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第40話 そのあと

 飲み始めて一時間近く経っただろうか。

 店内にお客さんの数は増え、ざわめきが大きくなっている。

 いい感じに皆お酒がまわってきて、ななみは千代と稲城さん相手に映画について長々と語っていた。


「夏休み映画、いくつか見たんだけどアニメ映画には泣かされちゃったぁ」


 と、ななみが言い、本当に泣き出したりしている。

 それを横目で見つつ梅酒を飲んでいると名前を呼ばれた。


「ねえ森崎さん」


 私の向かいに座っている鍵村さんに名前を呼ばれ、私はグラスを握りしめたまま言った。


「なんでしょう?」


「森崎さんはなんでこの会社に入ったの?」


「私、ミステリーとかサスペンスが好きで、そういう作品を作るのに携わりたいなーって思ってこの会社、選んだんです。映画会社とかは全然だめだったんですよねぇ」


 そう答えて私は梅酒を口にした。

 就職活動の時映画会社とか制作を行っている会社を受けはしたんだけど全然

 すると鍵村さんはポテトを摘まんで言った。


「へぇ、そんなんだ。じゃあ、将来は広報とか制作部に移りたいってこと?」


「はい、そうなんですけど。広報とかって人気じゃないですか。志望したけど入れなくって営業にいるんです。今の仕事も色んな情報に触れられるから楽しいですけど」


 今って、自分から情報を取りにいかないと情報を得られないんだよね。

 興味のない情報ってなかなか入ってこないし。

 今の職場だと私はあんまり興味がない映画や音楽の情報が入ってきて、新しいアーティストやアイドルを知ることができる。

 それで興味をもって音楽聞いたり映画見たりするんだよね。

 だからこの仕事は好きだ。

 私の返答を聞いて鍵村さんは笑顔で頷いた。


「わかるわかる。情報にいち早く触れられるし、色んな映画やドラマとかがあるの知ることができるしねぇ」


「鍵村さんはなんでこの仕事選んだんですか?」


「大学生の時映画研にいたんだよ」


 と言い、鍵村さんは何かを思い出すような目でビールが入ったジョッキを見つめる。

 ジョッキの中で泡が浮かんでは弾けていく。

 鍵村さんは懐かしそうな顔をして言った。


「サークルの皆で映画作ってたんだよ。恋愛映画とか、SF映画とか。だから作る側にいきたかったんだけど、でも駄目で、それで映画制作もやってるこの会社に入ったんだよね」


「SF映画も作ってたんですか? すごくないですかそれ」


 大学のサークルでSF映画なんて作れるんだ。

 驚いて聞くと、鍵村さんは照れくさそうに笑う。


「うん、まあ大学のサークルだからそんな凝ったものは作れないけど、CG使ったり、段ボールで工作したりして楽しかったなぁ」


 そして鍵村さんは遠い目をした。

 楽しそうだな、皆でなにかを作るのって。

 私、そういうことなかったなぁ。学生時代の事を思い返してみると、男関係でろくな目にあわなかった思い出ばかりが出てきてしまう。

 あー、忘れたい。

 でもストーカーのことだって先月の話だしなぁ……

 ホームズのドラマすら見るの嫌だし。好きなんだけどなぁ、イギリス制作のドラマ……


「だから俺、今広報で映画制作に関われるから楽しいんだよね」


 と言い、鍵村さんは満面の笑みを浮かべる。

 本当に仕事楽しいんだろうなぁ。いや、私も好きだけどさ、今の仕事。でも制作に関わりたい、っていう思いはある。


「だからほんと、あのイラストの件は助かったよー、ほんと困っていたから」


「あぁ、お役にたててよかったです。中学からの友達なんですよー」


 と答えたものの、なんだかむず痒い感じがする。

 彼氏、って言ってもいいんだと思うけど、なんだかそれを言えない自分がいる。

 恋人として過ごすって契約しているものの、でもそれって本当に恋人って言っていいんだろうか、って思ってしまうからだ。


「友達なんだ。てっきり彼氏なのかと思ったよ」


 笑って言われ、その言葉に心臓がずきん、と痛む。彼氏、なんだけど、一緒に暮らしているんだけど、そうです、って言えないの何でかなぁ。自分に自信がないからだろうか。湊君、私がストーカーにあったことで色々してくれたのにな……

 今まで付き合った相手はろくな相手じゃなかったから、私、心のどこかで怖い、って思ってるのかもしれない。

 私は鍵村さんの言葉に曖昧に笑って誤魔化してしまう。


「あはは」


 そして私は梅酒を飲み干した。とりあえず飲もう。だって今考えても何も答えはでないもの。

 恋人です、って言いたい気持ちと、私は本当に恋人になれているんだろうか、という不安と、でも契約だし……という思いが交錯している。 

 なんだか気持ちが沈んでしまっていると、鍵村さんが言った。


「そうそう、また彼に仕事を依頼することになったんだよねー」


「あ、そうなんですか?」


 湊君とはあんまり仕事の話はしないから初耳だ。

 仕事に繋がったのならよかったの、かな。


「この間会った、我妻さんが気にいってさー」


 鍵村さんの言葉に、心がざわってする。我妻さん……って、いつだったか会った広告代理店の人、だっけ。

 綺麗な人だったけどなんか睨まれた気がして、怖いイメージあるんだよねぇ。

 なんでだろう?

 でもまぁ、湊君の仕事になったならいいか。あの仕事は大変だったみたいだけど、あんな時間ないような仕事はそうそうないだろうし。


「そうなんですねー。仕事に繋がったならよかったです。あ、ななみ、おかわり欲しいー」


「あ、俺もおかわり欲しい」


 私と鍵村さんが手を上げて言うと、ななみがスマホを片手に言った。


「はーい、何飲むの? 他、欲しい人いる?」


 その言葉にバラバラと手が上がり、注文を口にする。

 それからまた時間が経った八時半ごろ、おひらきとなった。

 あー、けっこう酔ったかも。そう思いつつお会計を済ませて外に出ると、


「また飲みましょうねー」


 と言ってななみが笑いながら抱き着いてきた。


「もうななみー、なにするのよー」


 私も笑いながら言うと、ななみは顔をすりすりしてくる。

 そうだ、この子は酔うと抱き着き魔になるんだった。

 彼女はぎゅーっと強く抱きしめてくると満足したのか私から離れて、今度は千代に抱き着いている。

 千代は苦笑いを浮かべて、ななみの頭をよしよし、と撫でている。

 あー、私も酔ったなぁ。なんだかふわふわするし。風、気持ちいいなぁ。そんなことを考えながら空を見上げていると鍵村さんが声をかけてきた。


「今日は付き合ってくれてありがとう」


「私も、久しぶりに飲めて楽しかったです」


 そう答えて私は微笑む。家で飲むのもいいけど、外で飲むのも楽しいんだよね。

 お昼休みに外出るのも控えていたから、こうしてまた皆でワイワイと飲めるのはやっぱりいいなぁ。

 昼間はまだ暑いけど日が暮れるとやっぱり涼しいなぁ。

 湊君、ちゃんと夕飯、食べたかなぁ。

 なんとなく心配になってしまう。そう思ってスマホを手にすると、鍵村さんの声がした。


「ねえ、また誘っても大丈夫?」


 こちらの様子をうかがう様な顔で言う鍵村さんに、私は頷いて答えた。


「そうですね、また皆で飲みに行きましょうね。じゃあ私はこれで帰りますね」


 そう答えて私はくるり、と背を向ける。

 夕飯のこと大丈夫かなって思ったら心配になってきちゃった。


「うん、おつかれー!」


 という千代の声が背後から聞こえる。


「あ、森崎さん……」


 戸惑う様な鍵村さんの声が聞こえた気がするけど気のせいかな。

 私はバッグからマスクを出して顔を隠し、辺りを気にしながらその場を離れて行った。


「えー? 灯里帰るのー? 次行こうよー、ねえ鍵村さん来ますよね!」


 という、ななみが絡む声が聞こえてくる。ななみ楽しそうだなぁ。

 これは皆、二次会行く感じかな? そう思いつつ私は少し遠回りをしてマンションへと向かった。

 駅前の通りを、私と同じように酔った大人たちが楽しそうに駅へと向かって歩いて行く。

 どこかで虫の音が聞こえてくるけど、いったいどこにいるんだろう?

 見渡しても虫の姿は見えないけれど、こんなアスファルトとコンクリートばかりの所でも虫が現れるのってすごいなぁ。

 街路樹があるけれど。

 私は歩きながらスマホを操作し、湊君にメッセージを送る。

 時刻は八時四十五分。もう少し遅くなるかな、と思ったけど早く帰れそう。


『今から帰るけど、夕飯は食べた?』


 するとすぐに既読が付く。


『ちゃんと食べたよー。お昼のお弁当もありがとう』


 その言葉の後に、待ってるね、というスタンプが送られてくる。

 そのスタンプを見て、私は思わず立ち止まる。

 家に帰れば彼が待っている。

 当たり前なことで、特別なこと。

 嬉しさとむず痒さと、でもこれは一年で終わるんだ、という虚しさが一度に浮かんできてしまう。

 ……やめよう、そんなこと考えてどうするんだろう?

 契約は契約じゃないの。その間は恋人として過ごすって約束したじゃないの、私。

 そして私はメッセージを送る。


『どういたしましてー。人の作るって思うとやる気出るんだよね』


『それ、わかる』


 と返ってくる。

 よし、早く帰ろう。

 待ってくれている人がいるんだから。

 そう思い、私はスマホをバッグに放り込んで足早に虫がざわめく通りを歩いて行った。


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