「あ、森崎さん、篠田さん」
食堂まであと少し、というところで背後から声がかかり、振り返るとそこには鍵村さんがいた。
彼の姿をみて、変な緊張が走って私の身体をこわばらせる。
彼は爽やかな笑みを浮かべ、手を振りこちらに近づいてきて言った。
「セプトリアスの話驚いたねー。来月の映画の試写会、取材の問い合わせが増えてるって」
あぁ、やっぱりその話題ですよね。
伏見綾斗が分裂騒動後に初めて公の場に現れるのがその試写会ってありそうもんね。
そんな日の試写会に私、行くのかぁ。
ちょっと憂鬱になってくる。でも試写会には行きたい。だって行ったことないから。
「あぁ、うちが関わってる映画の試写会、来月でしたっけ」
そう言って、千代は人差し指を立てて顎にあてた。
すると鍵村さんは頷く。
「そうそう。関係者枠で俺も行くんだけど、すっごい騒ぎになっちゃったよ」
そして鍵村さんは苦笑した。本当に誰も知らなかったんだろうなぁ。広報の人たち、大変そうだ。
そして彼は私の方を見て言った。
「だから森崎さん、来週の試写会、ちょっと騒がしいかも」
「あれ、灯里は試写会に行くんだ。私も誘われたけど用事あって行けないんだよねー」
と、千代は残念そうな顔になる。
「あ、そうだったんだ」
ってことは鍵村さん、私だけに声をかけたわけじゃなかったんだ。それを知って少し安心する。
「彼氏大丈夫なの?」
と、からかうような口調で千代が言い出して、ボン、と顔が熱くなるような感じがした。
私は慌てて千代の腕をつかみ、
「ちょ、ちょっと急に何言い……」
そこまで言って、千代が私にわざわざ湊君の話を振ってくれた、って事に気が付く。
私はおそるおそる鍵村さんの方を見る。
今まで付き合ったり好意を向けてきた相手と同じなら、こんな話を聞いたら豹変すると思う。いや、人前じゃあそんな態度とらないか……
びくびくして様子を見ると、鍵村さんの表情に変化はなかった。
あれ、大丈夫……なの?
「あ、森崎さん彼氏いるんだ」
そう言った鍵村さんの顔はいたって普通だった。
あ、あれ? どうなるかとビクビクしてたんだけど……あれ? 何にも言ってこない?
話しを向けられて私は、ひきつった笑みを浮かべて頷いた。
「あ、あ、あの……はい。そう、なんですよー」
そして頭に手を当てる。
内心ドキドキが止まらないんだけど……だ、だ、大丈夫、かな? 鍵村さん……
でも変わった様子、ないしな……じゃあ大丈夫、なんだよね?
「あ、もしかしてあのイラストレーターの?」
聞かれたことに私は黙って頷いた。
まあそう思うよね。すると鍵村さんは何度も頷き、
「あぁ、やっぱりそうだよねー。そう思ってたよー」
なんて言う。
……これはもしかして何もない? 何も起きない?
ドキドキしていると、鍵村さんは時計を見て言った。
「あ、もう結構時間経っちゃってる。早くご飯食べよう」
「そうですねー、私今日は超ハンバーグな気分なんですよー」
千代が答え、鍵村さんと食堂に入っていく。私はお弁当が入ったバッグの紐をぎゅっと握りしめてふたりの後を追った。
今日もお昼は鍵村さんと千代と、途中ななみが来て一緒に食べた。
鍵村さんに湊君のことがバレてどうなるかとドキドキが止まらなくて、ごはんの味はよくわからなかった。
話題の中心はセプトリアスの分裂騒動だったし。
食堂で、泣きながら話している人、いたなぁ……
食堂を出て鍵村さんたちと別れた後、私は千代の腕をガシっと掴み、こそこそと尋ねた。
「ねえ、全然なんにも言ってこないけど普通ってそういうもの?」
「え? あ、え?」
驚いた顔をして千代はこちらを見て、ちょっと考える顔をした後、頷きながら言った。
「あー、もしかして鍵村さ……」
「ちょっと声大きいって」
千代の声が大きくて、私は慌てて辺りを見回す。
鍵村さんの広報部はフロアが違うから、近くにいることはないと思うけど……
誰かに聞かれたらなんか嫌だ。
千代は笑いながら、
「ごめんごめん」
と言い、辺りを見回して言った。
「でも大丈夫だって。誰も聞いちゃいないから」
「そうだろうけど……ねえねえ、大丈夫、だよね? 鍵村さん、豹変したりしないよね?」
今まで付き合いのあった男性の事を思い出すと、これで豹変しないって考えられないんだよね。
いつも大丈夫、と思いながら付き合いを深めたりしていたんだけど、皆どんどんおかしくなって言ったから。
すると千代は何度も頷き、真面目な顔して言った。
「大丈夫だって。普通の人は追い掛け回したりしないし、しつこくメールも送ってこないし、電話もしてい来ないって。そもそも鍵村さん、以前に付き合ってた女性、いるはずだけど、変な話は聞いたことないしね」
そうだよね、大丈夫だよね。
だめだ、自分に好意を向けてくる男性ってだけで、メンヘラ化するんじゃないかって心配になってしまう。
湊君は大丈夫だし、鍵村さんも大丈夫……だよね。
「だから大丈夫だって。自信持て、と言われても難しいだろうけど。そうそうおかしな人はいないって」
「そう、だよね。うん」
そうそうおかしな人はいないと思って、今まで付き合ってきたんだけど……全部が全部おかしな人だった私っていったい何なんだろうな……そういう人をひきつける何かがあったのかな……
いらないんだけどな、そういうの……
そう思ったらなんだか虚しくなってしまい、千代と別れて自分のデスクに戻った私は、大きくため息をついた。