翌日、二十五日水曜日。
朝、会社に着くと、鍵村さんと入り口でばったり出会ったので、私はなんとなく気まずく思いながらもなんとか笑顔をつくりつつ、鍵村さんに挨拶をした。
「あ、おはようございます、鍵村さん」
「おはよう、森崎さん。だいぶ涼しくなってきたね」
昨日は雨だったけど、今日は朝から晴れている。月初めから比べたらだいぶ涼しさを感じるようになったけれど、まだ暑い日は多い。最高気温が三十度を越えないだけまし、だろうか。
「そうですねえ。もうすぐ十月ですし、早く涼しくなってほしいです」
そう答えて私は鍵村さんと一緒に会社に入った。
気まずい、と思っているのは私だけなのかな。あれから鍵村さんからこれといって連絡ないし……大丈夫、なの、かな?
そんなことを考えていると、鍵村さんが言った。
「森崎さん、十一月のイベント、例の彼ともしかして一緒に行くの?」
なんて言われ、私は何のことかわからず不思議に思いながら鍵村さんを見る。
十一月のイベントって前、鍵村さんに誘われたやつだよね?
なんで湊君のことが話題に出るんだろう?
「彼と一緒に行くのに声かけてごめんね」
とまで言われ、私はさらに意味が分かんなくなる。
「すみません、意味が分かんないんですけど……」
困惑して言うと、鍵村さんは、あれ? という顔をする。
私、おかしなこと言っているかな? いいや、十一月のイベントのことなんて私、湊君に何にも聞いていないから全然分かんないんだけど……
「ほら、十一月のイベント。児童養護施設の支援イベントなんだけど、例のイラストレータの彼、今年もチャリティーオークションに作品を出品するんだけど、ゲストで来るって聞いたよ?」
……何の話?
湊君がイベントに出る? 目立つの嫌だって言ってるのに?
さらに訳が分からなくなって私はきょとん、としてしまう。
「いや、何にも聞いてないですけど……」
言いながら私は首を傾げた。
湊君からはそんな話、一言も聞いていない。昨日だって目立つのが嫌だって言っていたし。そんなイベントに出るならたぶん行ってくると思うんだよね。でも黙ってるってことはきっと本人、知らないんじゃないかな……
私の反応を見た鍵村さんも首を傾げる。
「あれ、広告代理店の我妻さんがそう言っていたし、宣伝ポスターにも名前、あったけど……?」
宣伝ポスター?
頭の上がハテナだらけになった私に、鍵村さんはスマホの画面を見せてきた。
それはSNSに投稿された画像のようだった。
十一月三日。文化の日に開催予定のチャリティーイベントの広告で、オークションや芸人さんのライブ、募金活動や出店などがあるらしい。
収益は必要経費を除き児童福祉施設に寄付されるそうだ。そしてそのオークションゲストに、確かに湊君のペンネームが書かれていた。
肩書がイラストレーターだし、ミナトって名前が書いてあるし間違いないだろう。
なにこれどういうこと?
これ、勝手にキャスティングされてない?
「あー……たぶんこれ、会社側が勝手に決めたんじゃないかな」
内心呆れつつ言うと、鍵村さんは苦笑する。
「あぁ……それはあり得るかもね」
「あとで本人に伝えてみます、たぶんきっと、知らないと思うんで」
「あはは……そうだね……」
なんとなく気まずい空気が流れる中、私たちは一緒にエレベーターに乗った。
エレベータを降りて鍵村さんと別れた私は、同僚たちと挨拶を交わしつつ廊下を歩く。
鍵村さん、普通だったな……そうか、あれが普通の人なんだ。
普通が新鮮すぎて変な感じがするけど、すごく安心している。連絡先を消す必要もないしブロックする必要もない。引っ越す必要もないんだ。
あぁ、これが普通なんだなぁ……
私は普通、をかみしめつつ、自分の部署に向かい仕事についた。
今日もまだ、セプトリアスショックは続いていた。
マキシシングルの注文は殺到し、メーカー在庫を順次出荷しているけれど一時的に在庫なしになるだろうな。
過去のアルバムやライブ作品の売り上げが増えているらしく、注文もどんどん増えている。
すごいなぁ。
これ、来週のランキング上位独占するでしょ?
セプトリアスってこんなに人気あったんだなぁ……
アイドルはフリューゲルが圧倒的人気を誇っているって思っていたけど。
湊君の話を聞いた後だと遠くの存在だと思っていたアイドルが、急に近い存在に感じてなんだか妙な気分だった。
湊君と兄弟だと思うと、確かに綾斗は湊君と似ているように思う。
すごく似ているわけじゃないけど。
でもこれ、誰にも言えないよなぁ……調べてみたら彼は自分の生い立ちについて公表はしていないみたいだし。
ただ父親は大企業の役員らしい。それって湊君の血の繋がったお父さん、ってことよね。
あんな複雑な環境ってあるんだなぁ。
湊君が歪んだ異性感を持っている理由って、その辺の複雑な家庭環境が理由なのだろうか。
お母さんと一緒に暮らしていなくて、叔父さんに引き取られたっていうのは関係していそう。
いったい何があったんだろう?
私は両親が死んだだけだ。大して複雑な背景はない。
母親がいないことでいろいろと心無いことを言われたことはあるけれど。
でもそれだけだ。
湊君は両親が生きている、のかな。それについて言及はなかったけど、でも一緒に暮らしていないっていろいろあったのは確かだろう。
いったい何があったんだろう。
気にはなるけど、そんなの聞くことじゃないよね。
いつか話してくるかな。
それまで私、黙っているしかないよね。
そう思いつつ私はセプトリアスの情報を見ていた。