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第二夜 猫娘(その五)

●第二夜 猫娘 (その五)

「凄いにゃ! ……結衣、さん?」

 敵を打ち倒した芦屋結衣あしや・ゆいに、猫野目そらねこのめ・そらが駆け寄ろうとするもその足が止まる。彼女の視線が虚ろなのだ。

 まるで何も見えていないかのように……だがその刃は、近づいた彼女に向けられた。

「やめろ、結衣! 誰に剣を向けているのか分かっているのか!!」

 古籠火を向ける新田周平あらた・しゅうへいであったが、その炎を吐かせてよいか躊躇う。

 だがその一瞬が命取り……炎の剣はそらへと迫る。

「ダメだ、聞こえていない! 止めるぞ、古籠火!!」

『任せて、ご主人!』

 全力の火炎放射を吐き出す古籠火。だが結衣はその身から出る炎を翼に変え、前に向けることで火炎放射を防ぐ。

 ゴォォォッと炎と炎がぶつかり合うなか、伯爵が血相を変えて現れた。

「血流の乱れを感じて来て見れば……新田殿、そのまま抑えれますかな?」

「な、長くは持ちませんが……やってみます」

 そう言った新田は、霊力をフルパワーで古籠火に注ぐ。それに応えるように一層巨大な炎を吐き出すが、結衣の炎もまた燃え上がる。

「権能解放……血液操作!」

 新田と結衣が炎でせめぎ合うなか、自らの牙で指を切り、垂らした血で床に魔法陣を描いていた伯爵は、その完成と共に術を唱える。

 それは結衣の中の血液の流れを制御する物……血液を扱う吸血鬼の呪術。

「くっ、なんていう力ですか……だが、これならまだ抑えられます」

 その言葉の通り、伯爵はその手を結衣に伸ばすと、露わになった胸へと突き立てる。

 そして炎を抑えていくと……やがて気を失ったのか、炎の噴出を止めた結衣はその場に崩れた。

「ありがとうございます、伯爵。それにしても、傷が……ない?」

 新田はスーツの上着を脱ぐと、全裸の結衣に被せる。

 だがその一連の動作の最中、サキに付けたられた胸元の傷が傷跡すら残っていないことに違和感を覚えた。

「……正直驚きましたよ、この力は」

「伯爵、それ以上の言及について今はまだ早いです」

 結衣の体内の血流を操作した伯爵が、その力の源を話そうとした時、彼の背後から待ったと声が掛かる。

 振り返れば、そこに居たのは千紙屋の社長である平将門が、妖力を隠すための眼鏡を掛けた姿でそこに立っていた。

「社長、結衣が!」

「分かっています。店に運びますよ」

 そう言って将門は結衣を抱き上げると、千紙屋へと向かう。

「処理業者は呼んでおきました。なので新田君とそらさんは安心してついて来てください。伯爵もよろしければどうぞ」

「では、お言葉に甘えてお邪魔させて頂こう」

 結衣を抱えた将門が店を出るのと入れ替わりに、対あやかしの特殊清掃業者が『フォークテイルキャット』の店内に入り、女郎蜘蛛……サキの亡骸の回収や、焼け焦げた店の修復を行う。

 いつもながらその手際は凄まじいと新田は感心しつつ、驚くそらと満足気に見つめる伯爵を『千紙屋』まで案内した。


「ん、んんんっ……」

「お、気付いたか?」

 応接間のソファーに寝かされていた結衣は、目を覚ますとゆっくりと起き上がる。

 そしてボーっと左右を見回し、それから自分が全裸の上に新田の上着を掛けられただけだと言うことに気付き、少女らしく可愛らしい悲鳴を上げる。

「な、な、な……」

「な?」

「なにしたの、私に!」

 掛けられていた新田の上着で胸元を隠しつつ、グーで彼を殴り飛ばす結衣。

「見たな! 死ね! 記憶を! 失えっ!!」

 マウントを取られ、結衣の右手で顔面を繰り返し殴打される新田。

 なんだかこの前も同じようなことがあったな……そんなことを考えながら、彼は必死に両腕でガードする。

 まあ、確かに、上着を掛ける時に薄く弧を描くささやかな膨らみや桜色の山頂を見てしまったのは事実だ。

 だから最初の数発は甘んじて受けよう。たださすがに殴り過ぎだ。新田は禊の分を喰らうと怒りに燃える結衣の右腕を掴む。

「落ち着け、結衣。俺たちは何もしていない。覚えてないのか?」

「何を……覚えて……?」

 新田の言葉に、結衣は何かを思い出そうとするが、まるで記憶の中に霧がかかったように思い出せない。

「結衣君、今は思い出さなくて良い。時が来れば分かるだろう……」

「……社長がそう言うのなら」

 将門の言葉に結衣は記憶の遡及を諦め、握っていた拳を解くと新田の上着を胸で抑えながら立ち上がる。

「結衣さん、着替え……メイド服で良ければ取って来るにゃ!」

 オロオロしながら様子を窺っていたそらは、話しに割り込むならここだと結衣に話しかける。

「メイド服! 着てみたい!!」

「分かったにゃ、取って来るにゃ!」

 そう言って千紙屋を出て『フォークテイルキャット』のある下のフロアへと戻るそら。

 そこはもう事件の痕跡も残ってない、何時もの店内が広がっていた。

「……サキちゃん。なんであんなことしちゃったのかにゃ」

 普段と変わらない店内を通り、そらはバックヤードの一角に設けられた更衣室に向かう。

 ロッカーを開け、メイド服を取り出しながらチラリと隣に並ぶサキのロッカーを見る。

 サキは優しい先輩であった。新人で入ったそらのトレーナーとして、彼女にメイド道を教えてくれた。

 ご主人様の対応に辛く傷付いた日も隣に居てくれた。話を聞いてくれた。力になってくれた。

 だからサキの指導に、信頼に応えるべく、そらはメイドとして、そしてあやかしとして成長を遂げた。

 それこそ彼女の目を見張るほどに。

「そら、やり過ぎちゃった、のかにゃ……」

 そう一言呟くと、取り出した着替えを手にロッカーをバタンと閉めるそら。

 サキのロッカーを開ければ何か分かるかも知れなかったが、今の彼女にその勇気はなかった。

 ……なお、この後、そらの用意したメイド服 (と下着)に着替えた結衣は、彼女との脅威の、いや胸囲の格差に落ち込むことになるのであった。


「隣、良いですかな」

 秋葉原はとある雑居ビルの地下。あやかし専門のバー『妖』で静かにブラッディメアリーを味わっていた伯爵に、声が掛かる。

 ちらりと伯爵が隣を見ると、そこには『千紙屋』社長の将門公の姿があった。

「やぁ社長。隣席して頂けるなんて光栄ですな」

「なに、ここでは上も下もない……ただのあやかしだよ」

 将門はそう言って伯爵の隣に座ると、マスターにカクテルを注文する。

「ヨーグルトリキュール45、ピーチリキュール15、ピーチジュース30、レモンジュース2tsp、そして炭酸と……」

 注文を受けたマスターはメジャーカップでアルコールとジュースを計り、氷を入れたカクテルシェイカーを振るうと、トールグラスにシェイクしたアルコールと炭酸を注ぎ軽くステアする。

「意外ですな。もっと強いカクテルや日本酒なんかを嗜まれると思っていました」

 差し出された甘いカクテルに口を付けながら、将門は笑う。

「秋葉原の氏神になってから、こう言った物も楽しめるようになりましてな……勿論、日本酒は大好物ですが」

 サブカルチャーの発信都市である秋葉原。そこを治める神である平将門は時代と共にその権能を増やしていた。

 特に有名なのが電脳神……パソコン関係の守り神として、平将門を祭る企業や個人もある。

 IT企業のオフィスやサーバルームに平将門のお札がある、と言うのはこの界隈で良く聞く話しだ。

 実は新田が将門公に従っているのも、ブラックIT企業に勤めていた際に将門公の力でトラブルを解決したからと言うのもあった。

「それでですな、社長……あのことは、朱雀の少女に話さなくて本当に良いのかな?」

「そうですね……まだ時期が早いでしょう。その身に宿っている力に溺れる可能性もあります。今は魂を鍛える期間です」

 伯爵の質問に、将門はふぅとため息を一つ漏らしながら答える。

 そして彼にこの事は当面秘密にして欲しいと言い含める。

「そうですな……秘密の対価に、今日の払いをお願いしたいとこですな」

「それぐらいお安い御用ですよ。私を誰だと思っていますか? 千紙屋の平将門ですよ」

「では遠慮なく……マスター、ブラッディメアリーをもう一杯」

 差し出された真っ赤なカクテルを伯爵は手に取る。そして将門に差し出すと、二人は軽くグラスを合わせる。

 チーンと言う硝子がぶつかり合う音色と伯爵と将門の含み笑いが、ジャズが薄く流れる店内に響く。

 一息でグラスを飲み干した伯爵と将門。マスターにお代わりを要求しながら、チャームとして出されたチョコレートを摘まむ。

 グラスを重ねていた伯爵は、ふと将門に口を開く。

「社長、我輩は仕事柄日本中を飛び回っているのですが……龍脈、乱れてますな」

「ええ、すべては東京……四神結界を破壊するために」

 やはり知っていたか。そう納得する伯爵に、将門はあることを頼む。

 それは意外ではあったが、伯爵的には納得出来る物ではあった。

「それは……まあ確かに我輩なら出来ますが」

「ええ、頼みます。お礼は……そうですね、好きなボトルを一本入れましょう」

 そう言われ、少し悩んだ伯爵はマスターに一番高いウィスキーを頼む。

 この街の氏神であり、こと秋葉原に限定すれば無敵の力を持つ平将門に逆らう程伯爵も愚かではない。

 断れない頼みに、半ば意趣返しの意味も込めたオーダーであった。


「新田、あんたそらさんと同じアパートに住んでるんだって?」

 一方その頃。千紙屋では、デスクで資料をまとめている新田に向かい結衣が話しかける。

「あぁ。前の会社の寮を追い出されたからな……社長に相談したら社宅扱いにしてくれた。それがどうした?」

 それを聞き、結衣が言い難そうに彼に告げる。

「そ、その……あんたのアパート、家族用の広い部屋なんでしょ? 部屋も余っているって話しだし……その、一緒に住んでやってもいいけど」

 結衣の言葉に、はぁっ? と言う顔をする新田。

「私が住みたいって訳じゃないのよ! 勘違いするな! そらさんが心配って話をしたら、社長が一緒に住めばいいって……だから仕方なくよ、仕方なく!」

 確かに部屋は余っている。だが十六歳の女の子と一緒に住めとか、社長は何を考えているのか。

 事の真相を確かめるべく凍った表情のまま、スマホを取り出し社長と書かれた電話番号をタップするが、スピーカーからは無情にも、『おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っておりません』と機械的な音声が流れる。

「今度の週末、引っ越し便手配したから、ちゃんと部屋片付けといてよね……ねえ、聞いてる?」

 新田の耳には、結衣の言葉がとても遠くから聞こえる。

快適なオタクライフの邪魔はされたくない。新田はどうこのピンチを脱するか考えるが……結局、新田の住処は社宅なので、会社の、社長の命令には逆らえず、あっと言う間に週末がやって来た。

こんなに嬉しくない週末は二十七年の人生で初めてだと彼は思う。

神様、何か悪いことをしたのでしょうか? そう祈る新田であったが、その祈る神は無情にも一緒に住めと言った張本人。

かくして、新田と結衣の共同生活が始まる。

資料やグッズなど、整理整頓が行き届いた綺麗好きなオタクである新田に対し、何でも集めたがる年頃の女子高生な結衣。

果たしてうまく折り合いを付け生活が出来るのか……とりあえず、そらは結衣と言う名の友達が同じアパートに引っ越して来たことを喜ぶのであった。

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