千代と別れてマンションに帰り、私は部屋でひとり鍵村さんにどうやって湊君の事を話すか考えていた。
いきなり言ったら変だよねぇ……自然な流れで言いたい、でも自然な流れって、何……?
湊君のことを伝えて、鍵村さん、豹変したりしないかな、大丈夫かな……という心配が先に立ってしまうのは、今までの経験のせいよね。
だって昔、告白されて断ったら、罵詈雑言浴びせかけられたことあるし……
「普通の人はそんなことしないよ」
と、千代が言っていたけど、鍵村さん普通の人……なんだよね? もう普通がなんなのかよくわかんなくなってきた。
普通の人ってなんだっけ……?
あー、考えれば考えるほど怖くなる。
だって今まで関わった男性を基準に考えたらストーカーは普通だし、逆上もありうるんだもの。
そう思うと私、どういう人生を歩んできたんだろう……ちょっと気が重くなってくる。
普通の人はそんなことしない、普通の人は大丈夫。鍵村さんは普通の人、なんだから。だって湊君だってちょっとおかしいけど大丈夫じゃないの。
私のこと、心配してくれてストーカーから助けてくれたんだから。
だから大丈夫だよね。
十一月のイベントのこと、声かけられたけど曖昧にしてしまったから、それを断るのに湊君のこと、ちゃんと話そう。
あー、そう思うのに身体が震えてきちゃう。どうしよう……
私、苦手意識持ちすぎじゃないの? 好意を向けてくる男性って今までろくな人、いなかったからなぁ。
ひとり、部屋で百面相をしているとドアを叩く音がした。
びくぅ! 大げさに身体が震えたあと私は、
「は、はい!」
と、裏返った声で返事をしてしまう。
いや、驚きすぎでしょ、私。でも心臓はバクバクいっている。
ドアを見つめていると、こちらの様子をうかがうかのようにゆっくりとドアが開いて、その隙間から湊君が顔だけをいれて覗き込んできた。
「……夕飯になるけど灯里ちゃん、大丈夫? 変な声したけど」
「え? あ、うん、だ、大丈夫だから」
言いながら私は立ち上がり、ドアへと近づいた。
でもその声はやっぱり震えていて、自分でも明らかにおかしいと感じる。
案の定、彼は納得していないような顔をして、私の顔をじっと見た。
「また何かあったの?」
そう言った湊君の表情が、みるみる不安の色を帯びていく。
そんな心配かける様なものではないんだけど、なんて言おうかな。心配させるのも嫌だし……
私は目を伏せて、どう説明をしようかとしばらく考える。
そんな話す内容じゃないと思うけど……うーん……
ぐちゃぐちゃと考えて、私は顔を上げた。
「えーと……ほら、私、湊君のこと、恋人です、ってなかなか人に言えなくて……それでちょっとね」
と言い、私は頭に手をやってへらへらと笑う。
笑って深刻な話じゃないことを伝えたかったんだけど、通じたかな。
すると湊君はほっとした様な顔になって言った。
「あぁ、そういうことなんだ。よかった、またストーカーにでもあったのかと思った。この間の事もあるし、今までのこと考えたらほら、灯里ちゃん、変な人に好かれやすいから」
そんなストレートに言われるとちょっと傷ついちゃうんだけど。でも事実だから言い返せない。
「それはないよー。そうそうストーカーになんてあわないって。ただあの……」
そこで私は言葉を切って湊君の顔を見た。
鍵村さんのこと言ったらダメかな? あんまり異性の事を言うのはよくないと思うし、私はあんまり聞きたくないって事、湊君に言ったしな……どうしよう。でも言わないのはそれはそれで信頼関係がない感じがして嫌だな。
黙ってしまうと湊君は不安げな顔になり、私の手をそっと取る。
「なにか心配なことでもあるの?」
「え? あ、う、うん……まぁ……」
そこでまた言葉が途切れてしまう。鍵村さんの話をしようと思うと躊躇してしまう。
話していいのかな。湊君、豹変したりしないかな。私、心のどこかで彼を信じきれていないのかな。それはそれで嫌だ。
大丈夫だよ、湊君は大丈夫なんだから。
そう自分に言い聞かせ、私はちょっと笑いながら言った。
「あの、会社の人からアプローチ受けてるみたいで、どうしたらいいのかよくわかんなくってそれで悩んでたっていうか」
「それって大丈夫な人なの?」
湊君の表情に不安の色が濃くなり、私の手を握る手に力がこもる。
まあそう思うよね、湊君は今まで私が男性とどんなことがあったのかを知っているんだから。
いつかは黒歴史になるのかな、これ。まだストーカーの事は最近の話だからしばらくは無理よね。
私は首を横に振って言った。
「普通の人だと思うよ? だってメッセージもそんなに来ないし、あとつけ回されもしないし、電話もないし」
「普通の人はそんなにしつこくメッセージ送らないしあともつけないからね」
その湊君の言葉に私は何度も頷いた。
そうだよね? だから大丈夫だよね?
私は何度も自分に言い聞かせた。
きっと、次の出勤の時に会社で会うだろうからその時、湊君のことちゃんと言おう。普通の人なら話して大丈夫、だよね?
「だから大丈夫だよ! ごめんね、いろいろと考えすぎちゃって」
ははは、と笑いながら言うと、湊君は顔を伏せた。
あれ、どうしたんだろう。私、おかしなこと言ってる、かな? やっぱり異性の話はまずかったかな。
「ご、ご、ごめんね。他の異性の話なんてダメだよね。わかってるから、うん、もうしない」
慌てて言うと、湊君は顔を伏せたままうーん、と呻った。
「……うん、そうかな……そうかも」
そして湊君はハッとしたような顔をしてこちらを見た。
「もしかしてこれ、俺が異性の話をするの、灯里ちゃんが嫌がった理由なのかな」
なにかに気が付いた、という感じの顔で彼は見つめてくる。
えーと、どういうこと? 確かにそういうことを言ったけど。あれは湊君が基本、異性と寝た話ばかりになるし、聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるっていうのもあるんだけど。
意味がわからずきょとん、としていると湊君は言葉を続けた。
「なんだかモヤモヤするんだよ。灯里ちゃんが会社の人の話をしたり、出かけたりすると。でもその理由がよくわからなかったから。前に灯里ちゃんが、異性の話をするのはよくない、みたいなことを言ってたでしょ?」
「うん、確かに言った」
それはとても覚えてる。
だから私、この話をするかどうか悩んだんだから。
「その理由、よくわからなかったけどこういう理由なのかなってちょっとわかったかも。なんか嫌なんだよ」
湊君は私をまっすぐに見つめてそう言った。
それって嫉妬なんだろうな。でも湊君、そういう感情がわからないのか……
なんだか不思議だ。嫉妬なんて恋の場以外でも抱きそうな感情だけど。
「今までそういう感情って、持ったことないの?」
不思議に思いつつ尋ねると、湊君はうーん、と呻って視線を下に向けた。
「どうだろう……よくわかんないかな」
そして首を傾げる。
そうなんだ。絵を描いていたら同じ絵を描く人に対して嫉妬、抱きそうなものだけど、そういう感情が希薄なのかな?
嫉妬って誰でも持っている感情だと思うし、私にだってある。湊君が嫌がることはしたくないし、会社の人との付き合い方は今まで通りってわけにはいかないよね。
私は頷いて言った。
「そうだよね。嫌だって思うよね。仕事の付き合いは除いて、個人的な付き合いは止めるわ。ちょっと困ってるし」
「あ、でもほら、お互い人間関係には口出ししない約束でしょ? 無理強いはできないよ」
そして湊君は首を横に振った。
そうか、言いにくそうだったのはそれが理由なのね。
確かにそう約束している。だって束縛したくないしされたくないから。でも嫉妬するのは当然だと思うし、普通のことだと思うから、鍵村さんに好意を抱かれているなら余計に気をつけないとね。
私は首を横に振ってその言葉に答える。
「大丈夫大丈夫。お互い嫌なことはちゃんと言った方がいいし、言えた方がいいよ」
そう私が言うと、湊君はほっとした様な顔になる。
たぶん信頼関係があればそういうのは口にできるんじゃないかな。恋人ならなおさら、嫌だ、ってことは口にできないと対等じゃないって思う。
湊君はちょっと考えた後、頷きながら言った。
「あぁ、そうか、そうだよね。嫌なことは言わないと伝わらないもんね」
「そうそう。言ってくれてありがとう。ごめんね、嫌な思いさせて」
私は湊君の手を握り返すと、彼はびくっと震え、驚いた顔になる。
……あれ、何かおかしなことしたかな?
不思議に思っていると、湊君はふっと笑い、
「大丈夫だよ」
と言って、私の手をひく。
「夕飯早く食べよう。今日は煮込みハンバーグとシチューだよ」
「あー、確かにおいしそうな匂いがする」
廊下に出るとデミグラスソースと思われる匂いが漂ってきて、お腹がぐう、と鳴った。