淡い雪のような銀色の髪に、蜂蜜色のとろっとしたような瞳。
小さな身体で、色々なことを抱えこんで、一生懸命に今を生きている。
――誰からも庇護されるべき、その小さな子どもに出会えたのは、俺のために神様が運んで来てくれた何よりの幸運だったのかもしれない。
俺自身、公爵家に仕え始めてから、かれこれ14年程が経っていると思うけど、その中でも、こんな事件が舞い込んでくるのは初めてのことで……、伯爵家のように汚職に塗れたような汚い家柄はいっぱい見てきたが、それでも、自分の子どもをここまでコケにするように、長年に渡って虐待をし続けていただなんて、コリンズ伯爵家の調査をし始めた頃は全く思いもしていなかった。
中性的な感じで、ともすれば女の子のようにも見えるその存在は、伯爵家の中でも本当にぞんざいとも思えるような酷い扱いを受けてもなお、どこまでも柔らかくて、透き通ったように透明で、酷い扱いを受けていた分だけ、暗くその瞳が濁ってしまっても可笑しくはなかったと思うのに、決して、その瞳の輝きは失っておらず、幼いその身体で、いつだって前を見つめているように俺は思う。
今現在、アレクが、伯爵家の面々が、リュカに行っていた極悪非道の数々を追及し、調査を進めてくれているが、ある程度は、自白したものの、虐待の全容について認めてしまうと、更に、自分達を窮地に陥らせるということが分かっているみたいで、コリンズ夫妻は、この期に及んでもなお『確かに躾が厳しかったかもしれないが、私達がここまでされるようなことは何も!』といった感じで、あくまで何も悪くないのだと、激しい尋問に、醜くも、泣き喚きながら訴えかけているらしい。
その一方で、使用人達は日に日に厳しくなる尋問に耐えきれずに、徐々にその全容について吐き始め、アレクが『尋問している此方が聞くに堪えない内容で吐き気を催す程だ』と、今、行っている尋問でもまだ足らないと、顔を思いっきり顰めて、苦虫を噛みつぶしたような瞳でそう言っていた。
それを聞いて、俺も、リュカの状態を見ればある程度は分かっていたことだったが、そこまで酷かったのかと、心の底から気持ち悪くなってくる程だったし、これから先、尋問だけじゃなくて、真っ当な罰が下ることを、どうしても願ってしまう。
コリンズ伯爵家のことについては、アレク自身、一度、王への謁見と報告は済ませていると言っていたものの、伯爵夫妻の処遇などについては、まだ罪の全容が分かっていないから決まっていないし、そのことで、今後も、王城に行かなければいけない時は出てくるはず。
そういえば、確か、王城では、今現在、王妃様が病気になって療養中だったよな?
リュカと同い年で今年8歳になる王子が、その件で塞ぎ込んでいるって話だったはずで、俺自身も家族がそうなっていたことで王子の気持ちも理解出来るけど、どこの家でも、色々と問題があって滅茶苦茶大変だなと俺は頭の中で考える。
ただ、リュカ自身も、同年代の友達は欲しいかもしれないし、王子もまた、リュカと会えば何か変わるかもしれないと思うから、王子とリュカさえ良ければ、アレクに頼んで、王の許可を得たあとに、出会いの場を設けてもらうのは有りかもしれない。
特に俺もさっき、リュカに、心の傷を包み込むような感じで癒やされたばかりだし、あの子は、本当に、いつだって光そのものといった感じの子だから……。
出会った当初は、俺達に触れられることすら、本当はきっと恐いと思っていただろうに、それでもリュカは、一度も、俺たちのことをはね除けたりするような素振りを見せたことはない。
それどころか、まだ伯爵家で受けてきた3年間の傷が癒えていない中で、どこまでも真っ直ぐに前を向き、自分に出来るところから体力をつけようとしたり、公爵家の養子となったことを本当に心の底から感謝した様子でありながらも……。
『あの……、公爵家の養子にならせて貰えるのなら、アレクシスお兄様やサージュさんにもご迷惑をおかけしないよう、僕も、一生懸命、勉強や教養をつけていきたいと思います』
と、おずおずと控えめにではあったが、きちんと自分の意見を持って、そう言ってきたくらいだった。
元々、出会った時から、リュカには8歳の子どもとも思えない程に知性が感じられたし、頭も良くて素養が高いんじゃないかと感じてきたが、まさかリュカからそんな言葉が降ってくるとも思ってなくて、俺たちは二人共、本当に驚いてしまったと思う。
とりあえず、アレクとも相談し合って、今現在のリュカは、マトモにご飯も食べられない状態が続いてしまっていたことから、少しでも栄養をつけるためにご飯を食べて休養しつつ、体力も蓄えていく必要があるだろうという話で落ち着いたけど、リュカたっての要望で、体力をつけるためにも運動したいということで、積極的に公爵家の中の庭園を散歩したりもするようになっていて、それだけで凄いなと感じてしまう
リュカの瞳の奥に見える、そのひたむきさや、前向きさといったものは、一体、どこから湧いてくるものなんだろう……っ?
リュカ自身は、多くを語ろうとはしないし、俺もアレクもリュカに苦しいことを思い出させるかもしれないと思って避けているような話題も多いんだけど、リュカを見ていると、少しくらい休んだって罰は当たらないだろうに、本当にいつだって、一生懸命に頑張りすぎていると思う。
だからこそ、伯爵家で、虐待されて傷ついてしまっていたリュカを目にした時、境遇も何もかもが違うのに、その姿が自分の妹と重なって見えて、何としてでも、俺がこの子を護ってやらなければならないって強く思った。
――いつだってそうだけど、俺自身、幼い子どもはずっと、護ってやらなければいけない存在だと思ってた。
じゃないと、きっと、俺の妹みたいに死んでしまうだろう、って……。
家族だって、いとも簡単に呆気なくいなくなってしまう。
弱くて、儚くて、気付いたら、この手から溢れ落ちるようにボロボロとなくなっていってしまう、そんな苦しみを、もう二度と味わいたくない。
今度こそ護って、この子を愛してあげて……、そうしてもう、絶対に、二度と失うようなことはしたくないのだと……。
自分でも、流行病にかかって、苦しみながら死んでいってしまった妹のことを見てきたから、妹とリュカを重ね合わせている状況には気付いていたけれど、それでも、こんなにも小さな子どもが虐待されて、冷遇され続ける謂れなど、どこにもないのだと……。
それは、俺自身、リュカと接してきて少ししか経っていない今も現在進行形で感じていることでもあるし、このあとの、リュカの生活が苦しくないように、ただただ優しい世界を見せて、社交界に出た時、アレクの義理の弟としてリュカを利用する目的で近づいてくるような奴も含めて、そういった悪意から、護ってやりたいって……。
だけど……、今日、ようやく、ちょっとずつ回復してきて、ご飯も、胃に優しいリゾットといったものだけじゃなくて、まずは、脂身の少ない鶏肉からだけど、お肉なんかも食べられるようになってきたリュカに本当に良かったと感じられるようにもなってきたと思ってたら……。
そんなふうに、俺がリュカに対して感じていた、ゆっくりと回復していけばいいと思っていたそのスピードを通り超すかのように、リュカは出来る限り誰の力も借りようともせずに、一生懸命、自分の足だけで歩こうとして。
苦しい状況にあっても、なお、色を失わない瞳に、俺は、徐々に、自分の方が、リュカよりもずっと、それこそ、長い間、この時間を止めてしまっていたのかもしれないと思ってしまった。
俺自身、妹が死んでしまって、家族が死んでしまって……、自分一人だけがこの世に残ったことで、代わりに俺が死ねれば良かったのにという思いはずっと、心の中にしこりとして残ってしまっていたし、天涯孤独になって独り身になった時から、奴隷として奴隷商にその身をおくことになって、病に倒れ、苦しみの最中を彷徨っていた中で、廃棄処分になりかけたことで……。
――あの日、公爵が助け出してくれなかったら、俺はきっともう、この世には生きていなかっただろう。
だからこそ、俺自身は、公爵家の影として手足となって、骨を埋める覚悟で自ら志願して諜報員という仕事に就くことになったし、今、自分が生かされていること自体が偶然で、あまりにも幸運なことだったのだと思うからこそ、公爵家の諜報員として、いつか、どこかで死ぬことになろうとも、仕方が無いと感じながら生きてきた。
そうするために、必要以上には、自分が生きた痕跡すらも、特に残しておきたくなくて、気付けば、周りには何も置かず、常に身辺整理をしながら、自分の身ひとつで、生き抜いてきた訳だけど……。
今日の午後、アレクが5歳だった頃のお下がりの貴族の男の子が着る衣装を着てもなお、その指先がちょこんと出るくらいに、アレクの服が大きめな感じになって、だぼっとしているリュカと一緒に、昨日の深夜に雪が降り積もった公爵家の中庭に出て、リュカの歩幅に合わせながら歩き始めた所で。
リュカに『僕自身……、雪のように、儚い感じがするのは、サージュさんの方だと思います』と言われたことで、リュカには、俺が昔置かれていた境遇を話しておきたいって思った。
事実を知る公爵家の人間以外で、こんなことを誰かに話したのは初めてのことだった。
幼い頃に大切な家族が死んでしまったこと、人から裏切られたこと、辛いにも公爵家に拾って貰うことが出来たものの、それでも、自分が今、生きていることは偶然で、幸運で、本当に紙一重な所で、この命が無くなってしまっていたかもしれないこと。
――そうして、だからこそ、公爵家の為ならいつだって、死ぬことすら厭わないと思っているということ。
別に、どんな言葉が返ってくるのかを期待して、そういうことを話した訳じゃなかった。
ただ、リュカには、自分のことを知って欲しい、聞いて欲しいって思っただけで、本当に、ただそれだけで良かったんだ……。
なのに……。
『それでも、僕は……、サージュさんに自分の命を大事にしてほしいし、これから先の未来で、ただただ幸せになってほしいと願っています。
だって、サージュさんは、僕にとっても、凄く大切な人だから……』
なんて……っ、リュカから、そんな言葉が返ってくるだなんて、思ってもみなかった。
その言葉は、まるで一種の清涼剤のように、胸の中にぽたりと落ちて、波紋のように広がっていき……。
気づけば、ただ澱んでいて、ささくれ立っていた心の中に、じわりじわりと温かなものが入ってくる感覚がして、もう随分前に捨て去った生きる希望と、柔らかな物に包まれたような優しい気持ちが顔を出してくる。
リュカ自身、公爵家の従者達とは、まだ中々距離があって、怖々とした様子で、きちんと接することが出来ていないけれど、それは、リュカが今まで、伯爵家で酷い虐待を受けてきているからで、始めて会った時からずっと、公爵家に来てからも、リュカは決して、誰かの身分などを見て態度を変えたり、人を区別したりすることもしない子だった。
だからこそ、俺に対しても、そんなふうに何の偏見も差別もなく、優しい言葉が出せるのだろう。
公爵家の面々から、大切にされてこなかったという訳ではないけれど、俺自身、やっぱり、どうしてもそこに負い目のようなものを感じてしまって、諜報員として、影として、少しでも役に立たなければいけないと気負うような思いもあったし。
俺が望んだことで、そこには主人と影としての、主従関係というのはどうしても付きまとう。
だけど、本当に何の柵もない所から、こうして当たり前のように大切に思って接して貰えた上で、自分の命を大事にしてほしいと、心の底から願ってくれる存在がいてくれることに胸が熱くなって、本当にそのことが奇跡だと感じてしまう程、得がたい存在と出会えたことを幸せに思う。
そうして、そう思うと、途端に、グッと胸の奥からこみ上げてくる優しい気持ちに支配されていき……、それが、擽ったくて、何よりも嬉しいと感じられるだなんて……。
『だからこそ、俺は、リュカのことを護りたい……』
それが、アレクに言われたからだという訳でもなく、その境遇から、ただ、護らなければいけない子どもだからという訳でもなく、リュカという本当にあまりにも貴重で得がたいような優しさを持つ子だからこそ。
こんなにも誰かに絆されることがあるだなんて思ってもなかったけど、俺にとってリュカは庇護しなければいけないか弱い存在ではなく。
――心の底から、大切な存在に代わっていっているのだと、俺自身が、ただただ、実感していた……。