お風呂に入った後、私はリビングに戻りビールを飲みながらソファーで丸くなっているココを見つめた。
黒いつやつやの毛並みのココは、赤い首輪をしている。よく見るとプレートがついていて、名前が彫られていた。
すごく大事に、可愛がられているんだろうなぁ。
可愛いなぁ。猫、心惹かれる。
あんまり触るのはよくないかなと思い、私はココの隣に腰かけて眠る姿を見つめるだけだ。
テレビからは水のせせらぎと不思議な音が聞こえてくる。
映像はどこかの渓谷みたいだった。うーん、この音を聞いてると眠くなってきてしまう。
湊君はリビングの隅にあるデスクに腰かけて、モニターふたつつけて作業をしていた。
ペンを走らせる音が聞こえてくる。いったい何の絵を描いているのか見てみたけど、いまだにちゃんと見せてもらったことはない。
以前に購入したイラストボードも何を描いているのか、わかんないのよね。
聞いてもはぐらかされちゃうし。
お互いに部屋には入らないようにしているから、全然わかんないのよね。
恋人として一年間過ごす約束だけれど、なんとなく超えちゃいけない一線、というものがある気がして、勝手に部屋に入るようなまねは絶対にしないし、プライバシーは尊重するようにしている。
恋人、だけど契約だし。
以前湊君に、抱きたい、って冗談ぽく言われたけれど恋人ならそういうことするものだよね。
だけど契約だからそれは超えちゃいけない気がするし、湊君とそういうことをするのは考えられなかった。
この先どうなるのかぁ……今十月だし、まだ先は長い。
私はビールを飲みつつ、静かな室内でココを見つめていた。
ココもとても大人しい。
猫って夜行性よね。今、リビングは湊君のデスクの上以外は常夜灯が点いているだけで、薄暗い。そんな中、彼女はじっと、丸くなっているだけだ。
私はビールを飲みつつココの頭を指先でそっと撫でた。
するとココは目を開けてこちらを見上げ、大きく欠伸をする。
あ、お、お、起こしちゃったかな。そんなつもりはなかったんだけど……
心配になりつつココを見ていると、ココはまた目を閉じて眠り始めた。
あ、よかった……起きたわけじゃないのね。
私はいつも、お風呂に入ったら部屋に直行するんだけど、今日はココがいるからリビングで過ごしている。
くしくも今日着ているパジャマは、買ったばかりの猫のキャラクターが描かれたものだ。
湊君の邪魔にならないよう、大人しくビールを飲んで、ココを見て、私はとっても幸せだった。
ゆったりとした時間っていいなぁ。スマホも鳴らないし、電話も来ない。
鍵村さんが普通の人だった、ということがわかって私はとてもほっとしていた。
このまま普通の付き合いしていけたらいいなぁ。
そんなことを思いつつ、私は大きく欠伸をした。
うーん……お酒と音楽のせいか、私も眠くなってきたな。
私は目をこすり、また大きく欠伸をする。だめだこれ、もう起きていられないかも。
ビールはあと少しだし、これ飲んだら寝よう。
そう思って、私はビールを一気に飲んだ。
夢を見た。
お父さんとお母さんが生きていて、私はまだ子供だった。だからすぐにこれは夢である、ってわかった。夢の中で、あ、これ夢なんだ、って思う事あんまりない気がする。
たぶん小学生、かな?
三人で遊園地に行って、観覧車やジェットコースターに乗った。
たぶん私が初めてジェットコースターに乗ったのはもっと大きくなってからだと思うけど……夢の中の私は小学一年生くらいで、身長的に乗れるか微妙な頃だ。まあ夢だしな。そんな理屈は必要ないのだろう。
夢の中だからおかしなことが起きる。
着ぐるみのキャラクター、何体も同じものがいるし、空も青くないし、なんだか灰色がかって見える。なのに私は天気がいいって思いこんでいる。
へんてこな音楽も聞こえてくるし、通り掛かる人の顔もあやふやだ。
夢の中の私は両親と遊園地に来たのが嬉しくって、始終うきうき気分だ。
『お父さん、今度はあれ乗りたい!』
私がメリーゴーランドを指差して叫ぶ。
そのメリーゴーランドにはたくさんの着ぐるみたちが乗っていて異様な光景なのに、私は全然気にならなかった。
『わかったよ、灯里』
『じゃあ今度はお母さんが写真撮るわね』
そして私はお父さんと手を繋いでメリーゴーランドに向かって走り出す。
着ぐるみの受付を通って、私たちは馬に乗る。
回り出したメリーゴーランドから、私はお母さんに手を振った。
『おかーさーん!』
声を上げるとお母さんはデジカメをこちらに向けてシャッターを押し、こちらに手を振ってくる。
メリーゴーランドは回り続けて、私はお母さんに手を振って、近くにいるお父さんを振り返る。
楽しいな。ずっとこんな時間が続いたらいいのに。
その思いがあるからか、メリーゴーランドは全然止まる気配がなかった。
だって夢だもの。おかしいのが当たり前だ。
でも、永遠なんてない。
だってお母さんもお父さんもいなくなる。
大人の私はそのことを知っている。
だから悲しくなってきて、夢の中の私はわんわん泣き出した。
そうしたらメリーゴーランドは消えて、着ぐるみたちもいなくなってしまう。
でもお父さんやお母さんは消えないし、遊園地もそこにある。
『どうしたの、灯里。何があったの?』
お母さんの声がして、頭を撫でてくる。
『お化け屋敷は怖かったかなぁ』
お父さんの声がして、私の頭を撫でてくる。
あれ、お化け屋敷なんて入ったっけ? だってさっきまでメリーゴーランドに乗っていたよね。
覚えていないけど入ったのかな。これは夢だもんね、だからおかしなことが起きるんだ。
お父さん、違うよ、そうじゃない。
でも何にも言えない私はただ泣き続けるばかりだった。
『大丈夫だよ、灯里。お父さんとお母さんがいるんだから』
『そうよ、灯里。いつだってお母さんたちがそばにいるから怖くないわよ』
でもそれは続かないって知っているから。私はただわんわん泣き続けた。
たくさん泣いて、泣き続けていつの間にか視界は真っ暗になっていた。誰もいなくなったのかな。それともただ、私が目を閉じているから暗いのかな。
どこまでも広がる闇がずっと続いていた。