目 そらねこのめ・そら……空色の髪に特徴的な猫耳と尻尾が一尾ゆらりと揺れている。

 そう、そらは人間ではない。あやかし……猫娘であった。

「そ、そらさーん!? なんでここにー!?」

 驚く新田に、結衣は遊びに連れて来たと事も無げに話す。

「ひ、人を呼ぶ時は、お互いの了承を得てからの約束ではなかったですかー?」

「そらちゃんはもう家族みたいなものじゃない? それともなーに、見られたらマズい物でもあるのかなー?」

 新田の言葉にチラリとベッドの下の方を見る結衣。

 慌てて彼は座っていたゲーミングチェアのキャスターを転がし、ベッドへの進路を塞ぐ。

「ここには何もありませーん、ですからはよ退去してくださーい!」

「ご主人様、日本語がおかしくなってるにゃ……」

「そらさんもお店以外でご主人様って呼ばないのー!!」

 そらが新田のことをご主人様と呼ぶのは、彼女が彼の勤め先……あやかし相手の融資・保証を承る金融業『千紙屋』のある秋葉原の雑居ビル。その下のフロアに入っている猫耳メイドカフェ『フォークテイルキャット』のキャストであり、新田はその店の常連。

 週七のペースでご帰宅したこともあるヘビー級のご主人様であり、とある事件を通して親しくなった今でもつい名前ではなくご主人様と呼んでしまうのも仕方のないことだろう。

「それにしても、部屋まで暗くして……そんなにこんな絵が良いのかしらね?」

「絵じゃない、白蛇朔夜様だ! ヴァーチャルユーチューバーだ……ま ち が え る な !!」

 電気を点けながら話す結衣の何気ない一言が新田の逆鱗に触れたのか、彼は席を立つとゲーミングチェアに彼女を座らす。

 そしてサウンドの出力先をワイヤレスヘッドセットからスピーカーに切り替え、ヴィチューバー白蛇朔夜の音声を再生させた。

『それでへびねー、朔夜は白蛇様の御使いだから、幸運の招きがあるはず巳―と宝くじを買ってみたら、見事当たったんへびよ! ……千円だったけど。幸運でへびよね!?』

「……蛇に巳にへび、変な喋り方ね。あと胸が大きいのはワザと?」

 リスナーに向けわやわやと喋る朔夜の姿を見た結衣は、素直に思った感想を述べる。

喋り方が特徴的なのはヴァーチャルユーチューバーのお約束なのだが、盛ってるとしか思えない胸囲について突っ込まれると新田はギクっ、とした表情で横を向く。

「……新田、あんた実は巨乳好き? それでそらちゃんを指名してるんじゃないでしょうね!?」

 結衣の発したその言葉に、そらが慌てて胸元を両腕で隠す。

 確かにそらの胸は大きい……下着を借りたことのある結衣は、彼女がスレンダー気味とは言え、圧倒的なその戦力差を感じさせられたことがある。

「誰が知り合いをそう言う目で見るか、この色ボケ!!」

「と、言うことは知り合う前はそう言う目で見ていたのかにゃ……?」

「あああ、そらさん! 違うんです、退かないでー!?」

 ススス、と後ずさるそらの姿に、慌てて新田が追いすがる。そんな二人のやり取りを結衣はお腹を抱えて笑う。

『それでは、また来週会おうだ巳―!』

 混沌とした新田と結衣の部屋に、配信を終える白蛇朔夜の声が響くのであった。


 そんなカオスと言う言葉が相応しい夜が過ぎた翌日。出勤するために新田は部屋のドアを開ける。

 片手には通勤用の鞄、反対の手には半透明のゴミ袋を持ち、眠そうに欠伸をする。

 通勤先が一駅の距離と言う立地は人を堕落させる。朝のニュースをギリギリまで見てから出勤しても間に合うのだ。

 対して学校が遠い結衣はもう先に出ていた。

 今朝も新田がテレビを見ながらトーストとコーヒーで優雅に朝食を済ませていると、「大人ってズルい!」と、結衣に言われながらハムエッグを乗せたトーストを奪われた。

 結衣が引っ越して来てから、朝食を奪われない日が無い。

 いや、彼女がもう少し早く起きればいいのだが……ギリギリまで惰眠を貪るなら朝食を食べる時間とトレードしなくてはならないのだ。

 ふぅ、と大きくため息を漏らしながら、新田はアパートに設置されているゴミステーションにゴミを捨てる。

「お、おはようございます、新田さん……これからご出勤ですか?」

「ああ、おはようございます、蛇迫さん。そうです、これから仕事です」

 同じタイミングでゴミ出しに来た同じアパートの大学生、蛇迫 白じゃさこ・しろは、新田の手にするバッグを見てそう言うと、彼はその通りですと返す。

「お、お疲れ様です。わ、私は今日の講義は午後からなので、のんびりです」

「良いですね。良く遊び良く学べ……と先達として言わせて頂きますが、のんびりできる時はのんびりするべきです」

 社会人になると、のんびりできる時間が無くなりますよー? と、ちょっと脅かすように新田が告げると、それは嫌ですね……と白は苦笑いで返す。

「やっぱり、自分の時間が取れなくなると……それは困ります」

「自分の時間……趣味とかですか?」

 新田の問いかけに白は少し考えると、そうですねと肯定する。

「趣味……みたいな物ですね。でも趣味と実益を兼ねているので、将来これで食べていくのもありかも知れません」

 実益を兼ねた趣味……なんだろう、漫画や小説だろうか? そんなことを考えていると、スマホから出勤三十分前を知らせるアラームが鳴った。

「ああ、もうこんな時間ですね……折角蛇迫さんとお話出来ていたのに、残念です」

 アパートから千紙屋までは歩いて二十分ほど。

電車で行く方が早いが、歩いたほうが運動にもなるため、新田は雨の日以外はなるべく歩くようにしていた、

「そ、それじゃあ、お仕事頑張ってください!」

「はい、頑張ります。蛇迫さんも二度寝とかして講義に遅れないようにしてくださいね」

新田のその言葉に、あはははと乾いた笑みを返す白……どうやら二度寝する気満々だったらしい。

朝から可愛い女の子 (新田の中で結衣は女の子とカウントしていない)と話せて気分の良い新田は。ふとそう言えば白の声を何処かで聞いたことがある気がした。

それもつい最近、何処でだろうか? そんなことを考えながら、朝の秋葉原の街……まだ時間が早いからかお店もコンビニぐらいしか開いておらず、メイド服を着た客引きも怪しい勧誘もいない静かな街を歩く。

そんな彼の姿を遠くから見つめる女性が一人。

「あれが新田周平か……奴の近くに、利用出来るあやかしが居れば良いのですが、さてはて」

 女はそう言うと、街影に消える……それは遠く、また一瞬だったためか、ご機嫌に歩く新田に気取られることはなかった。


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