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第44話 エンカウント

 九月八日日曜日。

 太陽はまだ強く自己主張していて、外を歩くとじんわりと汗がでてくる。

 よかった、ショッピングモールを選んで本当に良かった。だって、どこか野外を選んでいたら暑い思いをするから。

 屋根がある所でも私はマスクに帽子を忘れない。

 だって、ストーカーに目撃されたら嫌だもの。接客業なはずだし、日曜日は仕事だろうけどまだ警戒はしておいた方がいいと思うの。向こうの行動範囲は知らないけど。

 日曜日のショッピングモールはとても混みあっていた。

 なかなか駐車場に車を停められなくてけっこうさまよってしまった。


「日曜日のショッピングモールって久しぶりに来たけどすごいねー」


 屋上駐車場からお店のあるフロアに下りたつなり、湊君は辺りを見回す。

 家族連れにカップル、中高生の集団などが楽しそうに行き交っているのが視界に映る。

 まあ遊びに行く場所なんて限られているし、外は暑いから屋内で遊べる場所に集まるのは当然よね。


「そうねぇ。人多いよね」


 たくさんの人の数に普段ならげんなりするところだけど、こういう所に来るのは久しぶりなのでそこまで気にならなかった。

 私は湊君の顔を見上げて言った。


「湊君はどこか見たいところある?」


 そう尋ねると、彼は肩をすくめる。


「特にはないかな。灯里ちゃんが見たい所ならどこでもいいよ」


 そう答えて彼は笑う。それはもう、とてもいい笑顔で。いや、それもどうかと思うけれど。

 私が見たい所かぁ……とりあえず……


「文房具と服かなぁ。あと本屋行きたいかも」


 考えながら言うと、湊君は頷き、


「うん、いいよ、それで」


 と言った。

 このショッピングモールは三階建てで、横に長く端から端まで歩くと結構な距離がある。

 本屋さんは二階の端のほうだし、服屋さんは一階の中央辺りだ。

 まず一階までおりて服屋さんで新しいカットソーを買い、本屋さんに立ち寄って本を買うとさすがに疲れてしまう。特に湊君は普段あまり外に出ないからかすぐに疲れが顔に出た。でも疲れた、とは絶対に言わないんだよね。


「けっこう歩いたしカフェに行こうか」


 そう提案すると湊君はほっとしたような顔で頷き、


「そうだね」


 と答えた。まあ、ここからカフェまでもけっこう歩くんだけどね。

 カフェは一階の、服屋を通り過ぎた先にある。

 一階まで下りてカフェに向かって歩いているときだった。


「湊」


 どこかで聞いたことのある女性の、嬉しそうな声がした。それに驚き声がした方を見ると、そこにはジーパンに淡いピンク色の半袖シャツを着た、明るい茶髪に一重の瞳の綺麗な女性が立っていた。年齢は多分私と大して変わらないと思うんだけど、近寄りがたい感じがする。

 あ、この人たしか、いつだったかうちの会社で会った人じゃぁ? あの時より化粧が濃いし私服だからちょっとイメージ違うけどきっとそうだ。

 名前何だっけ。この間、鍵村さんが名前、言っていたよね。確か湊君の絵を気に入ったって……

 彼女はにこにこと笑いながら湊君に近づくと、彼のすぐ目の前で立ち止まり腕を掴んで言った。


「急に関係終わらせるって言ってきたから驚いたわよ。ブロックするなんてひどくない?」


 その言葉ですべてを察する。

 そうか、この人湊君の元セフレなんだ。

 うわぁ、存在を知ってはいたけどいざ目の前にするとざわざわしてしまう。

 私は彼女と湊君の顔を交互に見る。にこにこと張りつけたような笑顔の女性に対して、湊君は真顔で彼女の顔を見つめている。そして、そっと腕を掴む手を外して抑揚のない、ても冷たい声で言った。


「どなたですか」


 その言葉に、ピーン、と空気が張りつめたような気がした。

 湊君、寝た相手の数なんて覚えてないって言っていたしワンナイトも当たり前、とか言っていたっけ。

 きっと寝た相手の名前すら覚えていないんだろうなぁ……

 呆れるを通り越して感心してしまう。

 いったいどうなるんだろう、と緊張してふたりの様子を見ていると、女性はにこにこしたまま言った。


「貴方らしいわね。我妻ひなこよ」


 そうだ、広告代理店の我妻さんだ!

 あーすっきりした。

 いやでもこれで初めて会った時なんだか怖かった理由、わかったかもしれない。

 この様子からすると彼女、湊君とそこそこの付き合いがあったのかな。でも突然関係を切られてブロックされて、怒ってるんじゃあないだろうか。

 その理由を私だと思っているのかもしれない。

 いや、その通りではあるんだけど。

 湊君は考えるように視線を泳がせた後、あぁ、と興味なさそうに呟く。


「寝た相手の名前ってあんまり覚えていられないから忘れてた」


 あぁ、やっぱりそうなんだ。それはそれで酷いと思うんだけど?


「連絡先まで交換したのに、酷いわね」


 我妻さんの意見に私は激しく同意してしまう。

 それってきっと、何度か関係を持ってるって事よね? 覚えていないって酷いでしょ、絶対。


「もう関係ないし」


 冷たく言い放ち、湊君は半歩さがって彼女から離れて行く。

 いやそうだけどさ、もう少し言い方ってないだろうか。見ている私がハラハラしてしまうんだけど。

 すると我妻さんの顔がこちらを向いた。

 顔は笑っている。でも目は笑っていない。赤い口紅の唇の端が綺麗に上がっているのがすごく怖い。

 あぁ、これが蛇に睨まれた蛙、ってやつなんだろうか。怖いよー……

 内心カタカタと震えていると、彼女は腕を組んで言った。


「貴方、この間スターライトマーケティングでお会いした方ですよね?」


 その言葉に心臓がぎゅっと、締め付けられたような感じがした。い、痛い、心臓がすごく痛い。マスクと帽子じゃあわかっちゃうのかな? いや、一メートルくらいまで近付いているからさすがにわかるか……

 よく一度しか会っていない相手のことなんて覚えてるなぁ。私、名前思い出せなくてモヤモヤしたのに。

 気まずい思いをしつつ私は小さく頷いた。


「はい、そう、ですけど……」


 我妻さんのことが怖くて、後半は消え入るような声になってしまう。


「貴方もしかして、湊と付き合ってるの?」


 そう問われ、私の心臓が大きく跳ねる。

 付き合っている。契約だけど。

 怯えつつ小さく頷くと、彼女は驚いた顔になった。これは本当に驚いているんだろうな。

 そして、すっと目を細めたかと思うと、顎に手を当てて吐き捨てるように言った。


「嘘でしょ?」


 まあそう思いますよね。湊君の言動を考えたら、どうあがいても誰かと付き合うなんてなさそうだもの。

 でも本当なんだ。

 我妻さんが私を見る目がすごく怖い。これ絶対、湊君がブロックしたのを根に持ってるしそれを私のせいだ、と思ってるよね?

 それはそれで迷惑なんだけどなぁ……

 どうしたらいいかわからず戸惑う私の腕を、湊君ががしり、と掴みそして身体を引き寄せてきた。

 ふわり、と香る、この間とは違う柔らかい匂いにドキッ、としてしまう。これ、香水よね?

 驚いて湊君の顔を見上げると、彼は我妻さんの方を冷たい視線を向けて言った。


「そういうことだから俺、今貴方に何の興味もないんだ。それじゃ」


 そう、毅然とした声で言い、私の腕をひいて湊君はスタスタと歩き出す。

 もう少しあの人に優しくしてもいいんじゃないかって思うけれど、これが湊君の接し方なんだろうな。

 本当にもう、あの人に興味はないんだろう。彼の人間関係に口出すつもりは全然ないけれど複雑な思いがする。

 だって、あの人と関係もっていたわけよね? もしかしたら一度ではなかったのかも。だとしたらねぇ……割り切った関係だったのだろうけど、あちらには特別な感情があったのかも。

 まさかブロックされて関係を切られる、という思いはなかったのかな。

 私、何にもされないよね? 大丈夫だよね? 私自身が広告代理店と関わることなんてないから大丈夫だろうけど。あの人が仕事に私情を持ち込むような人じゃなければいいんだけどな。

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