●第一夜 雪女 (その四)
燃え上がるホストクラブ。その炎の中で、千神屋の陰陽師 (見習い)の
『ちょっと燃やし過ぎたかしら?』
「いや、丁度いい火加減らしい」
古籠火が新田に話しかける。彼はそう返しながら、雪女の
そこでは熱にやられたのか、ぐったりとしたユキの姿が。
「ねぇあんたら、なんとかしてくれ!!」
四つん這いになって這いよってきたホストの男は、そう新田と結衣に向けて必死に訴えて来る。
炎に包まれる店内で、結衣はあることを新田に告げる。
「新田、ユキさんに……」
「ああ、分かっている……少し時間を稼げるか?」
新田からの問いかけに、結衣は赤い瞳を輝かすと唐傘と共に飛び掛かる。
「誰に言ってるのさ! 戦闘力なら新田より上なのよ!!」
呪符を拳に巻き蛟竜に殴り掛かる結衣。蛟竜も彼女に反撃を繰り出し、炎の中で両者は殴り合う。
ぶつかり合う結衣たちを横目に、新田はユキの傍へと膝を付くとアタッシュケースを開く。
「ユキさん、これを……」
「……良いのですか?」
「ええ、非常時ですから」
新田が取り出したのは宝石箱。恭しく蓋を開くと、そこには光り輝く雪女の雫が。
『そ、それは! お前たちが持っていたのか、寄こせ!!』
「あんたの相手は私だよっ! 浮気者は嫌われるよ!!」
宝石箱を持つ新田に飛び掛かろうとする蛟竜の胴を、結衣の蹴りが打ち据える。
ユキの前に掲げられた雪女の雫は、フワッと浮き上がるとユキの胸へと消えていった。
「……ユキ、さん?」
「ふふっ、ふふふふっ……。分かっていました、騙されているって。でも信じたかった……居場所であってくれれば良かった」
ユキは寂し気にホストの男を見ると、彼は逃げるように店外へと走っていく。
「……雪女の力、魅せてあげますわ!」
彼の背中を寂しそうに見送ったユキから、炎の熱で炙られる室内に向けてビュウと冷たい風が吹く。
その冷気は吹雪となり、あっという間に燃える室内を凍り付かせる。
『わたくしの炎が……寒い、消えそう』
『おいらの傘も凍り付きそうだよ……』
あまりにも強い冷気に、古籠火と唐傘が情けない声を上げる。
だがそれは彼らだけではない、蛟竜もまたその全身を凍り付かせていた。
『くっ、う、動けん……!!』
「ほらほら、凍りなさい。魂まで……凍らせてあげるわ!」
本調子に戻ったユキは、凍える吐息を口から次々と吹き出す。
吐き出された吹雪はとぐろを巻き、冷気の塊となり蛟竜に襲い掛かる。
「(吹雪……そうだ、凍った鱗に急激な熱を与えれば!)」
しかし、凍り付いても未だ破れない龍の鱗を見ていた結衣は、あることを思いつく。
「ユキさん! もっと、もっと温度を下げられる!?」
「出来ますが……凍らないで下さいね?」
結衣の言葉にそう返すと、あやかしとしての権限を解放し、ユキは全妖力を持って蛟竜を凍り付かせようと冷気を吐き出す。
絶対零度、その吐息は魂をも凍らせる死の甘い息。
全身が氷に包まれた蛟竜を確認した結衣は、新田と古籠火に向かい声を上げる。
「新田! 古籠火! 最大火力!!」
「よくわからんが、古籠火、最大火力だ! 俺の霊力も持っていけ!!」
その途端に新田の右手に握られた石灯籠に宿った古籠火が元の姿に戻ると、火龍のようにも見える大火炎を放射する。
凍り付いた蛟竜は一気に溶かされ、そして燃え上がる……だが腐っても龍。自由になった身体を動かすと結衣に向かって口を開く。
『所詮小娘の浅知恵ではなぁ! 運がなかったな!』
「さあ、どうかな……ユキさん、もう一度冷気を!」
先ほど全力を出したので、完全凍結は難しいですよ? そう告げるユキに、構わないと答える結衣。
ふぅ、とため息を漏らしたユキは、信頼に応えようと今できる全力で氷の息吹を吹きかける。
『温い、温い!』
だが氷の息吹を吹きかけられても蛟竜は止まらず、結衣に迫る。
しかし彼女はこれを待っていたとばかりに拳に呪符を巻きつけると霊力を流した。
「熱膨張って知ってる? 凍らせて暖めて、そしてまた凍らせて……そうすると脆くなるんだって。こんなふうにね!」
そう言い、渾身の右ストレートを蛟竜の胴体に向けて放つ結衣。
彼女の拳が竜鱗に打ち込まれた次の瞬間、蛟竜の全身にヒビが入る。
『そ。そんな、まさか……』
「……物理の授業、ちゃんと受けといて良かった」
効果を確認した結衣は、蛟竜の全身を次々と殴る。その度にピキ、ピキっと言う音と共に竜鱗が爆ぜ、その身体が崩れていった。
「儺やろう! 儺やろう!!」
結衣の発する追儺の掛け声と共に拳が振り下ろされる。既に蛟竜の身体は半分砂になっていた。
『……様、申し訳……』
最後に蛟竜が何か呟いたかと思うと、その全身は砂となり、中から一個の大蛤が転がり落ちる。
「蛟竜の核か……確か蜃気楼は蛤の妖怪が見せた、とも言うね」
大蛤を拾い上げた新田は、それを大事そうにユキの妖力の塊である雪女の雫を納めていた宝石箱へと仕舞う。
それを見て、ユキは新田に問いかける。
「あ、あの、私への融資の担保を仕舞わなくて良いのですか?」
そう言われると、新田は結衣を見て、そして店内の様子を見る。
「どう見ても掛けを請求する状態じゃないですよね? でしたら、ご融資も必要ないと判断致しましたが……如何なさいますか」
その言葉にぱぁっと表情を明るくするユキに、うんうんと頷く結衣。
こうして雪女を巡る事件は解決した……かに見えた。
……京都、東山。その地中に設けられた館の一間に小名木こと、こなきじじいは居た。
『小名木よ、江戸の町の偵察、ご苦労であった。して……朱雀の様子はどうであったか?』
館の主が彼を出迎える。桔梗紋が施された羽織袴の男。その霊圧に、思わず小名木は頭を下げる。
「は、はい。予想通り衰弱している様子……次の災厄を止める力は残ってはいないでしょう」
『そうだろう、そうだろう。あの街に施した四神結界は儂の手による物。故にその弱点も知り尽くしておる』
男の高笑いが響く。笑い声が響くなか、その小指の一振りで自身を殺せると小名木は心底恐ろしくその笑い姿を見やる。
そんな時だ。傍使えの者が男に近寄り、何か耳打ちする。
男は一瞬顔を顰め、ふぅ、と一息付くと小名木の方を向く。
『小名木よ、新宿に置いておいた草が一つ千切られた……千神屋の手の者だそうだ』
「千紙屋? 確かに彼らと接触しましたが、ただの金貸しの筈……」
『だが、我が手の者を倒した。小名木、奴らともう一度接触して貰うぞ……場合によっては、分かっているな?』
慌てふためく小名木に、男は首の辺りを扇子で打ちながらそう告げる。
次はない、そう言いたげな男に、額を擦りつけるぐらいに平伏すると、彼はそのままの姿勢で後ずさる。
「は、拝命致しました……必ず千紙屋の正体を掴んでまいります」
男は小名木に向け早く行けとばかりに手を振るう。
東京……陰陽師見習いである芦屋結衣、新田周平と千紙屋、そして四神結界を巡る話しは、まだ始まったばかりであった。