午後。
席について仕事をしていると会話が聞こえてきた。
「『フリューゲル』の映像ディスクの予約は好調だ。映像の発売に合わせてアルバムの予約を開始するらしい」
フリューゲルは大人気の三人組男性アイドルだ。CDも映像ディスクも売れにくい世の中で、上半期だけで七十億円を超える売り上げをあげて、二位の女性アイドルの倍以上だ。
初回盤を複数出すのは当たり前、通常、初回盤全ての形態を購入すると特別な特典がつくっていうのがあったりして予約を伸ばすことがある。
やっぱりフリューゲルってすごいんだなぁ。
予約状況を調べてみると、フリューゲルのライブ映像、初回ブルーレイと初回DVDの予約数は他の作品に比べてけた外れだ。
ブルーレイとDVDを一緒に予約する人って多いしなぁ……自宅用と車で流す用でふたつ買うらしい。
ファンの情熱ってすごいなぁ。私、こういう仕事をしているけど、DVDとか殆ど買わないんだよね。だって、サブスクでほとんど見られちゃうし、何度も見たいって思えるほどの映画やドラマってあんまりないし。
音楽も、家で作業するときサブスクのランキングを流すくらいだ。
だからフリューゲルの音楽は、わりと耳にする。
あ、緊急情報メールが来た。
私は社内メールの、緊急、と書かれたメールを開き中身を確認する。どうやら今日の夕方から予約開始するCDがあるらしい。
添付ファイルに書かれていたのは、男性アイドルのKAINEのCD情報だった。初回限定盤が二種類に通常盤が一種類で、それぞれ特典が違う。
KAINEはフリューゲルに次いで人気のある男性アイドルだ。売り上げは三位だったはず。
辺りを見れば、皆慌てているのがわかる。こういう情報って、事前にわかることの方が多いんだけどなぜか情報解禁と同時に知ることもあるんだよね。特にフリューゲルとKAINEは直前まで情報を発表しない。
「で、数は? 限定はいくつまで確保できる?」
そんな声が聞こえてくる。
私は急いで各取引先に送るデータを作成する。
おかげで午後の業務は忙しく過ごし、あっという間に終業時間になってしまう。
私は千代と一緒に外に出る。
むわっとした空気が纏わりついて気持ち悪いし、すごく暑い。
「暑いねー。駅まで歩くのも怠いよね」
言いながら千代はハンディ扇風機をつける。
「持ってる人多いけど、それって涼しい?」
「あんまり」
って言いながら、私の方にハンディ扇風機を向けてくる。
出てくる風はむわっとしていて暑い。
それはそうよね、この熱気をそのまま風で送ってるだけだもんね。
「お店とかだといいけど、外だとあんまり役に立たないかなぁ」
「だよね。むしろ顔、熱くなりそう」
すると千代は、ははっ、と笑い扇風機を自分の方に向けた。
デパートに向かいながら、私はちらっと辺りを見回す。
辺りを歩くのは、会社帰りや学校帰りと思われる人たちばかりだ。
スマホを見つめたり、耳にイヤホンつけながら歩いている。
マスクや帽子を被っている人もそれなりにいて、朝見かけた人がいるのかはよくわからなかった。
あとつけられていたのは気のせいかな……
気のせいならいいんだけど、前にもこういうことあったしなぁ……
居心地の悪さを覚えながら私は歩く足を早めてスマホを取り出す。
湊君からの返信確認してないや。
見ると、お昼休憩が終わった直後位に返信が来ていた。
仕事中、スマホをあんまり見ないから気が付かなかった。
『うん、待ってるよー。灯里ちゃん、甘いの好きだったよね? 今でも変わんない?』
って書いてある。
私は甘いのが好きだ。チョコレートとかケーキとか大好きで、大学時代はケーキバイキングに行ったりもした。
カフェオレだって甘くしないと飲めないのよね。
『今でも好きだよ。湊君は特に好き嫌いないよね』
私の記憶の中で、湊君は好き嫌いがない。っていうか、特別好きなものとか嫌いなものがなかった気がする。
どちらかっていうとシンプルなものの方を好むかなーって感じだったような。
『うん、別に好きってないし、嫌いも特にないかなぁ』
そうよね、やっぱり。
シンプルで好みが分かれなさそうなお菓子選ぼう。
デパートの地下でお菓子を買いそのあと一階の催事コーナーで浴衣を見る。
千代とふたりで浴衣を見ながらあれこれ言っているとき、私はふと顔を上げた。
なんだろう、誰かに見られていたような……でもそれらしい人はいないし、不審な人、と言われたら全員不審者に見える。
だってマスクしてる人はそれなりにいるし、帽子を被っている人もそれなりにいる。
うーん、なんか気持ち悪い。
「灯里、どうかした?」
「え? あ、ううん、何でもない」
「ならいいけど。浴衣って色んな色や柄があるから目移りしちゃうんだよねー。これ、決まらないかも」
でしょうね。
去年も仕事帰りに浴衣を見に行ったけど、帯だけ買ってた気がする。
「浴衣は何着かあるから帯だけにするわ」
って言って。
浴衣って、中高生の時しか着たことないなぁ。本見ながら一生懸命練習したっけ。だから私、自分でなんとか着られるのよね。
「私も買おうかなぁ。着る機会ないけど」
「べつに私服で着たっていいんだし、気軽に着たらいいんだよー。私、着物と洋服を組み合わせて着たりしてるよー」
「そうなの?」
「うん、着物の方が色んな柄があって楽しいんだよね」
「あー、確かにそうね。洋服だとこういう柄って派手すぎるけど、着物だと花柄とか普通だもんね」
千代は着物が好きらしい。見た目はすごくロックっぽいからそれを聞いたときは意外に思ったなぁ。
結局千代は紺に白で金魚が描かれた浴衣を買った。
「これ、あのスカートと組み合わせて着たら可愛いだろうなぁ……でもワイドパンツと組み合わせるのもいいかも。それに半幅帯で……」
なんてぶつぶつ言っててちょっと怖い。
「わかったから、私、そろそろ電車だから行くよ?」
「あ、私も電車の時間やばいかも」
そう言って、千代はスマートウォッチを見た。
「じゃあ早く行こう」
そして私たちは足早にデパートを出る。
外は暗くなり始めていて、家路を急ぐ人たちが駅へと吸い込まれていく。電車、ぎりぎりかなぁ……
あれ……?
人の波の中に見知った顔を見た気がして、私は思わず振り返った。
一度だけ顔を合わせたものの、しつこいメールや着信が気持ち悪くてさっさとブロックした相手。本名は知らない。職場この辺だっけ? 違ったような気がするんだけど……
ここは大きな駅だし、あの人が通りがかったとしても不思議じゃないか。
そう自分に言い聞かせて私は駅へと急いだ。