カチャカチャと、フォークの音が響いては消えていく。
あれから、一緒に、クリームがたっぷり入ったショートケーキを堪能し。
紅茶の話題として『ジェラールも紅茶が好きなんだね? あ、だったら、ショートケーキに合うような紅茶については、どんなものがお勧めだったりする?』と問いかければ『個人的には、あまり手に入らないものではあるが、キーマンという紅茶がおすすめだ。特にイチゴの酸味にはこの紅茶が合うし、紅茶の味を一段も二段も引き上げてくれる』と言われたことで、確か、キーマンは、さっぱりとした後味のある紅茶ではあるものの、その前の段階では風味が凄く豊かなんだよねと思いつつ。
「キーマンって、スモーキーな感じで、薔薇や林檎のような芳醇な香りがするのが特徴の紅茶だったよねっ?」
と声をかければ、ジェラールのその瞳が、ほんの少し見開かれたあとで、驚いたように、紅茶のティーカップを持つその手が、ピタリと止まるのが見えた。
キーマンは、ダージリンとウバとも並んで三大紅茶の一つとして数えられる銘柄なんだけど、原産が中国であることから、ヨーロッパの世界観を舞台にしている秘め恋では、あまり馴染みがない紅茶であるというのも頷ける話だし、基本的には、知っている人の方が少ないということで、ジェラールが驚くのも無理はないなと思う。
一応、秘め恋の世界でも、名前だけではあったけど、陶磁器や絹織物などが高く評価されている中国っぽい感じの東の国は存在することから、紅茶の銘柄でもあるキーマンの名前をジェラールが伝えてきた時点で、私が思っている紅茶とジェラールが思っている紅茶は間違いなく一致するはずと、補足するように情報を出してみたけど、この驚いたような反応を見れば正解だったみたい。
「紅茶のこと……、さっきまでは、表面的な感じで好きなのかと思ってたけど、お前は、結構、しっかりとしたところまで詳しいし、紅茶が好きだってのも嘘じゃないんだな……っ」
そうして、驚いたようにジェラールにそう言われたことで、私は、アレクシスお兄様からも『リュカ、その知識は一体どこで……?』と、ほんのちょっとだけ訝しげに問いかけられるような視線で見られてしまい、内心で『わぁぁ、また、やってしまった……っ!』とハッとしたあとに、あわあわしてしまった。
今、この瞬間にも、ジェラールと仲良くなることが、ジェラールが抱えている闇を取り払ってあげられる唯一の方法だと思うばっかりに『このことを伝えた時』に、人からどう見られてしまうのかということを、今の今まで失念してしまっていた。
「あの……、僕のお父様……っ、コリンズ伯爵が珍しいものが好きだったので、変わったものがあると、その度に行商人から買い付けていて……、僕自身は、一度も飲ませて貰ったことはないんですけど、紅茶を販売しに来た行商人が、お父様に対して味の説明をしていたので……。
度々、コリンズ家でもパーティーが開かれるようなことがあって、普通の紅茶は凄く好きだったし、僕も、その話が凄く気になって紅茶の知識としてよく覚えてたんです」
そうして、しどろもどろになりながらも、何とか、それっぽい言い訳を重ねていけば、アレクシスお兄様を筆頭に、私の事情を知っている、この場にいる殆どの大人達が、その言葉を聞いて、コリンズ伯爵が、今まで私に対してしてきた虐待について想いを馳せながら、心配そうな瞳で私の方を見つめてくれたあと、逆に、ジェラールは、そのことに興味を持ったみたいで、ピクリと反応して、私に向かって。
「それって、どういうことなんだ……?
お前は、知識としては知っているけど、キーマンの紅茶を飲んだことはないのか?」
と、声をかけてくる。
その言葉に、私自身、持っていた紅茶のティーカップをコトリと机の上に置いたあと、こくりと頷き返しながら……。
「うん、そうなんだ。
……今は公爵家で保護して貰っているから違うんだけど、僕自身、家族から、ずっと虐待されていて、ご飯も碌に食べさせて貰えてなかったから」
と、はっきりと自分が今まで抱えていた過去の事情について正直に白状していくことにした。
私自身は、虐待されていたことよりも、リュカお兄様の存在を消された上で、私にその役割を求めてきたことの方が辛かったし。
アレクシスお兄様が断罪してくれたことで、心のもやもやのようなものは晴れてはいるんだけど、私のカミングアウトに、ジェラールは、初めて聞く私の境遇にほんの少し息を呑んだ様子で、私の過去と自分自身の過去とを重ね合わせて、理解出来るような部分があったのか……。
「っっ、そうだったのか……っ、お前……っ、俺が想像していた以上に、ずっと苦労しているんだな」
と声をかけてくれて、そのお陰もあってか、完全に打ち解けるまではいっていない感じではありながらも、最初の頃に比べたら、グッと距離が縮まってきたような気がする。
そうして、机の上のケーキと紅茶を食べ終えてから、他にも、洋菓子も立食形式だったことから、ジェラールと一緒に幾つも食べているうちに、ほんの少し打ち解けることが出来たと認識して貰えたのか。
『久しぶりに、息子が人をはね除けることもなく、マトモに話すことが出来ている……!』
と、騎士団長という立場として、あまり表情には出す訳にはいかないと思っているのか、手で口元を覆ったあと、それでも、ほんの少し、感極まったように、ホッと安堵したような表情を浮かべた騎士団長が見えたことから、騎士団長は、本当にジェラールを心配しているんだなと私は思わず、その光景にほっこりしてしまった。
そうして、大人達のいる場では、ジェラール自身も取り繕わなければいけない部分があって、中々、本音の部分などを話したり出来ないだろうからと、出来ることなら、子ども同士、二人きりで会話を試みてほしいと思っているという騎士団長の元々の思いもあって、今のこの状態なら、子ども達を二人きりにさせることも出来ると判断したのだと思う。
『リュカ様、良かったら、ジェラールの部屋へご案内します。ジェラールとも、もう少し遊んでやってください』と言われたことで、ジェラール自身も『……っ、お前が来るなら、ほんの少しでも、入れてやってもいい……っ。……でも、本当に、ほんの少しだけだからな……っ』と言ってくれて、私は、とりあえず、ジェラールのお部屋に、お邪魔させて貰うことになった。
更に、ジェラール自身がトラウマから他者を寄せ付けないような雰囲気を醸し出していることからも、まだまだ距離感は凄くあって、私がジェラールの部屋に行くことについては、騎士団長の提案だったけれど、騎士団長も含めて、アレクシスお兄様や、サージュさんといった大人達の方が『大丈夫だろうか』と、ハラハラとした様子で、ちょっとだけ心配するような雰囲気だったものの。
それでも私自身が、出来ることなら、ジェラールとは、二人きりで話したいと思っていたから『何かあったらいつでも呼んでほしい』という視線を向けてくれた上で、ジェラールの部屋で、子ども同士、遊んだりすることが出来るようにという配慮をしてくれたことは凄く有り難いことだなと思う。
そうして、『それでは、ご案内致しますね』といった感じで、二人いたうちの、ハキハキした感じの茶髪の侍女に案内されるように連れられて、ジェラールの子ども部屋にお邪魔すれば、薄いブルー系の色味で統一されたお部屋の中で、まず目に入ってきたのは、大きな寝台だった。
それから、棚の中には、この世界の語学などを習うような書物や聖書などといったものがきちんと整頓されておかれており。
訓練用の子供用の木製剣や、盾、そうして馬具なども置かれていて、いかにも男の子の部屋だといった感じのお部屋だといってもいいだろうか。
「ジェラール……、チェスがある……っ」
「あぁ……、父上には負けるが、俺は、チェスが得意なんだ。
……お前も、チェス、出来るのかよっ? それなら、相手になってやってもいいけど」
そうして、目に入ってきたボード用のゲームとして、棚の上に置かれたチェス盤は、ジェラールが小さい頃からチェスが得意であり、未来で騎士団の副団長になることで、幼少期よりチェスなどのゲームで戦略的な思考を養っていっていたという何よりの証拠になるもので『これが、原作でも登場していたジェラールが大事にしていたチェス盤……!』と、私は、思わずそれを見て原作のファンとして感動してしまった。
――確か、これは、騎士団長から、5歳の誕生日プレゼントに贈られたものだったんだよね……。
ジェラール自身、5歳の時のお誕生日では、母親のことで、もの凄くごたごたしている真っ只中のことで、それまで以上に凄く寂しい思いをしていたんだった。
『だからこそ、そんな中で貰えた父親からのプレゼントというのもあって、大人になっても、これを、凄く大切にしていたんだったはず』
それでも、騎士団長は凄く忙しい人だったし、屋敷の使用人達も忙しくしていて、ジェラールに味方をしようとしてくれる人もいたんだけど。
人嫌いを拗らせていたジェラールは、中々、その相手を頼むことが出来なくて、一人で仮想敵と戦う感じで一人遊びをしていたりで、この白と黒のチェス盤と駒を見ながら、この3年の間、どれくらいの時間、寂しい思いをしていたかというのは、本当に言い知れないほどで。
だからこそ、ジェラール自身、こんな風に人を突っぱねるような態度しか取れなくなってしまってもいるんだよね……。
それが、分かっているからこそ、私は、どうしても、ジェラールのことを嫌いになれない。
「うん、ルールは知っているから、少しだけなら。
でも、多分、そんなに上手くはないと思うよ」
「……っっ、そうなのか、よ……っ。 だけど……っ」
原作でもチェスでジェラールに敵うような相手は、完全無欠のヒーローだと言われていたアレクシスお兄様くらいだったし、もしかしたら、サージュさんは、チェスも強い可能性があると思うけど、ジェラールが未来の騎士団の副団長としても、ゲームだけじゃなくて、そういった戦略に長けていて優秀だっていうことは、私自身も知ってるから、きっと、今、対戦をしたとしても私では全然歯が立たないだろう。
それでも、ジェラールが、ほんの少し私の方を気にして、ボードゲームの相手をして欲しいというような雰囲気をちらちらと向けてきたことから、私は慌てて『僕自身は、対戦相手としては全然だと思うから、あまり、期待はしないで欲しいんだけど、チェスについては、少しやってみたいかもしれない』と、声をかけることにした。
そうして、今までツンケンしていた分だけ、その言葉に「本当か……っ?」と、ジェラールがほんの少しだけ表情をパッと明るくさせたのが見えたことで、そのことを嬉しいなと感じつつ、微笑みかければ、今までの態度をほんの少し反省したような雰囲気で、罰が悪そうなジェラールの姿と目があって私はホッと胸を撫で下ろした。
それから、そのあと、一緒にチェスの準備をしようと、二人でチェス盤や、駒の入った箱を持って、机へと運ぼうとしたんだけど、その瞬間……。
「ジェラール様、これから、チェスで遊ばれるんですかっ?」
と、たった、一言だけだったけど、間延びした、やけに耳に障るような声がこの場に響き渡ると、『……っっ』と息を呑んで、ジェラールの身体が一気に硬くなったのが感じられて、私は、その瞬間『あ……っ、この人っ』と、色々と含んだような表情を浮かべたあと、確かに目の前で笑っているのに、あまりにも表情を無くしたような様子で、目の前に立った、さっきまで、柔らかい雰囲気だったはずのツインテールの侍女の姿を見て……。
――第一印象では、キビキビとした雰囲気の侍女の方を怪しいと思っていたけれど、そうじゃなくて、この侍女が、ジェラールを、更に女嫌いにさせて、人嫌いに追い込む人で間違いないんだろうな……っ!
と、まるで、猫が毛を逆立てるかのように、私も神経を張り巡らせて、思いっきり警戒心を高めていくことにした。