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第10話 ゆっくりとした休養と過保護なお世話



 私が公爵家の養子になってから、既に、一週間の月日が経とうとしていた。


 その間、私は怪我人として、とにかく身体の傷を治すことが大事だからと、アレクシス……、お兄様と、サージュさんを筆頭に、前に、誰かにお世話をしてもらうのは気兼ねするからといった感じで『私に侍女達は付けなくてもいい』と伝えていたから、みんな、遠慮がちではあったものの。


 それでも、家令や侍女達に至るまで、私のことを凄く心配してくれている様子で、出来るだけ身体を休めてゆっくり休養してほしいといった気遣うような視線が飛んでくることもあって、私は殆どの時間を自分用に宛てがってもらえた、この部屋の中のベッドの上で過ごしていた。


 私自身、いつものことだから、重い身体で動くということには慣れているのもあって、階段から突き落とされた怪我の分だけ、少し休んで回復出来ればそれだけで良かったし。


 人の手を患わせることに躊躇して、一度だけ『もう、大丈夫だと思います……っ』と、勇気を出して言ってみたんだけど、その時の周囲の人達の空気が心配を通り超して、あまりにも深刻な雰囲気になってしまったことから、私は、自分の意見をそっと引っ込めることにした。


 ――私自身、そんなふうに思ってもらえることに不慣れではあるものの、周りの人達があまりにも心配してくれるのは、何だか、ほんの少し擽ったい気持ちにもなってくる。


 因みに『リュカ、お前は、公爵家の養子になるんだから、これからは遠慮無く、俺のことを、兄だと思って接してくれたら嬉しい』と言われたことで、今まで、本人に対しては、アレクシスさんと呼んでいたんだけど、数日前からは、義理の兄として、正式に、アレクシスお兄様と呼ばせてもらうようになっていた。


『アレクシスお兄様って呼ぶのは、何だか、ちょっと変な感じがしてきてしまうけど。

 でも、公爵家の養子に入らせてもらったことから、義理とはいえ、兄弟になったんだもんね……っ』


 私自身、その呼び方には、未だ、あまり慣れていないけれど、徐々に慣れていければ嬉しいなと思う。


 だけど、みんながそうやって心配してくれるお陰で、伯爵家での生活とは、本当に180度違って、シーツは清潔に整えられているし、ふかふかのベッドの上はいつだって、怠惰に過ごすには充分すぎるほどのもので、柔らかい手触りの枕も顔を埋めるのに、凄く気持ちいい感じで……。


 更には、毎日、私の胃の大きさに合わせて朝、昼、晩と三食、きっちり出てくるご飯も凄く食べやすいように大分量を減らしてくれた上で、食べれなくてもいいから、ちょっとでも手をつけてくれたら嬉しいといった感じで品数は少し多めにして。


 私の栄養のことを考えて、お野菜がたっぷりのミネストローネとか、少し具材を多くしてのポトフなどといったスープ系のものを中心に、サラダやキノコとクリームのリゾットなども、厨房にいるシェフが作ってくれていて、毎回、多くの量は食べられないけれど。


 それでも、誰かが自分のためにわざわざ作ってくれる料理があまりにも嬉しくて、思わず『こんなにも贅沢なことをしてもらって良いんだろうか』と、人の温かさと優しさに、うるうると涙腺が緩んできてしまうほどだった。


 この3年間、マトモな食事が食べれていなかったから、余計に、美味しいご飯の有り難みが感じられていると思う。


 一度、シェフの人に直接お礼が言いたいからと、まだちょっとその呼び名に慣れていないから、たどたどしい感じで、忙しい合間を縫って、私の部屋にやって来てくれたアレクシスお兄様に、美味しいご飯を作ってもらえていることのお礼がしたいと声をかけると。


 わざわざ、私のことを抱っこして厨房にまで行ってくれて、シェフの人に、中々、量が食べられなくて申し訳ないということを伝えつつも。


『何を食べても本当に美味しくて、いつもとっても嬉しいです』


 と、今まで食べたポトフやリゾットなどの細かい料理の感想と共に、お礼を伝えたら、逆に、もの凄く嬉しそうな表情で、感激した様子で。


『そんなふうに、褒めて貰えるだなんてっ!

 そう言ってもらえると、作り甲斐がありますっ!

 今後も、リュカ様のために、腕によりをかけて美味しい料理を作っていきますねっ!』


 と、言われてしまった。


 何て言うか、貴族の人は、使用人達にお世話をされることや、美味しい料理が出てくることが当たり前になっている部分があるから、わざわざ料理を作ってもらっても、そのことに心から感謝することは殆どないみたいで、私の姿を見て『リュカから、学ぶことは俺も沢山あるな』と、アレクシスお兄様が褒めてくれた。


 ただ『感謝するのは勿論大事だが、嫌なことにまで感謝したりはしなくていいからな』と念を押すように言われたのはきっと、私が侍女長に、ご飯を持ってきてもらう度に、無理矢理、お礼を言わなければいけなかったことを知ってくれているからなんだろうな……。


 それから、ご飯といえば、私はこの1週間の間、何故か、サージュさんの手によって『これは、俺が、リュカにしてやれることでもあるから』と言った感じで、ずっと食べさせてもらっていた。


 お陰で、サージュさんとは大分距離も縮まってきたし、アレクシスお兄様もそうなんだけど、人の手が近づいてくると条件反射のようにビクッと震えるこの身体でも、二人から抱っこされるのには、大分、抵抗感がなくなってきていると思う。


 ――あくまで、推測でしかないけれど、もしかしたら、今まで虐待されてきた私のことを心配してくれて、私と距離を詰めて、色々なことをしてあげたいと思ってくれているのかもしれない。


『ただ……、他の人達が心配してくれていたり、保護してもらった時以上に、何だか、サージュさんとアレクシスお兄様には、過保護に甘やかされてしまってる気がする』


 その上で、私自身、今現在、毎日、食べて、寝てを繰り返してしまっていて、この一週間、ひな鳥のようにサージュさんに餌付けをしてもらって、やってきたアレクシスお兄様と、お話していた自覚が凄くあるんだけど。


 とうとう、1週間目にして『このままいくと、私、ずっと怠けた生活を送ってしまうんじゃないだろうか……』と、怪我を治すにしても、もうちょっと運動とかもするべきでは、と今更になって感じてしまった。


 とはいっても、サージュさんとアレクシスお兄様は、私がまだ療養する必要があると感じている様子で、なかなか、二人には、そのことを言い出せなかったんだけど。


 そうこうしているうちに、お昼になって、いつものようにサージュさんが『リュカお待たせ。今日も、ご飯、一緒に食べようなっ』と料理長が作ってくれた料理をトレーの上に載せて、お部屋にやって来てくれたあと、私のベッドの横に置いてある丸椅子に腰掛けながら、食べさせてくれることになった。


 今日のご飯は、身体に優しいものでありながらも、ちょっとずつ、私のお腹の許容量を増やすことを目的としてくれて、ただのスープというだけではなく、鶏肉と野菜を煮込んだチキンスープに、かぼちゃのクリームリゾットというメニューになっていて、それにサラダも付いて、もうそれだけで美味しそうだった。


 本来なら、貴族の食べるご飯として、もっと品数が多いみたいなんだけど、虐待されて碌に、きちんとしたご飯も食べてこられなかった私にとっては、これだけ食べられれば、本当に、充分すぎるくらいのもので、更に、私用に、大分量も減らしてはもらっているんだよね。


「リュカ、次は、どれが食べたい……っ?」


「あの……、じゃぁ、リゾットをお願いします」


 そうして、私の要望をしっかりと聞いてくれながら、椅子に座ったサージュさんが、お皿の上のリゾットをスプーンで掬って、私に「はい、あーん」と言いながら、食べさせてくれたことで、私は口を開けて、クリームリゾットがのったスプーンをぱくりと口の中にいれたあと、もぐもぐと、味わうようによく噛んで、ごくりとのみこみ、お腹の中に入れていく。


『わぁぁ、とろっとしたクリーミーな味わいと、かぼちゃの甘みが口いっぱいに広がって、バターの風味がふんわりと香ってきて凄く美味しい……っ』


 公爵家に来てからずっとなんだけど、あまりの食事の美味しさに、こんなに美味しいもの食べたことがないと思わず、へにょっと表情を綻ばせながら、ゆるゆる、ふわふわと口元を緩ませて「美味しいです……っ」と声をかけると。


 サージュさんが、そんな私の方を見て、目を細め、嬉しそうに「そんなに美味かったなら、食べてもらえた甲斐があったな」と、声をかけてくれながら、私の口元に付いていたらしいリゾットを、そっとタオルで拭ってくれて、私は思わず『中身はもう、いい大人なのに、口元にリゾット付けてた……っ!』と、かぁぁっと赤面しつつ、あたふたと慌ててしまった。


 私のそんな姿を、サージュさんは、ただただ微笑ましいと思ってくれているみたいで、特にそういったことに対して、何かを言及されたことはないんだけど、温かい視線を向けてもらうその度に、擽ったい気持ちと共に、ちょっとだけ恥ずかしくて照れてしまったり……。


 そうして、スプーンで色々な料理を口に運んでもらって「リュカ、どう? ……美味い?」と、問われる度に、本当に美味しくて嬉しいといった感じで、表情を緩めながらこくこくと頷いて、サージュさんから、あれこれとお世話を焼いてもらいながらも。


『やっぱり、このままだと絶対に怠惰なままになっちゃうし、ダメだよね』


 と、甘やかされるだけなのは良くないと内心で思いながら、やっぱり全部は食べられなくて、ちょっとだけ残してしまったごはんに申し訳なく感じつつ、かちゃかちゃと食器を片付けてくれようとしているサージュさんに向かって……。


「あの……、サージュさん」


 と声をかければ、サージュさんが「うん? どうした……?」と私にしっかりと目を合わせて問いかけてくれたことで、私も、意を決して。


「その……っ、ずっと、このままだと、本当に、申し訳なさすぎるので……、もしも可能なら、公爵家でも、お仕事がほしいというか、お役に立てるよう、自分に出来ることをしていきたいんです。

 その、お父様は、あんな感じでしたけど、僕自身、伯爵家の帳簿の付け方とかも勉強してましたし、何か出来ることがあるんじゃないかって。

 アレクシスお兄様が養子にしてくれたことで、少しでも公爵家に恩返しがしたくて」


 と声を出す。


 私がそう言えば、サージュさんは凄く驚いたような様子で目を見開いていて「っっ、そんなこと、リュカが気にする必要なんてないし、俺もアレクも甘えてほしいと思ってるんだ」と声をかけてくれて、特に今は、身体を休めてほしいと言わんばかりの気遣ってくれるような表情を見せてくれたものの、それでも、私の意思が固そうなのを見て、最終的には、悩みながらも、こくりと頷いてくれた。


「分かった。……アレクにも話しておく。

 でも、本当に無理はしないでいいし、休める時には休んでくれたら良いからな」


 そのあとで、そう言ってもらえたことに『良かった、これで公爵家の役にも立つことが出来る……っ』と感じながら、私はホッと胸を撫で下ろした。


 原作で、18歳になったリュカお兄様も、次期公爵であるアレクシスの補佐官のようなものをしていたけれど、エスティアを亡くしてからの喪失感と、両親からの虐待で、公爵家から保護されたばかりのお兄様は心が壊れてしまっていて、回復するのにかなり時間がかかっていたと思う。


 それでも、お兄様は、原作でヒーローの一人だったということもあり、どれほど回復が遅れても驚異的な早さで、色々なことを吸収して身につけていっていたけれど、私は、前世の記憶があって、きちんと大学までは出ることが出来ているものの、至って平凡な人間だから、リュカお兄様のようになるには、もっと、努力をしていかなければいけないだろう。


 ――それこそ、今から色々なことを身につけていかないと、アレクシスお兄様のことを隣で支えることも出来ないし、原作開始までには、きちんと、色々なことを勉強しながら、公爵家にも恩返しがしていきたいな。


 それに、アレクシスお兄様の補佐官になることが出来れば、今後、アレクシスお兄様に付いてまわることが出来るだろうから、色々な貴族と遣り取りする確率が高まって、リュカお兄様を殺した犯人を探しやすくなることにも繋がってくるはず


 そのためには、弱ったこの身体を少しでも元に戻すように体力作りも並行して行 っていかないといけないよね……。


 内心で、私が、そう思ったところで……。


 コンコンと扉をノックする音がして「リュカ、俺だ。……入っても良いか?」と、アレクシスお兄様の声が扉の外から聞こえてきて、私は、「あ……、はい、大丈夫です」と、扉の外へと声をかけていく。


 ただでさえ、ここ数日、伯爵家のドタバタで事後処理に追われて忙しかっただろうに、アレクシスお兄様も、サージュさんも、いつだって、時間を作ってくれては、私のもとへこうしてやって来てくれるんだよね。


 因みに、お父様とお母様といったコリンズ家の面々には、あれから厳しいほどの尋問をしてくれて、お父様や、お母様を含めて、最初は『こんな取り調べは不当』だと、喚き散らしていたみたいだったけど、それでも、既に、裏帳簿などの存在から言い逃れできない証拠が既に見つかっているということで徐々に形勢が悪くなってきたことを悟って、どうにもならないと、ようやく観念したみたい。


 尋問が終わったら、これから、更に厳しい刑罰が待っていると思う。


「なんだ、サージュ。お前も来ていたのか?」


「あぁ、丁度、お昼時だから、リュカにご飯を食べてもらってたんだ」


 そうして、部屋の中に入ってきてくれたアレクシスお兄様が、ベッドの横の丸椅子に座ってくれていたサージュさんの姿を見て、ほんの僅かばかり驚いたような視線を向けると、サージュさんが一度だけ、サイドテーブルの上に置かれたトレーへと視線を向けてから返事をしてくれたのが見えた。


 その際、アレクシスお兄様も、サイドテーブルの上をそっと確認してくれた様子だったのは、どれくらい食べられているか、私の体調を心配してくれてのものだったのだと思う。


「今日の食事は、これで、終わりか……?」


「あ、はい……っ、残してしまって、ごめんなさい」


「いや、大丈夫だ。

 それより、以前に比べると、ちょっとずつでも量が増やせて、食事が食べられるようになってきただけでも充分すぎるくらいだと俺は思う。

 リュカは、リュカのペースで、この調子で、少しずつ、頑張っていけばいい」


 そうして優しく微笑みかけてくれるアレクシスお兄様に、私は、サージュさんもそうだけど、アレクシスお兄様も本当にびっくりするくらい、本当に優しいよねと感じつつも、原作でも、リュカお兄様に対しては優しい兄だったと思うんだけど、それでも『こんな感じだったかな……? もっと、男の兄弟といった感じで接していたような気がするんだけど、私がまだ、8歳だからだろうか?』と、ちょっとだけ戸惑ってしまう。


 ただ、原作の小説に関しては、リュカお兄様の幼少期については、回想部分でしか出てこなかったし、そこまでしっかりと、どんなふうに過ごしていたのかなど、詳細に書かれている訳でもなく、掘り下げも行われていなかったから、リュカお兄様が8歳の時の公爵家の人々の対応は、やっぱりこんな感じだったのかもしれない。


「それより、リュカ……。

今日は、お前のために、ある客人を呼んでいるんだが、この部屋に呼んできてもいいか?」


 そのあと、アレクシスお兄様から突然、そう言われたことで私は驚いて目を丸くしてしまった。


「僕のための……、お客様、ですか……?」


「あぁ、以前、コリンズ伯爵家で仕えていた使用人の一人だ。

 3年前に、それまで、優しくしてくれていた使用人達が、傍についてくれていたのに、みんな、解雇されてしまったと言っていただろう?

 ……公爵家の者だと、緊張してしまう部分もあるだろうし、サージュや俺以外には、どうしても不安な気持ちも出てしまっているからな。

 お前にご飯を食べさせたり、これからお前に付くという意味でも、変わらずに、サージュがメインで世話をするというのは、俺とサージュの中でも既に話がついているが……。

 それでも、お前を、風呂に入れてやったり、身支度を整えたりすることが出来る使用人も、必ず、一人は必要になってくるだろうからな。

 その傍に付くのは慣れている使用人の方が良いかと思ったんだが」


 コリンズ伯爵家で不当に扱われていた私に思い当たる客人だなんているはずもなく、アレクシスお兄様からの言葉に、全然、ピンと来てなくて、戸惑ってしまったけれど。


 続けて、アレクシスお兄様からそう言ってもらえたことで、もしかして『懐かしい使用人達のうちの誰か』を、私のために、一生懸命、捜し当ててくれたのだろうかと思いながら、瞬間的に、嬉しいなと感じて……。


「あ……、アレクシスお兄様、僕のために、一生懸命、捜してくれたんですか……?

 本当に、ありがとうございます……っ。」


 と、がばりと頭を下げて、お礼の言葉をかければ『礼なら、サージュに言ってやってくれ。使用人を捜し出したのは、サージュだからな』と、お兄様が、ちらりと、サージュさんの方へと視線を向けたことで、私は、サージュさんにもお礼を伝えるために、ぺこりと頭を下げた。


 そうして、一体、誰が来てくれるんだろうと内心でドキドキしていたら……。


 一度、この部屋から出たアレクシスお兄様が、再び、戻ってきてくれると、その隣に、あまりにも懐かしい姿を見て、何よりも、伯爵家をあんな形で追い出されてしまったにも拘わらず、元気な姿が見られたことで、私は思わず。


「レイチェル……っ!」


 と、嬉しくて、ほんの僅かばかり表情を輝かせ、あまりにも懐かしかったことから、その名前を呼んで、目の前の、私とリュカお兄様のお世話役として付いてくれていた侍女である、レイチェルのその瞳を真っ直ぐに見つめていく。


 そんな私に対して、レイチェルの方も、口元に手を当てて、その瞳をいっぱいに大きく見開きながら、わなわなと震える身体で、一歩、一歩、数歩分、私の方へと近づいてきてくれたかと思うと。


「あぁ……っ、あぁ……っ、こんなにも痩せ細って、

 ずっと、お会いしたかったですっ! リュカ様っっ……!」


 と、弾かれたように、私のベッドの方へと駆け寄ってきてくれたあと、私がエスティアだということは分かっているはずなのに、私に向かって、そう声を出してくれた。



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