――あれから、3年の月日が経過して、私は8歳になっていた。
リュカお兄様が亡くなってから、私自身、ただ、襲い来る暴力に耐え忍んでいるだけではなくて、伯爵家の跡取り息子として、リュカお兄様の代わりに必要な教育だけは施してもらいながら『今後、少しでも、何かの役に立てることが出来れば……っ!』と、一生懸命に勉強を重ねつつ。
日常的な暴力によって酷く傷む身体を引きずりながらも、ここまで、何とか必死に命を繋いで生きることが出来ていた。
それでも、常に栄養失調状態のこの身体は、同年代の他の子供達に比べたら、肉付きもあまり良くなくて、空腹が満たされたとしても、普段は捨てられる野菜の部分だったり、カチカチのパンだったりとあまりにも偏った食生活で、お肉などといったタンパク質がとれることは滅多になく、きちんとした食事をもらえていなかったことが影響してか、自分で言うのもなんだけど、小柄で細すぎると思う。
『あぁ、本当にもう、どこもかしこも痛くて、空腹で、しんどすぎるな……っ』
以前は、数枚しかない服を着回していたのだけど、僅かながらでも成長していったことと、服がすり切れるような感じになってしまってからは着る事が出来なくなって、今は、以前、私のことを思い遣ってくれていた前の使用人達が着ていた『男もののシャツ』を不格好だけど着用することにしていた。
お陰で、ぶかぶかのそれは、膝の上まで私の身体をすっぽりと覆い、何もしなかったら、指先がちょっとだけ見えるか見えないかの感じで隠してしまうから、普段は、肘の上あたりまで、裾をまくって対応するようにしていた。
それすらも、もう大分汚くなってしまって、ボロ布のようになってしまっているのだけど、何もないよりはずっといい。
薄汚れ、ぼろ切れのような格好をしたまま、足元がおぼつかず、ふらふらになりながら、私は当主教育が行われていた執務室から出て、廊下の壁に寄りかかるようにして自分に宛てがわれた物置部屋のような自室へと向かっていく。
この3年、手当だなんていうものは、当然、誰にもしてもらえる訳もなく。
打ち身などに関しては、完全に治癒されていくのを待つしかなくて、誰かから故意に転ばされたりして血が出てしまった場合には、一度も新品に交換などもしてもらっていない、伯爵家の庭で水を汲んで自分で洗濯をしているシーツの端をハサミでちょっとずつ切ったりして、それを患部に当てて、何とか凌いできた。
――どこもかしこも、傷だらけだし、なるべく、このシーツは大事なもので使いたくないという思いがあるから、本当に急を要するほどの怪我をした時のみに限られてしまうんだけど……っ。
それに、今日も、書類の勉強や、帳簿の付け方など、真っ黒で偏った選民意識を植え付けられながら、当主教育としての勉強を伯爵邸の一室で行ったあと。
私自身、前世で成人した大人の記憶があることから、特に苦労などもすることなく言われたことをすんなりと理解することが出来ているし、この3年間のうちに、全く同意することが出来ない偏った選民意識については本当に最低だなと思って軽蔑しながらも、大人しく耐え忍び、帳簿の付け方なども直ぐにマスターすることが出来たから、8歳の子供としては優秀な方だと思うんだけど。
それでも、何かにつけて、ケチを付けたい様子で、私が直ぐに色々なことを理解して、何でもそつなくこなしていると、それはそれで面白くないのか。
『……っ、それしきのことで、勉強が出来ているつもりかっ!
これくらいのことは出来て当然だし、もっと、難しいことが出来てこそ一流だろうっ!
私が幼かった頃には、もっと出来ていたぞっ!』
と、理不尽に、何度も何度も鞭で打たれることになってしまった。
お父様は、難しいことが出来てこそ一流だというけれど、帳簿の中身は真っ黒で、自領に住む領民達に重税を課している分だけ、多くのお金を領地経営の資金に充てることが出来るはずなのに、それを領民達に還元することもなく、脱税や横領などといったことも平気でやっていて、王家に送るべき税金すらも過小に申告し、何一つ、真っ当なことはしていない上に。
横柄に振る舞うばかりで、基礎的なことは出来ていても、複雑なものになると一転して、帳簿の見方さえも今ひとつであるお父様は、自分が雇って、帳簿の管理を任している財務官が、お父様に口八丁のことを言って、横領をしているお金の中から、更に、多くのお金を抜き取って『当主様には、これくらいの金額を与えておけば満足するはずだ』と、騙していることにすら、きっと、気付いてないだろう。
そんなお父様のことを、心の底から『憐れな人だな』と感じながら、私自身、襲い来る暴力に耐えつつも……。
それはそれで、いつものことだから、そういうことをされている時は、もうあまり特別な感情すらも抱かなくなってしまっているのだけど、あちこちでジクジク痛み出し、鞭で打たれたところが腫れ上がっている上に、更には、執務室から出て直ぐのところで、伯爵邸に雇われている使用人の1人に姿を見られてしまったことで。
『こっちは、豪華な内装で、伯爵様やご夫人が住まうところよっ!
お前には、薄汚くて陰気な物置部屋がお似合いでしょうっ!
そんなにも汚い格好をしたお前が、こういった場所に来ること自体が烏滸がましいわ!』
と、私が跡継ぎとしての教育を施されているということは知っているにも拘わらず、虫の居所が悪かった様子で、ドンと身体を押されて階段から突き落とされてしまい、幸いにも捻挫などはしていないと思うけど、激しく身体を硬い地面に打ち付けたことで、私は少なくないダメージを負ってしまっていた。
伯爵であるお父様や、お母様が私を蔑ろにしていることで、彼等自身、私が次期当主になっても、自分達の絶対的な立場は揺らがないと思っているのだろうし。
お父様が生きているうちはお父様に実権があるけれど、私がその座についた時は、なんとでも言いくるめながら、お飾りの当主として傀儡にし、侍女長や、執事長などを含めて、自分達が実権を握れると思っているのだと思う。
『……どうしよう、今日は、本当に、あまりにも酷くて、頭がくらくらする……っ』
普段なら、まだ耐えられることも、今日は、ご飯も抜かれて、身体中、鞭で打たれて、更には階段から突き落とされているから……。
――流石に、凄く辛いかもしれない……っ
頭の中がぽーっとして、ふらふらと足取りが覚束ないまま、何度か転びかけながらも、よろよろとあっちこっち身体が交互に揺れるのを感じつつ、やっとの思いで自室に辿り着いた私は、倒れるように、ベッドの上へとぽすんと身体を預けることにした。
決して柔らかく私のことを包み込んでくれる訳でもなく、硬いベッドの上は居心地が良いとは言い難かったけれど、それでも、少しでもこの身体を休めることが出来るのなら、何でも良かった。
誰かから与えられる暴力にも、もう慣れてしまっていたけれど、3年前に比べて、体力がどんどんすり減っていっているのは自分でも実感していたし、少しでも長く体力を温存するために、何もない時は、ベッドの上で、やり過ごすようにしているとはいえ、毎日のことに、身体は追いついていかなくて。
弱ってしまった身体で、脈打つような鼓動に「はぁ……っ、はぁ……っ」と、荒い息を溢しながらも、私はシーツを手繰りよせ、それをぎゅっと大事に抱えたまま、ベッドの真ん中で丸まって「リュカお兄様……」と声を出し、時が過ぎ去っていくのを、ただひたすらに、ジッと待つ。
万が一にでも、自分のものを洗っているというのが見つかってしまうと、目の色を変えた使用人達に『生意気』だと取り上げられて、洗った先から泥まみれにされてしまうことが分かっているから、干せる時間なども限られて、生乾きの時の独特な匂いがするけれど。
それでも、私にとって、このシーツは、リュカお兄様の痕跡が色濃く残るものでもあるから、まるで御守りのように、それをぎゅっと握りしめているだけでも、一人ではない気がして、ほんの少し落ち着くことが出来た。
原作でも、伯爵邸で行われてきた3年間の暴力と共に『エスティアが死んでしまったのは、お前の所為だ』と罪悪感を植え付けられながら蔑まれてきたことで、リュカお兄様の心は、ボロボロに壊れていって、8歳の私と同じ年齢になった時には、にこりとも笑えなくなってしまうくらいに酷い状態になってしまっていたけれど、私自身も、もう、この生活に、限界が近づいていると思う。
こうして、私が何とか、ほんの僅かばかりでも気力を保っていられるのは、前世で20年以上生きた記憶があるからだし、今生では、リュカお兄様の死の真相をしっかりと探って、犯人を見つけるまでは死ねないという、心の奥底に軸となっている『生きるための目的』があるからだ。
――じゃなきゃ、きっと、日々の生活に耐えられず、もうとっくに心が壊れてしまっていただろう。
✽ ✽ ✽ ✽
「……んっ、」
それから、一体、どれくらいの時間が経っただろうか……?
気が付いたら疲労が溜まって、ベッドの上で眠ってしまっていたのだと思う。
直接的に、窓からの光が目に当たってきたことで、私は、反射的にきゅっと目を瞑ってしまった。
部屋の中にある唯一の小窓から差し込んでくる光は、黄昏時を現すように、オレンジ色に染まっていて、もう既に日が沈みかけるような時刻であることを、私の方へと伝えてくる。
そのあとで、特に、耳を澄ましたりしていた訳でもないのに、窓の外から、いつもとは違って、やけに、バタバタと慌ただしい音が聞こえてきたことで、私は『一体、どうしたんだろうっ?』と、きょとんと首を横に傾げてしまった。
『この部屋は、伯爵邸の中でも特に奥まった場所にあるし、仮に外だとしても、声が聞こえることなんて滅多にないんだよね。
たとえ、お客さんが来たとしても、ここまで複数人が出入りするような音はしないはずなのに……』
その状況に、いつもとは違い、あまりにも可笑しいな、と思う。
この部屋からは、誰が何を話しているのかまでは分からないけれど、複数人が喋っているような、普段とは明らかに違う声が幾つも聞こえてくることで、私は『何かあったのかな?』と気になって、様子を窺うために、この重たい身体を起こそうとしたものの、全く力が入らずに、その場に、ぺたんとへたり込んでしまった。
『……分かっていたことだったけど、この身体は、あまりにも、体力がなさすぎる……っ』
そんな自分が情けなくて、へにゃりと眉を寄せ、困りきった表情を浮かべながらも、私はもう一度、立ち上がるのに再挑戦することにして、一生懸命、身体全体に力を込めていく。
そうして、何とかベッドの上から降りることに成功したあと、キシリと古びた木製の床を踏み鳴らし、一歩一歩、部屋の小窓へと近づいてから、窓を開け、そっと、そこから外を覗き込むことにした。
けれど、私が、どれだけ様子を見ようと外を見ても、ここは伯爵邸の一番奥まった場所にある部屋であり、伯爵邸に植えられている大木などが邪魔して、普段から、あまりしっかりと外の景色が見える訳ではないことからも、何が起きているのかまでを窺い知ることは出来なくて、そのことに、もどかしい気持ちを抱えたまま、私は『仕方がないよね』と、窓から外を見るのを諦めて……。
それならば、何が起きているのか、ここから出てみる他ないだろうなと感じながら、どこまでも重たい身体を引きずって、この子供部屋から出ることにした。
なるべく、痛みに喘ぐ『この身体』を支えるように壁伝いに、一歩、廊下へと出てみれば、先ほどまで、外がガヤガヤとしていたのとは打って変わって、伯爵邸の中は、驚く程にシーンと静まり返っている。
とはいっても、それは、私の部屋として用意されている物置小屋のような子供部屋がある『伯爵邸の奥まった所にあるこの場所』だけで、きっと、お父様やお母様が普段暮らしている贅を凝らしたような建物の中心部においては、いつも、沢山の使用人達がいるし、そんなことはないと思うんだけど。
ただ、それにしたって、普段とは違い、あまりにも人の影が見えないのは、違和感すぎるよね……?
日頃から、特別、人が多いという訳でもないし、私の部屋へと入ってくる人間がいるのなら、それは私を虐げるような目的でやってくるような人ばかりだけど、それでも、平時なら、ここまで誰の影も見えなくて、人がいないだなんてことが、まずあり得ないっ。
ここが、伯爵邸の奥、片隅にある場所だということで、侍女や使用人達が仕事をサボったりするのにも絶好のスポットになっていたりもしていたから、いつもなら、数人程度の影が見えるようなことも多いのに……!
私が言い知れない違和感を感じたまま、重たい身体に鞭を打って、だいぶ、屋敷の中でもメインとなっているお父様やお母様が普段過ごしているリビングルームや応接間などがある辺りへと近づいていくと、さっき感じた違和感の非ではないくらい、段々と、今の状況が、異様だということが、私にも伝わってくる。
……ここまで来たのに、侍女などといった使用人達も含めて、一切、誰の姿も見えないだなんてことがあり得るのかなっ?
いつもなら、ここまで来れば、絶対に誰かの影は見えるし、侍女も、執事も、雇われたシェフなどといった人達も含めて、屋敷には数多くの従者達がいるはずなのに。
『どうして……っ?』
戸惑うように、お父様とお母様が各地で集めてきたという派手派手しく趣味の悪い調度品が幾つも飾られた廊下を、ぺたぺたと歩きながら、私は首を横に傾げつつ、館の応接室の方へと向かって歩くことにした。
そこで、今日初めて……。
「オイっ、やめろっ! そこには、何もないって言っているだろう!
この王家の犬めがっっ!
まるで、蛮族の如く、私達を縛り付けてきやがって、タダじゃおかないぞっ……!
直々に公爵が出てくるのならまだしも、公爵家の息子風情が……っ、勝手に入ってきては、我が物顔をして、この家を荒らしまくって、幾ら、王命といえども、このようなことが許されていいのかっ!
無礼すぎるだろうっ!」
などといった、怒りを滲ませるように大声で怒鳴り散らす聞き慣れたお父様の声が聞こえてきたことで、ようやく、ここにきて初めて『人がいる……っ』とホッとしながらも、私は、一体何が起きているのかと、応接室に繋がる扉の方へと一歩一歩近づいていくことにした。
その瞬間……。
「お前に何を言われようとも、俺は、今日、公爵である父上の代理で、正式に国王陛下からの命令を受けてここにやってきている……っ!
ここで、口答えをすることは王家への反逆と見なされるぞっ。
俺たちが調査をし終わるまで、静かにしていろ」
という、誰かの力強い声が聞こえてきたことで、私は思わず、扉の前で、ビクリと肩を揺らしてしまった。
そうして……。
「それに、俺たちが調べを進めていく上で、コリンズ家が長年、圧政を敷いて、自領の民達に重税を課していただけでなく……。
伯爵邸で雇っている管理官と共に、帳簿を誤魔化し、国への税金を過小に申告して脱税をしていているのだという証拠だってあがっている。
お前達が弁明する余地など何もなく、本来、伯爵邸で使われるべきはずの予算の横領に余念がなかったということは既に知れているんだ。
嘘の申告は、余計に自分の首を絞めて、陛下の怒りを買うことになるのだから、よく考えて口を開くんだな」
と、どこまでも深く落ち着いた声色で、言葉を紡いでいくその人は、怒っているはずなのに。
お父様の苛立ちの籠もった荒々しい声や、お母様の金切り声などとは違って、威厳があるようにも聞こえるけれど、洗練されているような雰囲気で、耳に馴染むような感じがして心地いいほどに、凄く聞きやすく。
「そうそう。
大体さぁ、俺たちが無礼っていうんなら、お前らの方がよっぽど無礼だろっ!
何も、今日は、公爵家の息子とその従者が、伯爵位を持つアンタのところにお遊びでやってきてる訳じゃねぇんだよ。
俺等が持って来た紙に押してある王家の紋章、ちゃんと見えてんのっ?
家の中の捜索なんかも、全部、きちんと認められてるし、それに付随するような証拠なんかも、もうとっくに上がって、あとは、どこまでの罪を犯しているのか確認して断罪するっていうところまで来てるんだよ!」
更に、そのあと、『自分達の言葉には正当性がある』のだと言わんばかりに、別の人の声が聞こえてきたことで。
「……っ、そんなの、聞いてないわよっ……! ねぇ、こんなのって、あまりにも不当だわっ!
当主であるダンケルはまだしも、私は本当に何も知らないんだから、解放してったら……っ!
私、本当に、主人が裏でそんなにもあくどいことをやっていただなんて何一つ理解していなかったのよっ! 長年、主人に、騙されていたんだもの……っ!」
と、お母様が甲高い声を上げたあとに、お父様だけの所為にして、憐憫さを煽るような演技で、自分だけは逃がしてほしいと身勝手に声を出したのが聞こえてきあと、お父様が「な……っ、お前……っ!」と言ったことで、これまで、自分の毎日があまりにも激動すぎて、酷い目に遭わされてきたことで、すっかり忘れてしまっていたけれど。
――コリンズ家で、お父様とお母様が断罪されそうになっている、今の状況を見て……。
私は、その遣り取りで、もしかして『原作で、リュカお兄様が助けられることになる公爵家の人達が、コリンズ家へと来てくれたのではないだろうか』と感じて、そわそわと落ち着かない気持ちになってしまった。
その上で、ほんの僅かばかり開いていた扉の隙間から、そっと中を覗き見ようとして、扉に手をかけた所までは良かったんだけど……。
とりあえず、扉の隙間から、ちょっとだけ中を覗き見ることが出来れば、それだけで良かったのに『あっ』と思う間もなく、碌に、ご飯をきちんと食べられていなかったこの身体は、一番肝心な時に、しっかりと足に力さえ込められず。
『わぁぁ、どうしよっ! このままじゃ転んじゃうっ!』と感じたものの、最悪のタイミングでよろけてしまって、私は、ほんの僅かばかり開いていた扉を、自分の身体で押すようにして、そのまま、がたがたっと、応接室の方へと倒れ込み、勢いあまって部屋の中へと入ってしまうことになってしまった。
そうして、部屋の扉の前あたりで、お金のかけられた硬い大理石の床へと、べしゃりと音を立てて、思いっきりぶつけてしまったおでこに鈍い痛みを感じながらも、ゆるゆるとオーバーサイズのシャツ一枚という見窄らしい 格好で、恐る恐る顔をあげれば……。
その瞬間……。
この部屋の中にいた人達の視線が、一斉に私の方へと向けられたことで、その突き刺さるような視線に、私は、針のむしろのような状態になってしまった。
誰も彼もが私の突然の登場に驚いてしまってる。
その無言の視線に耐えられず、きょろりと、視線だけを動かして、状況把握のために周囲を見渡せば、お父様や、お母様だけではなく、侍女長や、他の使用人達に至るまで全員がこの部屋の中に集められ、何人もの騎士達に周りを取り囲まれた上で、ロープでぐるぐる巻きにされ、拘束されてしまっているみたいだった。
騎士の人達が着用している隊服に、王家の紋章が見えることからも、彼等は王家から命じられてやってきた王国騎士団の騎士なはず……っ。
お父様や、お母様は私を見て『なっ……、貴様っっ! 何故、部屋で大人しくしていない……っ!』だとか『アンタ……っ、どうしてっ!』と言わんばかりに、一瞬だけ、驚いたように思いっきり目を見開きつつも、何とか周囲にそのことがバレないよう、私のことを口に出すのを堪えながら、焦り、責め立てるような視線を一度だけ向けたあと、何も言えない状況に、ぐっと唇を噛みしめていく。
更に、他の使用人達も、特に侍女長なんかは、私がこの場に来たことで、一瞬だけ嫌悪感の混じったような視線を向けてきたけれど、直ぐに、周りの目を気にして、その視線を引っ込めたあと、細心の注意を払った様子で誤魔化すように私から視線を逸らしていってしまった。
――みんな、普段、私のことを自分よりも下の存在だと軽んじて蔑んでいたから、私が来たことで、普段と同じように、一瞬だけでも、嫌悪する感情が沸き上がってきてしまったんだと思う。
それでも、私の存在が、今、この瞬間、騎士達や公爵家の人達にバレてしまうと良くないと感じて、誰も彼もが、私への感情を出さないように堪えているみたいだった。
そうして、その中心で、まるで深い闇夜を思わせるような黒髪に黒色の瞳をして、16歳にしては大人びていて精悍な雰囲気を持ち合わせ。
さっきまで何事にも動じないような雰囲気で落ち着き払っていた美丈夫の瞳が、今、この瞬間にだけは、ほんの僅かばかり見開かれ、私を真っ直ぐに見つめてきたことで、思わず私は、自分が負っている怪我のことすら忘れて、その姿に見入ってしまった。
『わぁ……、本当に凄く格好いい……っ』
アレクシス・スチュワート。
スチュワート公爵家の次期公爵という立場で、王家に忠義を尽くす姿が格好いいと原作の小説でも絶大な人気を誇るキャラクターだった。
元を辿れば、スチュワート家自体が由緒正しい王家の血筋を有していて、最も、王家からの信頼が厚いとされる臣下であり、公爵家が王国に絶対的な忠誠を誓っていることから、この『アルカディア王国』で、王政を維持するために、王権派の筆頭の立ち位置にいる家紋だったはず。
対して、コリンズ家は『貴族が実権を握るべきだ』と声高らかに表明している新興貴族などを中心にした貴族派に属しているから、そもそも、お父様は、公爵家を毛嫌いしているんだった。
――そこには、コリンズ家が懇意にしている、貴族派でも重鎮と名高いアンドレ侯爵の影がある。
だからこそ、アレクシスは、王家に命じられてコリンズ家の裏を探っていたんだよね。
どう考えても、お父様どころか、アンドレ侯爵も、その足元にも及ばないと思うけれど……。
だけど、それで、さっきの発言に繋がってしまったのか。
まさか、由緒正しい公爵家の嫡男として名誉ある立場に生まれて、国王陛下直々に命じられたことで、公爵家の代理としてやってきたアレクシスのことを『王家の犬』呼ばわりするだなんて……っ!
それを、王家に対する反逆と言わないで、何と言うのだろう……?
言っても無駄だと分かっていつつも、その発言に、心臓が止まりかけ、ヒヤッと寿命が縮むような思いをしてしまった私は、一人、内心であたふたと戸惑ってしまう。
そうして、自分の父親が不甲斐ないばかりに『ご迷惑をおかけして本当にごめんなさい』と申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、謝罪をするような表情を浮かべて……。
「ぁ……っ、……ぅっっ」
――あの……、お父様が、失礼なことをして、本当にごめんなさい。
と、アレクシスに向かって公爵家と伯爵家というあまりにも大きな立場の差から、きちんとしたお詫びをしなければいけないと、謝罪の言葉を口にするために慌てて口を開いたものの。
からからに渇いた口からは、掠れた様な声色になって、碌に言葉も発することが出来ないまま、空気となって僅かな音が溢れ落ちただけだった。
……そういえば、今日の教育が終わったあと、部屋に戻ってから、お水さえ飲まずに眠ってしまっていたから、それで、喉がからからに渇いてしまっているのだと思う。
死なない程度に、お水は用意してくれるといっても、それでも貴重なものだから、あまり飲まないで取っておいたのも良くなかったかもしれない。
ここまで頑張って、この部屋にやって来ることが出来たまではいいものの。
一度、倒れ込んでしまったこの身体を動かして、何とか、ぺたんと床に座ることが出来たあとは、もう、それ以上、この身体を動かすことも敵わずに、一生懸命に、言葉を伝えようとして、はくはくと、困ったように、口を動かすことしか出来ない私を見て、アレクシスの瞳が、更に剣呑なものへと変わっていく。
その上で、多分だけど、私のそんな姿を見て、何か、とてつもない勘違いをされてしまったのか。
「っっ、こんなにも、小さな子供が……っ、このような表情を浮かべて。
……言葉まで奪われてしまっているのか……っ!」
とアレクシスが小さく呟いたかと思ったら、ぎりっと奥歯を噛みしめた様子で、その瞳を更に厳しく鋭くした上で、眉根を寄せたあと。
「オイ……っ、ふざけるな……っ!
お前達っっ、これは一体、どういうことなんだっ?
屋敷にいる人間は、全員、事前に、この場に集まるようにと言っておいたはずだろう……っ!
それなのに、誰もその存在を申告しなかったばかりか、こんなにも、ガリガリに痩せ細って、至るところに怪我をしている子供をっ、今まで、一体、どこに隠していたっっ?」
と、まるで地を這うかのように怒気を孕んだようなその声色は、先ほどまでの対応が、ただただ生易しかったのだと思えるくらいに低くなり。
お父様とお母様だけではなく、この場にいる伯爵家の使用人達の方を一様に見たあとで、額に青筋を浮かべながら怒鳴りつけたのが見えて、私はビックリして、思わず肩を揺らしてしまった。