あれから、私はサージュさんの好意で、料理の時などでお世話をしてもらいつつ、レイチェルにも身支度やお風呂の時などのお世話を手伝ってもらって、更には、アレクシスお兄様にも気に掛けて貰えているという至れり尽くせりな日々を過ごしていた。
この3年間、碌に食べることさえ出来ずにいたことで、栄養失調気味だった身体も、公爵家に来てから、ちょっとずつご飯もきちんと食べられるようになってきたことで、段々と改善されて本当に良かったと思うし、軽い運動程度なら許可されて出来るようにもなってきた。
とはいっても、まだまだ、公爵家の庭の散歩をさせてもらうとか、それくらいのことしか出来ていないけど、私が今まで貧弱だった分だけ、そうするだけでも、大分体力は付いてきていると思う。
アレクシスお兄様も、サージュさんも相当な過保護だから『そんなにも細い身体なのは心配だし、俺も付いていく』だとか、『リュカは、ただでさえ、あまり力が出ない感じなんだから、何かあった時は、直ぐに俺が抱っこしてやるからな?』といった感じで、庭の散歩に行くときは、必ずどっちかが付いてきてくれたりするんだよね。
それに、これまで、二人とも接していく中で、アレクシスお兄様は、私のことを保護してくれたことで年の離れた可愛い弟だと思ってくれている節が凄くあって、サージュさんは、私が弱りきっていたこともあり、護らないといけない子どもだと強く思って、傍にいてくれているのだというのは分かってるんだけど。
私自身、前世の記憶があるから、何とか生きていくことが出来ているものの、ともすれば、人間不信に陥ってしまいそうな程に酷かったこの境遇の中で、まるで、心の中にじわじわと染み渡るかのように、凄く優しくて温かな対応をして貰えているのを感じて、前世でも、ずっと、一人で生きてきた私にとっては、何もかもが初めてのことばかりで、色々とむず痒い気持ちになってしまう。
でも、そのお陰で、アレクシスお兄様とも、サージュさんとも、大分打ち解けるようになってきたと思う。
それでも、アレクシスお兄様のことは、原作の小説を見ているから、詳細なプロフィールなんかも含めて詳しく知っているし、アレクシスお兄様が、今現在頭を悩ませているであろう公爵家が抱えている領地の問題とかも、私自身原作の知識があって理解しているから、今後力になれたら嬉しいなと感じてたりもするんだけど。
サージュさんのことについては、何の情報もない分だけ、あまり理解出来てなくて、私と接してくれるときは、基本的に本当に柔らかくて優しい人なのに、時折、ふとしたタイミングで、寂しさにも似たような深くて昏い深淵のようなものが垣間見えることが、凄く気になってしまっていた。
私自身、今ひとつ、そのお仕事の内容について理解出来ていない部分があるんだけど、それでも諜報員として影のお仕事をしているのなら、公爵家がクリーンで、その仕事内容がどんなに真っ当なものであっても、危ない場面に遭遇することも否応なしにあると思う。
……だからだろうか。
――サージュさんを見てると、ほんの少し生き急いでいるような、今、この瞬間にも、消えていってしまいそうな、そんな不安な感覚に陥ってしまうのは……。
今、この場に、確かに存在しているはずなのに、サージュさんは、この地に足を付けてないような気がして、纏うオーラに生活の痕跡が全く見つからないと言ったら分かりやすいかもしれないけど。
いつも身綺麗にして、さっぱりとした感じがあって、諜報員として裏で動いている分だけ、どことなく、この世の中に、自分の痕跡を何一つ残しておきたくないって思っているような雰囲気にも感じてしまう。
その上で、いつか、儚く、その姿もろともいなくなってしまいそうで……。
その姿が、前世で頼れるような身内もおらず、天涯孤独で、いつ自分が死んでしまっても困ることのないように、必要最低限のものしか身の周りに置かず、常に身辺整理をしながら生きてきた、私とも重なって見えた。
だからこそ、『そこに、私が触れても良いのかな……?』と感じつつも、ここ数日、ずっとそのことで頭を悩ませていたんだけど。
あれこれと気遣われながら『リュカ、どうした? 今日の飯 、あまり美味くなかった?』と、その手に、私に食べさせてくれる用のリゾットをのせたスプーンを持ってくれていたサージュさんから問いかけられたところで、私は、思わずハッとした。
そういえば、今日のご飯も、サージュさんがお世話をしてくれていたんだった……。
因みに、今、この瞬間、侍女であるレイチェルは、隣の部屋で私が使うバスタブの掃除をしに行ってくれていないんだよね。
食事の時は、なるべく、私が、サージュさんとゆっくりご飯が食べられるように、気を遣ってくれているみたい。
「いえ……っ、とっても美味しいですし。
毎日、料理長の作ってくれた美味しいご飯が食べれて、凄く幸せです……っ」
そうして、サージュさんに問いかけられたことで、ほわっと表情を綻ばせ、嬉しい感情を隠すことなく笑顔を向ければ『それなら良かった。リュカに喜んで貰えるのが一番だからな』と、その目を細めてくれながら柔らかい表情を返してくれて、更に、トレーの上に置かれた色取り取りの料理を均等に甲斐甲斐しく食べさせようとしてくれるサージュさんのことを、私はそっと盗み見ることにした。
こうやって、私のことを見てくれる時の、その瞳はやっぱり、過剰に心配してくれているような様子だったけど、一方で、お父様や使用人達といったコリンズ伯爵家で悪いことをしていた人達に対しては、私のことを思ってくれた部分もあるだろうけど、諜報員として容赦しないような感じの雰囲気も見せていたんだよね。
『きっと、そのどれもが、取り繕ったものなんかじゃなくて、サージュさんの本当の顔であることには、間違いないと思うんだけど』
そうして、私がそこまで想いを馳せたところで……。
カボチャのポタージュや、やっと最近になってちょっとずつお肉料理も食べられるようになってきたこともあって、料理長が腕によりをかけて作ってくれたご飯を食べさせてくれたサージュさんが。
「リュカ、口の端に、ポタージュが付いてる」
と、苦笑しながら、私の口元を布製のナプキンで拭ってくれた。
「わぁぁぁ、ありがとうございます……っ!」
気付かなかったけど、どうやら私は、口の周りで、ご飯を食べてしまっていたらしい。
ちょっとだけ、そのことに照れて『恥ずかしいなっ』と、心の中でひたすらあわあわしていると、サージュさんから『こうしてみると、本当にリュカって、あまり男の子に見えないよな?』と言われて、私は更にあたふたと慌ててしまった。
「あ、あの、僕、多分、双子の妹、エスティアと一緒に、お人形遊びとかをしてたから、それできっと……、そういう風に見えることがあるのかなって……」
その上で、自分が、男の子のフリをするということに早く慣れなきゃと思いつつ、何とかバレないように取り繕おうとすれば、サージュさんは、私がエスティア の名前を出したことで、ほんの少し申し訳ないという表情をしてくれたあと、真面目な顔つきで『そっか、そうだよな……』と、納得するよう声を出してくれた。
そのことに、ズキッと胸が痛んでしまったものの、それでも、私は、リュカお兄様の死の真相を探りたいと思っているから、本当のことを言う訳にはいかないなって思ってしまう。
手がかりは、原作にも名前が出て来た毒の種類だとか、そういった僅かなことのみだけど、絶対に諦めたくない。
その上で、きっと、公爵家の人に言えば、アレクシスお兄様もサージュさんも優しいから協力はしてくれると思うんだけど、それでも、原作に、犯人を突き止めるような描写がなかった分だけ、何が起こるか分からなくて、そこに他人を巻き込んでしまうのは恐すぎるなって感じちゃうんだよね。
――それが、私のことを心の底から心配してくれている人達だから、尚のこと、何かあった時には目も当てられないなって思ってしまう……。
そうして、ご飯を食べ終わったあと、それまで甲斐甲斐しくお世話をしてくれたサージュさんが。
「リュカ、歩けるか……?
もしも難しいようなら遠慮しなくても良いけど、今日は、どうする?」
と、声をかけてくれたことで。
「はい、大丈夫です……っ。
あの、僕、少しでも体力をつけておきたいなって思ってるので、出来れば、今日も歩きたいなって思ってたり……っ」
と、ここ最近、ご飯後に日課になっているものとして、今日もまた散歩の提案をしてくれたことで、私は公爵家のお庭を、サージュさんと一緒に歩かせてもらうことにした。
お庭といっても、公爵家のお庭は幾つかあって、私が歩いているのは、比較的、その中でも小さいとされている中庭になる。
それでも、充分な広さを誇っているし、庭園の真ん中には、美しいお庭の風景を余す所なく一望出来て景色を楽しむために、休憩用の小さな建物として、ガゼボと呼ばれる六角形の円柱の建物があり、その中には、テーブルと椅子が設置されていて。
公爵家に保護された当初は、本当に体力がなさすぎて、この3年間で削られてしまったご飯のせいで、歩くのさえ覚束ない状態で、ふらふらになりながら、サージュさんや、アレクシスお兄様に手を引かれたり、途中から抱っこして貰ったりで、ようやく、ガゼボに到着したくらいだったけど。
ちょっとずつ、自分の力でしっかりと歩けるくらい回復することも出来ているから、今日は、もう少し長めの距離を歩くことが出来るかも。
本当なら、アレクシスお兄様も来られれば良かったんだけど、サージュさん曰く。
「……あー、その、リュカ、アレクは今日、忙しくて来られないらしい。
今度、またリュカと三人で一緒に来ることが出来ればいいんだけどな」
ということで、サージュさんは言葉を濁していたけれど、多分、コリンズ伯爵家の処遇について、未だ、みんなが抵抗をしていることで、多少長引いてしまっているんじゃないだろうか。
裏帳簿を早めに見つけたことで、それでも、大分、断罪へのスピードは速まったはずなんだけど、みんなの余罪なども含めて、きっちりと追及してから、罰を決めようとしてくれているんだと思う。
それを邪魔するように、コリンズ家の人達は、すべてを他人のせいにして、きっと、多分、醜く喚き散らしてしまっているんだろうな……。
そうして『立てるか……っ?』と、サージュさんが声をかけてくれたことで、私は、こくりと頷き返し、ベッドから降りて、床にぺたりと足をつけ。
そのあと、侍女であるレイチェルに、サージュさんと一緒に公爵家の中庭までいって歩いてくるね、と説明すると、レイチェルは、私が最近ご飯をちょっとずつ食べれるようになっていることから『でしたら、後で、中庭のガゼボまで、温かい紅茶を運ばせてもらいますね』と声をかけてくれた。
✽ ✽ ✽ ✽
あれから、公爵家の廊下を通って中庭までたどり着いた私は、サージュさんと一緒に、早速、外に出て庭園の中を歩かせてもらうことになった。
靴は、アレクシスお兄様が5歳の時に履いていたものを履かせて貰っていて、洋服もまだ、アレクシスお兄様のお下がりを着せて貰っているけれど、それは、みんなが私の体調を最優先させてくれた結果なのだということを私は知っている。
アレクシスお兄様も、サージュさんも、出来るだけ早く服を整えてあげたいと思ってくれているみたいで、この数日間で、それとなく機会を窺おうとしてくれていたり……。
そうして、公爵家の庭は、元々、日本の小説が原作だからか、この国にも、日本のように四季があって、今の時期は冬となっており、公爵家の庭園は華やかな雰囲気があるものの、時季が時季なだけに、白色のお花なども多くて、可憐で今にも消えてしまいそうな儚さがあるスノードロップや、エルダーフラワー、それから、薄ピンク色のクリスマスローズなどの花が多く見られ、花弁についた雪が溶けて水滴になることで、美しくて儚い花々をきらきらと輝かせていた。
外に出れば、ほんの少し寒さが厳しいからか、はぁっと、吐く息が白くなって、サージュさんに『リュカ、大丈夫か……? 寒い?』と心配されてしまったけれど、私は、ふるりと首を横に振り、サージュさんの方を真っ直ぐに見上げて『いえ、大丈夫です。アレクシスお兄様のお洋服を着させてもらっているので凄く温かいです』とほわっと柔らかな声を出す。
実際、アレクシスお兄様のお下がりのフード付きのケープを着させてもらっていることで、大分、寒さが緩和されているというのは本当のことであり、アレクシスお兄様が持っていたケープの中でも『リュカに似合いそうなものを』と、私の為にわざわざ選んでくれた経緯があるから、そういう意味でも、これから先、もしもお洋服を新調することになったとしても、このケープはずっと大事にしたいお洋服だし、ただただ、有り難いなと思う。
そうして、この国では、雪が降ることもあって、今日の天気はお日様が出て快晴なのだけど、夜のうちに降り積もったのか、辺り一面には白銀の景色が広がっていて、一歩、外を歩けば、サクッという音と共に、私が歩いた箇所の雪が、地面へと沈んでいくような感覚がする。
子どもだからというのもあるけれど、特に今は、体力がないからか、一歩歩くごとに、身体がふわふわ、ゆらゆらとしていて、自分の体力をつけるには、雪があるくらいで丁度良いかもしれない。
サージュさんは『リュカ、大丈夫か?』としきりに心配してくれたけれど、私自身は、これくらいのことで弱音を上げたらダメだなと感じて、張り切りながら、庭の奥に向かって歩いていくことにした。
目標は、ガゼボの更に奥にある花壇まで行くことだけど、今日は、身体の調子も凄く良いし何とか大丈夫そう。
滑って転ぶと危ないからと、サージュさんが私の手のひらを、ぎゅっと握ってくれていたものの、なるべく体力を付けたいという私の意思を尊重してくれて、私自身に必要以上に力をかけてくれることもなく、私は、サージュさんと一緒に手を繋いだまま、ゆっくりと雪の庭園の中を歩いていく。
白銀に覆われた庭園の中は、春のぽかぽかとした陽気で、太陽と水の力を借りて華やぐように色鮮やかな花々が見れる庭園とはまた違った趣があって、まるで、雪が降ることを想定してたみたいに調和が取れて、儚いような美しさと冷たさを表現するかの如く幻想的な世界が広がっている。
それもこれもきっと、公爵家の庭師が手入れの行き届いたお庭にするべく、いつもお仕事に精を出していることの何よりの証しなんだろうなっ。
『本当に、コリンズ家とは大違いだし、公爵家のお庭は、いつ見ても、綺麗すぎるよね……っ』
私自身、子どもの身体に引っ張られているのか、雪景色にほんの僅かばかり浮き足立って、歩く度に、さく、さくっと音を立てる雪を踏みしめて、夢中で、足跡を付けることを楽しんでいたら……。
「リュカ、それ、楽しいか?」と、そんな私を見て、少し眼を細めながら微笑ましそうな表情をしてくるサージュさんの姿に、ハッとしてしまった。
『わぁぁ、っ!
当たり前だけど、子どもみたいに、雪が降り積もっている所に足跡を付けてるの見られちゃってたみたい……っ!』
かぁぁぁっと、一気に全身から熱が上がってきて、思わず照れてしまいながら、頬が真っ赤に染まっていく。
そんな私を見て、サージュさんが『子どもは遊ぶのが仕事だし、そんな風に恥ずかしそうにしなくて良いのに』と言ってくれたけど、前世で成人していた記憶がある私にとっては、何の慰めにもならなかったどころか、ただただ傷口に塩を塗るような感じで、余計に恥ずかしく思ってしまった。
そうして、そのあとで……。
「こうしてみると、リュカは、何ていうか、雪の精霊みたいだよな……っ?
髪の毛も淡い雪のような白さを持っているし、男の子にこんなことを言うのはなんだけど、中性的で、良い意味で愛らしい感じもするし」
と私を見て、ふんわりと口元を緩め、柔らかく声をかけてくれるサージュさんに、そう言って貰えて嬉しいと思う気持ちを持ちつつも、私は、ぴたりと歩くのをやめ、顔を上げて、どこまでも真剣に、サージュさんの顔を真っ直ぐに見つめた後で。
「僕自身は、その……っ、雪のように儚い感じがするのは、サージュさんの方だと思います」
と、それまで、恥ずかしく感じていた気持ちを封印しながらも、真面目なトーンで声をかけていく。
私の言葉に、サージュさんも歩くのをやめ、一瞬だけ、言われた言葉の意味が理解出来ないというように凄く驚いたような表情をして『どうして、そんな風に思うんだ?』と、私のことを見つめてきたけれど。
私は、サージュさんに対して、これまでの間ずっと感じてきたことを、この機会だからと真剣に伝えてみることにした。
「だって、サージュさん、今にも、自分が消えても良いって思ってそうだから」
はっきりと告げた私の一言に、サージュさんのピンク色の瞳が動揺したように揺れたのが見えた。
「なん……、」
――なんで……?
と問いかけてくるその瞳に、サージュさんの綺麗な顔が、今、この瞬間にも、言い当てられたことで取り繕えなくなっているのを見て、サージュさん自身、本来なら、もっと上手く、普段から一切の隙も見せず立ち回ることの出来る人だとは思うのだけど、それでも、人間らしく、ほんの僅かばかり、今、その表情が崩れてくれたことに、私は『良かった、サージュさん、こんな表情も出来るんだ……』と、心の底からホッとする。
気付かないうちに、泥のように溜まった想いが、人の表情を殺してしまうこともあるんだって、私は知ってるから……。
「サージュさんって、そこにいるのに、生活している痕跡が全くないっていうか、いつも、身綺麗にして、さっぱりとしているから……。
まるで、自分の痕跡をこの世になるべく残さないようにして、いつ死んでしまっても困ることがないように、必要最低限のものしか身の周りに置かないようにしながら、身辺整理をして生きてるみたいだなって……、」
そうして、はっきりと告げた言葉に、サージュさんが驚いたように目を見開いたまま、私の言葉を聞いて、ほんの少し前髪を掻き上げるような仕草をしたあと『……参ったな』と、どこか降参したように、小さく呟くようにそう言ってきたことで、私は、やっぱり前世の私もそうだったけど、サージュさんもそうだったんだ、と思ってしまった。
「リュカに、そんなことを言い当てられるとも思ってなかったんだが……っ」
「あ……、あの、僕も、ずっと、そうだったので……」
だからこそ、自分もそうだったという言葉を出しながら、真っ直ぐにサージュさんを見上げて、そう伝えれば、コリンズ伯爵家でのことを思い出してくれたのか『リュカ……っ』と、途端にしんみりとした雰囲気が漂ってきてしまい、いらぬ心配をかけてしまったことに気付いて、直ぐに私は、訂正するように……。
「あっっ、でも、僕は、今、凄く幸せです……っ。
アレクシスお兄様がいてくれて、公爵家で、こんなふうに何不自由なく生活させて貰えて、サージュさんにもお世話をして貰えて……。
ふたりが、僕のことを保護してくれていなかったら、きっと今も、僕はずっと、あの家で暮らしていたと思うので……」
と、大慌てで声を出した。
実際、私のことを、アレクシスお兄様とサージュさんが保護してくれなかったら、今も、苦しい生活を強いられていたことは確かだったろうし、そこに、嘘も偽りもない。
だから、勿論、アレクシスお兄様にもだけど、サージュさんにも凄く感謝しているのだということが分かって貰えるように視線を上げて、精一杯、自分に出来る範囲で、少しでも伝わってくれると嬉しいなと感じて話してみると。
サージュさんはそんな私を見て『お前は、アレクだけじゃなくて、公爵家の諜報員として、影でしかない俺にも、そうやって心の底から感謝してくれるんだな』と、少しだけ嬉しそうに目を細めてくれながら、それまで、握ってくれていた手をそっと離して、クリスマスローズや冬の花々が咲き誇る、この淡く儚い幻想的な庭園の中で、私の目の前まで来て、私の目線の高さまでしゃがみ込んでくれると、ほんの少し躊躇ったようだったけど、それでも意を決したように……。
「……っっ、リュカ、今のお前にとっては、この言葉が負担になってしまうかもしれないし。
これまで、ずっと辛い思いをしていたお前に言うのもどうかなって思うんだけど。
お前には、俺のことを知っておいて欲しいから、どうか言わせてくれ……っ
……実は、俺は、公爵家に来る前は、あまりにも酷い境遇に身を置いていて、孤児で奴隷みたいなものだったんだ」
と、ぽつりとサージュさんが、私に向かって、自分の身の上話をするかの如く声を出してくれたことで、私は思わず、思い切り困惑しながら目を瞬かせて『孤児で、奴隷ですか……?』と、その言葉を復唱するように、問いかけてしまった。
まさかの発言に、動揺してしまったけれど、サージュさんは、私の質問に一度だけ『あぁ……』と、肯定するように頷いたあと、真剣な表情を浮かべながら『俺には、元々、自分を愛してくれる両親に、目に入れても痛くない程の可愛い妹がいたんだが、俺が4歳くらいの時に、流行病で、みんな死んでしまったんだ』と、自分が4歳くらいの時に愛する肉親を全て失い身寄りがなくなってしまったということを、私に教えてくれた。
幼い頃のサージュさんには、妹がいて、家族もいて、幸せな生活を送っていたのだということは、何も言わなくても家族のことを愛おしげに思うような、その視線だけでも私にも伝わるものがあったし、私もサージュさんの言葉に思わずグッと息を呑んでしまう。
この時代の流行病の大半が、治療薬のない新しい病だったりする訳で、一度かかってしまうと、基本的には、どうしようもない場合の方が多かったりする上に、仮に、新しい病などではなく、治療薬があるものでも、薬の値段があまりにも高額すぎて、庶民は、中々、手に出来ないという状況に陥りやすいから、きっと、サージュさんの家族もそうだったのだと思う。
『俺だけ、その場では流行病にかからなかったんだ……』と、声を出して、私に事情を教えてくれるサージュさんのその瞳は、どこまでも寂しそうで……。
張り詰めた空気感に、今まで、どれ程の悲しみを背負ってきたのかが分かってしまって、私は、ぎゅっと心臓が掴まれたような気持ちになってしまう。
『サージュさんの人生は、サージュさんのものだから、一緒にしてはいけないかもしれないけれど、何だか、私と、リュカお兄様みたいで、とてもじゃないけど、他人事だとは思えないな……っ』
「その……、それじゃ、サージュさんは、そのあと、孤児院に……?」
そうして、せめて、この話に、ほんの少しでも救いがあれば良いのになと思いながら、サージュさんの顔を見上げて、おずおずと声をかければ……。
「……いや、それなら、まだ、良かったんだろうけどな。
家族が死んでから、失意のどん底の中でも、悪意を持って近づいてくる奴は、世の中にいっぱいいるものでさ。
俺を引き取るって甘い顔をして近づいてきた、近くに住んでた、がめつい叔父夫婦に、顔が良いからって理由で、ちょっとでも金の足しになるようにって、この国じゃ禁止されている非合法な奴隷商人に売られることになって、そのまま……っ、奴隷用の馬車に乗せられて、王都まで来ることになったんだ」
と、サージュさんから更に衝撃的な言葉が降ってきたことで、私は『……そんなっっ!』と、小さく悲鳴にも似たような声をあげてしまった。
……私自身も、孤児だった前世も含めて、今世でも虐待などで、とんでもないほどに苦しい思いをしてきたけれど、サージュさんの境遇も簡単に人に伝えることが出来ないほど重いものであり、迂闊に入り込んでいいものではないような気がしてしまう。
「けど、俺も、家族より発症するのが遅れたってだけで、そこで流行病にかかっちまって……。
奴隷用の馬車は、売られていく奴隷とかが8人くらいいた状況で、衛生面とかも含めてそこまで良くもなかったから、俺が患った流行病が移ってしまった奴もいて。
奴隷商には、少なくない金額で買ったのに、とんだ、ハズレを引かされちまったっ!
お前のせいで、ここにあった数人の商品達が台無しになったって、殴られたり蹴られたりの暴行の嵐で。
俺の病気を治すために高い金を出して更に投資するのは無駄だって判断されて、奴隷になる前に廃棄処分になりかけてたんだ」
その上で、更に、続けて、サージュさんから降ってきた言葉に、私は、ひゅっと息を呑んだあと、かけられたその言葉に何て返したら良いのか分からないまま、サージュさんのことをただただ気遣うように見つめてしまった。
……思いがけないくらいに深刻だったその過去に、心の中がずっしりと重たくなって、サージュさんのことをどうしても慮ってしまうし、その痛みも何もかもが、私にも充分に理解出来るだけに、直ぐには言葉が出てこなかった。
「それで、段々と衰弱して、明日死ぬかもしれないってところで、後ろ暗いことをしてた奴隷商に一斉摘発が入って、アレクの父親である現公爵に病気を治して貰えた上で助けられたんだ。
その恩に報いるために、自分からこの道を選んだ俺は、諜報員として鍛えてもらって、今の生活が送れてる。
でも、だからこそ、自分が今生きていることは偶然で、幸運で、公爵家のために、死ぬことすら厭わないと思ってるんだ。……俺は、この道でしか生きられないから」
そうして、そこまで私に話してくれたサージュさんは、本当に自分の命さえどうでもいいと思っているようだった。
だけど、私は、苦労してきた分だけ、サージュさんの今が、ほんの少しでも幸せであってほしいと望むし、今にも消えていいだなんて思うような生き方はしてほしくないなって、心の底からそう思う。
だから……。
「それでも、僕は……、サージュさんに自分の命を大事にしてほしいし、これから先の未来で、ただただ幸せになってほしいと願っています。
だって、サージュさんは、僕にとっても、凄く大切な人だから……」
と、私は、私に目線を合わせてしゃがみ込んでくれていたサージュさんのその手を、ぎゅっと、自分から握り返して、どこまでも真剣な声色で、本心から言葉を紡いでいく。
その言葉を聞いて、サージュさんのその瞳が驚きに見開かれ……。
「っっ、そんなことを誰かに言って貰えたのは初めてだ……っ」
と、何とも言えない複雑な表情だったものの、少しだけ嬉しそうに微笑んで、私にそう言ってくれたけれど、私は「きっと、アレクシスお兄様もそう思っていると思うし、公爵家の人達はみんな、サージュさんに命を大事にしてほしいと思っていると思います」と続けて、サージュさんに向かって、声を出し。
「何より、サージュさんに何かあったら僕が悲しいです」と告げて、ほんの僅かばかり、微笑み返せば、サージュさんは少し躊躇ったようにグッと息を呑んだあとで、それでも……。
「あぁ、そうだよな。ありがとう、リュカ。
お前が悲しんでくれるなら、俺も一生懸命に生きなきゃいけないよな。
その上で、俺も、お前のことを必ず護るし……っ、万が一にも、危険な目には遭わせないって約束する」
と、私の頭を撫でたあと、しっかりと私の瞳を見つめて、私のことを護ると誓ってくれながら、これからは、一生懸命に生きてくれると、力強く約束してくれた。