放課後、部室には新海先生がやってきた。
「部室棟なんて初めて来たよ」
新海先生は、子どもの様にきょろきょろしている。普段保健室と職員室の往復しかしない彼女にとっては、この光景は珍しいのだろうか。
「それで、弥琴くんの話だっけ。久しぶりにその名前聞いたからびっくりしちゃった」
月影は、きちんと任務を全うしたみたいだ。
「弥琴くんは、確かに保健室に入り浸ってたよ。私が言うんだから間違いない。それにしても、何で卒業生のことを知りたがるの?」
ここで説明すると大変なことになりかねないので、航平の名前を出して誤魔化すことにした。
「橘航平くんと仲良くなりたいんですけど、中々相手にされなくて……そしたら橘弥琴って名前を出されて、憧れなんだって言われて……それでどんな人なのか気になって」
新海先生は、見定めるような目で俺たちを見ている。言っていることに嘘はないのだが、こんな突拍子のない話を信じるほど先生もお人好しではないだろう。
「橘航平くん、ね……。彼は保健室に来たことがないから、詳しいことは知らないの。ごめんね。その代わり、弥琴くんの働いている町工場はわかるからヒントならあげることが出来るけど」
ヒント。最大限の譲歩であることは全員わかっているはずだ。それに縋りたい気持ちも。
「この中だったら……月影さんの家が一番近いかな。後は、探してみて。すぐ見つかると思う」
その言葉の真意を理解できないまま、新海先生は部室を後にした。
「月影、心当たりがあるのか?」
彼女の住んでいる地域は、町工場が沢山ある。その中で一つを探し当てるのは、至難の業だろう。そもそも、新海先生の言葉はヒントなのだろうか。考えても仕方ない。
「とりあえず、月影の住んでいるエリアに行って探そう」
俺たちも部室を後にした。
***
とはいったものの、月影が住む鶴見は町工場だらけだ。この中から探すのはほぼ不可能ではないか。
「とりあえず、三手に分かれるか。俺と咲夜、望月と暁人、月影。いいか?」
「私だけ一人……ここの地理はわかっているのでいいですけど」
不満をたれる月影をよそに、俺たちは各方向に散った。俺と咲夜が探すのは、海側の工場地帯だ。仮に見つけられたとしても、写真を見たわけではないからわからないかもしれない。八方塞がりではないのか? と思っていたら、声をかけられた。
「その制服、月見野学園高校の制服だろ。どうしたんだ、こんなところで」
声をかけてきたのは大柄の男だった。筋肉隆々、胸板も厚い。赤色がかった茶髪は、見た目に頓着がないことがよくわかる。彼は煙草に火を点け吸った。
「俺は夢野獏っていいます。こっちは、星川咲夜。今、橘弥琴っていう人を探しているんです」
彼は、咥えていた煙草を落とした。煙草に点いていた火は、やがて消えた。
「橘弥琴は俺だけど。何か用なのか?」
こんな偶然がある物なのか。
「実は、橘航平くんのことで……」
「あいつ、何かやったのか?」
急に距離を詰めてきた。やっぱり弟だから心配なのだろうか。
「学校で上級生を舎弟にするとか……してますね」
「あいつは昔から俺の真似ばっかりしてたけど……そんなことしてたのか」
弥琴は溜め息を吐いた。あなたも番長だったんだよな? の一言はぐっと呑み込む。
「新海先生から何か聞いたりは?」
「いや、卒業以降会ってないし」
それはそうか。弥琴みたいなタイプの人間が、卒業後学校に顔を出すとは考えづらい。
「じゃあ、航平くんが悪夢を見ているっぽいことも気がついてないんですか?」
咲夜の言葉に、目を見開く弥琴。これは、気がついてないな。
「マジかよ……夢の中くらい、楽させてやりたいんだけどな……」
弥琴は話し出した。自分と航平が片親であること。だから、町工場に就職したこと。自分の分の学費を、弟にまわそうという訳だ。航平には、苦労をかけたくない——そんな一心だったのだろう。だが、トワイライト・ゾーンはそんな感情さえも利用する。どこまでもあくどい組織だ。
「お前たちなら、航平を救えるのか?」
「勿論です。そのための俺たちですから」
夢の中に干渉できるのは、トワイライト・ゾーンと俺たちだけだ。
「迷惑かけるな。航平のこと、よろしく頼む」
頭を下げられてしまっては、こちらも困惑するしかない。
「と、とりあえず頭はあげてください!」
「そうか? 航平の悪夢退治が終わったら、何か奢ってやるよ。それくらいの余裕はあるからさ」
見かけによらず、そして前評判によらず良い人そうだ。町工場で揉まれたのかもしれないが。
「じゃあ、連絡先交換しておきましょう」
「そうだな」
俺と咲夜はメッセージアプリを立ち上げ、弥琴の連絡先をゲットした。
「航平くんに何か異変があったら教えてください」
「わかった。そっちも、頼んだぞ」
無言で握手をし、その場を離れた。望月と暁人はもう、集合場所に戻っているだろうか。