そしてまた、一週間が過ぎた九月二十二日日曜日。
今日、私は千代と一緒に駅の周辺で買い物をして、今チェーンのカフェに入ってケーキとコーヒーを楽しんでいる。
最近やっと、近所に出かけても大丈夫って思えるようになってきた。
会社の行き帰りに帽子とマスクをするのはまだやめられないけれど。
だから今も私は帽子を目深にかぶっている。
ゆったりとした音楽が流れる店内は、今が昼の三時前、ということもありそこそこ混んでいた。
カップルや学生たちが楽しそうに談笑しながら思い思いの時間を過ごしている。
「ねえ、千代」
「何?」
私は身を乗り出して、声を潜める。
そんな私を不思議そうな顔をして千代は見つめた。
「最近ね、気になっていることがあるんだけど」
「うん」
私につられてか千代も前に乗り出してくる。
「鍵村さん、やたらと話しかけてこない?」
ここ二週間くらいのことだろうか、数日に一度は鍵村さんからメッセージが届くし、お昼の時間がかぶればなぜか同じテーブルにやってくる。
ななみや稲城さんが一緒なことが多いけれど。
それに社内で会えば必ず声をかけてきて、数分間の雑談になる。
その時に我妻さんの事を聞くことができたわけだし、十一月に出掛けないかと誘われたわけだけど。
さすがにおかしくないだろうか? まさかまたストーカーになりかけてるとか? それだったら嫌だなぁ。
そう思って千代に聞いてみようと思ったんだ。
千代は私の問いかけに苦笑いを浮かべて頷いた。
「そうねぇ、あれ絶対灯里に気があるでしょ? だめだよー、彼氏いるんだからその辺ははっきり言わないと」
千代に言われた言葉の意味がわからず、私はしばらく沈黙して彼女を見つめた。
……気がある? 誰が?
私は冷たいカフェオレが入ったグラスを握りしめたまま、じっと、千代を見つめた。
店内のざわめきがどこか遠くに聞こえる気がする。学校での話とか、動画の話、家族の話とか色んな会話が聞こえてくる。
私は千代に言われた言葉を頭の中で繰り返した後、
「え?」
と言って目を見開く。
誰が誰に気があるって?
千代はフォークを握りしめ、
「え?」
と、驚いた顔になる。
何とも言えない沈黙の後、千代は呆れた顔で言った。
「まさか気が付いてなかったの?」
はい、わかりません。全然心当たりがないもの。私は頷きそして、
「うん、っていうかそんなことないと思うんだけど」
そう答え、カフェオレに口をつけた。
苦くて甘いカフェオレが、私は大好きなんだ。っていうか甘くないと飲めないだけなんだけど。
私は千代に言われた言葉を頭の中で何度も繰り返した。鍵村さんが私に気がある? なんで? どうして?
疑問が頭の中にどんどん浮かんでいく。
まさか本当にストーカーになりそうとか……いや、それはないな。後をつけられたりはしていないし、しつこくメッセージが来るわけじゃないし、時々だし……
「え、でも後つけてきたり言い寄ってきたり、一日に何度もメッセージきたりしてないよ?」
真顔で言うと、千代は呆れた顔になって言った。
「そういう事をするのは異常な人。普通の人はそんなことしないよ。まあ顔を合わせたら嬉しいから話かけるくらいはするでしょうし、そこで徐々に自分の事を知ってもらってハードル下げていくものだと思うけど?」
普通の人、という言葉が地味に突き刺さる。普通、なのか……あれが普通……
私、変な人にばかり好意を向けられてきたからなぁ……
普通がわからないかもしれない。
「え、でも私……いるし……」
消え入るような声で言うと、千代は何度も頷きながら言った。
「でしょ? なのに飲み会の時、イラストレーターの彼のこと、ちゃんと彼氏だって言わなかったでしょ?」
言いながら千代はびしっと、私を指差してきた。その指摘が私の心にぐさり、と刺さる。
確かにそうだ。私は鍵村さんに湊君のこと、彼氏だって言えなかった。それはちょっと気にはなっていたけど、まさかこんな展開になるなんて思わなかったんだもの……
千代はカフェモカをひと口飲んだ後言った。
「だから期待持っちゃったんじゃないの? ねえ、絶対ちゃんと言った方がいいと思うよ」
「え? で、でも今さらどうやって言ったら……」
いきなり、私彼氏います! って宣言するのもおかしくないだろうか。っていうかそんなの恥ずかしくて言えない。
困る私を見て千代は、そうねぇ、と呟きケーキを食べる。
「実はあの人、私の彼氏なんです、って言えばいいだけじゃないの?」
「そ、そんなの恥ずかしくて言えないって」
「何で?」
私の言葉に、千代は驚いたような顔になる。何で恥ずかしいんだろう。
……いや、恥ずかしいから恥ずかしいんだよね、それに理由はいらないと思う。
「は、恥ずかしいからよ」
「うーん、そうかぁ。でも私たちもう二十五でしょ? とっくに結婚できる年齢なんだし、恋人がいるのなんて普通じゃないの」
「いやまぁそうなんだけどね」
それは多分、私が今まで恋人にいろいろされてきたせいだと思う。
恋人は等しくメンヘラ化し、ストーカーになったり暴力を振るってきたからだ。つい最近だって、恋人になる前にストーカーされた。
そして湊君はストーカーから助けてくれた。だからってわけじゃないけど、湊君は今までの恋人とは確実に違うし、私が嫌がることは本当に何もしてこない。
私が湊君を恋人だ、って言えないのは自分に自信がないからだろうな。湊君の恋人でいられる自信が。契約だけど、恋人として過ごすって約束したのに。
思わず俯いて考えていると、
「おーい、灯里。何考え込んでるの?」
という、心配そうな千代の声が聞こえてくる。
私は顔を上げ、へらへらと笑って答えた。
「いや、ほら、私、今まで恋人関係でろくな目にあってこなかったから……だからなんていうか、自信ないんだなぁって」
「あー……私と知り合った後も男関係でいろいろあったし、先月だってストーカーにあってたんだもんね。すぐには意識、変えられないよねぇ」
そして千代は頬杖をついてため息をつく。
それはそうなのよね。今まで異性関係に関しては私、本当にいろいろとあり過ぎた。
「そうそう。湊君は大丈夫だと思うんだけどね。中学から知ってるし、変なところはあるけど、暴力もないしむしろ優しくて怖くなるくらいだし」
なんといってもストーカーから逃げるのを助けてくれたのは大きい。
なのに私、湊君のこと、信じきれないのかなぁ。それはそれでよくないと思う。今は一緒に暮らしているのに。
「そうねぇ、そういうのって彼との色んな経験の積み重ねで変わっていくんじゃないかなぁ」
「積み重ねかぁ……」
千代の言葉を受けて呟くと、彼女は、うんうん、と頷く。
「そうそう、自信っていうのは経験の積み重ねで形成されていくものだと思うんだよね。灯里は男関係でろくな目にあってこなかったからまだ自信が持てないんだろうけど。でも今彼と普通に過ごせてるわけでしょ? だから時間が解決していくんじゃないかなぁ」
「時間ねぇ……」
自信は経験の積み重ねで形成されていく。それには時間がかかるか……そうね。きっと、湊君とたくさんの時間を積み重ねていけたら私、変われるかな。
「そうね。私、湊君と一緒にたくさんの時間を過ごして、自信を持てるようになりたいなぁ」
「大丈夫なんじゃない? たぶんだけど。だから今までできなかった恋人としての付き合いたくさんしなよ? 人生は短いんだから、楽しまないと」
そして千代はケーキにフォークを突き刺した。