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第51話 家族

 その後、仕事になんだか集中できないまま終業の時間を迎え、営業部はずっとばたばただったからちょっとだけ残業して、会社を後にした。

 今日は一日、セプトリアスだったなぁ……

 ひとつのアイドルグループの分裂騒動でこんな振り回されることになるなんて思わなかった。

 朝から降り出した雨はまだ降り続いていて、街を濡らしている。

 空は灰色の雲がずっと覆っているから、これはまだやみそうにもない。

 会社を出て私は傘をさしつつ早足で歩きながら、スマホを確認する。

 よかった、なんにもメッセージはきていない。

 いつものパターンならものすごい勢いでメッセージが来ているものだけど……鍵村さんは本当に普通の人、なんだろうな。

 そう思うと少し心が軽くなり、私はアプリを開いて湊君にこれから帰る、とメッセージを送った。

 するとすぐに既読がついて、OK、を表すスタンプが返ってくる。

 それを見て、私は心が軽くなるのを感じた。

 家に帰れば人がいる。湊君がいる。

 何かあっても大丈夫。私はひとりじゃないんだから。

 そう言い聞かせて私は家路を急いだ。


「ただいまー」


 リビングに入ると、まず目に入るのが湊君の作業スペースだ。

 二台のモニターは今は画面が消されている。

 そして空腹を刺激するいい匂い。これは……魚、かな?


「お帰り、灯里ちゃん。今日は鮭のアルミホイル焼きだよ」


 キッチンの方を見ると、青いエプロンをつけた湊君が料理をしている最中だった。

 鮭と……キノコかな。あー、お腹のすくいい匂いがする。


「遅かったけど何かあったの?」


 その問いに私は頷く。


「うん、あの、アイドルわかる? セプトリアスっていう」


「あぁ、うん、わかるよ」


「そこの分裂騒動があって、大騒ぎになっちゃったの。CDやブルーレイとかの注文が殺到してて、うちの倉庫の在庫じゃ捌ききれなくなっちゃってさー」


「へえ、そんなことあったんだ。伏見綾斗は知ってるよ」


「そうそう、その子! その子とあとふたりが事務所やめるんだってー」


「へえ、結局そうなったんだ」


 言いながら彼はホイル焼きを皿にのせる。

 私はお茶碗を用意しながら言った。


「そうなんだよ、事前情報何にもなかったから大騒ぎで」


 そこまで言ってから湊君の言葉の違和感に気がつく。

 ――結局そうなったんだ。

 なんだろう、まるでそうなる事を予想していたみたいな言い方じゃない?

 私はお茶碗を片手に湊君の方を向いて言った。


「ねえ、脱退の噂なんてあったの?」


 少なくとも私は知らないし、そんなニュースを見た記憶もない。知られていたらあんな騒ぎにはなっていないんじゃないだろうか。


「本人が言ってたから」


 と、事も無げに言った。

 ……本人?


「え、どういうこと……?」


「ひとつ上の兄なんだ。親が離婚したとき、綾斗は父親に引き取られて、名字が違う」


 ……なんですと……?


「湊君の親、離婚してたの? いつ?」


 そんな話、聞いた記憶ない。

 あれ、だって湊君てご両親いるよね? 確か年の離れた弟と妹がいたはず。

 この部屋はそもそも家族で暮らしていたはずだし……

 もしかして聞いたのに覚えていないとか? いや、そんなことないよね、さすがにその話を聞いたら覚えているだろう。

 混乱していると、湊君は真顔のまま話を続けた。


「うん、小さい時に。俺、色々あって母親とは離れて母方の叔父に引き取られたんだ」


 知らなかった。っていうかすごい複雑な家庭、ってこと?

 あぁ、この感じ。私が親の事を人に話した時に流れた雰囲気だ。

 この気まずい雰囲気、慣れているはずだけど逆の立場になるとどう声をかけたらいいのかわからなくなる。


「そんな話、初めて聞いた」


 考えて、出た言葉はそれだけだった。

 私は親が死んで天涯孤独になったけど……

 湊君は両親が生きているけど、ふたりとは一緒に暮らしていなくて親戚に引き取られた、ってことよね?

 母親と離れるっていったい何があったんだろう?

 でもそれは、聞いていいことではないと思い、私は黙り込むしかできなかった。

 重い空気が流れる中、湊君はホイル焼きをのせたお皿にポテトサラダをのせている。

 そして彼は私の方を見て、会話には似合わない笑みを浮かべて言った。


「こういう空気になるからね。それに詮索されたくないし」


 う……それはすごくよくわかる。

 この重い空気、私はお母さんが死んだときから何度も味わってきたものだ。だからすごくよく知っている。


「そうだね、うん、よくわかる。私もこの空気、何度も味わってきたから。ごめんね、言えない話ってあるよね」


 私もこの空気が嫌だから、両親のことあんまり話さないからな……自分から進んでする話でもないし。

 今まで湊君が話してこなかったってことは、けっこう複雑な事情があるって事よね。


「謝る事じゃないと思う。俺からふったわけだし。綾斗が兄なのは事実だからね。父親とは連絡取ってないけど、兄とは連絡取ってるんだ。父とはあんまり仲よくないみたいで」


 そうなんだ……うーん、突っ込みにくい話だ。


「そっか……複雑なんだね」


 なんか気まずく思いつつ、私はご飯をよそう。そしてお茶碗をカウンターに置いて、味噌汁を用意する。豆腐とねぎの味噌汁だ。

 それに、サラダとコロッケだ。


「まあね。だからあんまり話さないんだ。親のことあまり知られたくもないし。綾斗と何人かで事務所辞めるかも、とは聞いたけど、そうなの?」


「え? あぁ、うん。七人中三人が事務所抜けることになって、それでどうなるか、っていうのはわかんないけど……」


 そして私はカウンターキッチンの向こう側に回り、ごはんと味噌汁をお盆に載せて、食卓……ではなくソファーの前にあるテーブルに運ぶ。

 やっぱり食卓、欲しいなぁ……

 でもほんとうに必要か、と言われると微妙に思って言い出せていない。

 私はテーブルに味噌汁と茶碗を置いて、お盆を持ってキッチンまで戻る。そしてカウンターに置かれたおかずがのったお皿をお盆に載せた。


「そうなんだ。あんまり俺、興味がないけどなんか綾斗が連絡してくるんだよね」


 なんだか不思議な感じだな。あんな有名人の身内がこんな身近にいて、しかも皆が知らない話を知っているって。


「その人が出る映画の試写会に私、誘われてるんだよね。たぶんきっと、大騒ぎだよ」


 そう思うとちょっと憂鬱になる。

 私は人が多いところは好きじゃないから。しかもマスコミがたくさん集まる、と思うと一気に憂鬱さが増していく。

 でも映画は見たいし、試写会っていう行ったことのないものには行きたいからな……

 今回は好奇心の方が勝る。

 しかも伏見綾斗が湊君の兄弟だって聞いたら尚更興味が増してきた。


「湊君はそういう試写会に誘われたりしないの?」


「誘ってくるけど断ってる」


 そして彼はエプロンを外し、麦茶が入ったカップを持ってこちらにやってきた。


「外に出るの、面倒だし」


 そう言った湊君の顔は、本当に嫌そうだった。


「俺は綾斗みたいに目立ちたくないし」


 そしてため息をつき、湊君はソファーに腰かけた。

 まあ目立ちたくないよね。

 兄弟、って言われてみれば確かにちょっと似てるかも?

 でもすごく似てるわけじゃないしな……

 伏見綾斗はどちらかっていうと中性的だし。

 湊君と雰囲気が違う。それは育った環境が違うからかな。


「まあそうだよねぇ。でもなんで脱退なんてしたのかなぁ。その辺の理由が全然公表されてなくって、ファンの人たち悶々としてるみたいだけど」


「その内自分から喋るんじゃないかな。ねえ、早く食べよう、灯里ちゃん」


 これ以上話したくはないらしい湊君に促され、私もソファーに腰かけて手を合わせた。


「そうね、いただきます」


「うん、いただきます」

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