ガシャァァンという激しい音が、響き渡り……。
誰かのつんざくような悲鳴が、あたりに木霊する。
人が倒れた衝撃で、豪華な食事が置かれたテーブルの上が、散乱するように散らばって……。
私とそっくりそのまま瓜二つの顔をした男の子が、悶え、苦しみ、自分で支えることも出来ずに、テーブルクロスを引きずりながら、あっという間に、硬い地面へと身体を打ち付けていく。
『ずっと一緒にいようね』
この辛い境遇の中で、たった、一人、苦しみを分かち合える唯一無二の存在だった。
ずっと二人で支え合って生きてきた。
一人、生き残ってしまった私は、絶望に塗れ、ただただ、その光景を前にして呼吸が浅くなってしまい、こみ上げてくる涙を抑えることが出来なかった。
生まれた時から傍にいた自分の半身の息が静かになくなっていってしまうことへの恐怖が、今もなお、色濃く残ってしまってる。
誰も彼もが、その惨状に、痛ましいものを見るような目つきになっていたけれど……。
そんな状況下で、私自身、誰だったのかまではきちんと覚えることが出来ていなかったものの。
――確かに、口角を吊り上げて笑ったような影がいた……。
「どうして、こんなことになったんだっ!
あり得ないっっ!
あり得ないだろう、エスティアっ!
何故、兄であるリュカが死んで、妹のお前が助かっているっ!?
女のお前が死ねば良かったのにっっ!」
激しい怒りの感情に任せ、怒号のように責め立てられながら、グッとめり込むようにお腹を殴られたあと、5歳という年齢にしては肉付きの良くない『 この身体』は、いとも簡単に吹っ飛んでしまい、部屋の中にあったベッドの横のサイドテーブルへと身体を打ち付けてしまった。
瞬間、どこを打ったのか分からないけれど、ゴンっという鈍い音と共に、激しい衝撃で焼け付くような痛みが広がっていき。
苦悶の表情を浮かべて「……っっ!」 と呻くように蹲った私に構わず、目の前の、父である人が「この役立たずめがっっ!」と声を荒げ、憤怒の表情を浮かべながら、更に、追い打ちをかけるかの如く、何度も私の背中をめがけて足を振り下ろし、ガシガシと踏みつけてくる。
「……っ、ぅぁっ……!」
容赦なく降ってくる暴力に、今の私に出来ることは身体を丸めて、その痛みに耐えしのぐことだけで、その様子を見て、止めてくれる訳でもなく、まるで穢らわしいものを見るような目つきになりながらも……。
「ねぇ、一体どうするのよっ!
女のお前ならまだしも、リュカは伯爵家の跡取りだったのよ!
本当に、許せないわっっ!
お前よりも、リュカの方が、全然使い道があったのに、リュカの身代わりに死ぬことすら出来ないだなんてっ!
お前は、本当に、いるだけで迷惑しかかけない穀潰しでしかないわね!」
と、派手な衣装を身に纏った私の母である人が、目の色を変え、その瞳を釣り上げながら近づいてきて、蹲っている私の頬に食い込ませるように、贅を凝らして手入れの行き届いた長い爪を立て、無理矢理、その手で、この顔を持ちあげたあと『一体、どうするつもりなのっ!』と言わんばかりに、ギロリとその目を剥きながら睨みつけてくる。
けれども、ジクジクとした痛みが走り、身体中が軋むよう
に悲鳴を上げていることから、私はお母様からのその言葉にしっかりと答えることも出来ずに、ただ、小さく「……うぅっ、」と、くぐもった声を溢すのが精一杯だった。
――その瞳には、兄であるリュカお兄様のことを、心底、心配してくれている母親としての優しい瞳などはどこにもなく、まるで、虫けら以下だとでも言うかのように、私達のことをただの道具としてしか見ていないことが伺える。
「……っ、あっ、リュカお兄様、ごめんなさ……いっ」
もう既に、泣きはらしていたあとだったけど、途端、ぶわりと、また、込み上がってくる気持ちが抑えられず、大粒の涙が決壊するかのように、ぼろぼろと、あとからあとから
必死で絞り出した言葉は、貴族の子供が二人で暮らすにはあまりにも狭い『物置部屋』のような、この子供部屋の中で、微かすぎる声色として、ぽつりと空気になって溢れ落ちた。
『わたしが、もっとちゃんと、リュカお兄様のこと、気に掛けてあげていれば良かった。
お客さんが来るからって、いつもとは違って整えられた服に、お母様もお父様も、本当は、私達のことを愛してくれるんじゃないかって、浮かれたりしないで……』
――どれだけ、懺悔しても、後悔しても、リュカお兄様は帰ってこない
そのことだけが、重く、この身体に伸し掛かる。
その上で、さっきまで私の顔を持ちあげていたお母様が、
私の顔から、その手をパッと離したかと思ったら、サイドテーブルの上に置かれていた何かを手にとって、私の方へと近づいてきたあと。
私の目の前で、ジャキっ、ジャキッという何かが擦れるような音を鳴らしながら、私の顔をのぞきこむように『嗚呼、私ったら、良いことを思いついたわっ!』と、その口元をゆるゆると緩ませて。
「ねぇ、伯爵家の跡取りだったリュカが死んでしまったら、不都合が生じてしまうでしょう?
私達は、子宝には恵まれない身だし、弟夫妻の子供だった貴方たち双子を引き取って、ここまで育ててやった恩を、エスティア、あなたなら返してくれるわよねっ!?
ねぇ、そうでしょう……っ? あなたは、今日から、エスティア・コリンズではなくて、リュカよ。リュカ・コリンズになるの……っ!」
と、私の耳元で囁くように、お母様が何かを言ってきて……。
お母様からの言葉に『私が、リュカお兄様になるの……?』と、疑問に思うよりも先に「あなたはもう女の子じゃないの」と言いながら、ジャキっと、髪の毛の端から鋭い
それを、止めることも出来ないまま、呆然と、お母様の方を見上げる私に、それまで、激しく興奮しながら苛立ちを隠すことも出来ていなかった様子のお父様が最後の一押しだと言わんばかりに、私の背中を、力強く蹴りつけたあとで……。
「なるほどなっ、イライザっ! そいつは、良い考えだっっ!
髪の毛が短いか長いかの違いだけで、どうせ、リュカもエスティアも見分けがつかないほど、そっくりな顔つきをしているんだっ!
今日死んだのは、紛れもなくっ、エスティアの方であり、リュカではないっっ!
そういうことだろうっっ!?」
と、どこまでも興奮したように、お母様の方に向かって声をあげたのが聞こえてきた。
そのあとで「
と私に向かって声をかけてきたお父様は、リュカお兄様が死んでしまったばかりなのに、何が楽しいのか、先ほどまでとは打って変わったように、にやにやとした笑みを私に向けてきた上で……。
「こうして、
今までも、これからも、お前は、ちゃぁんとした伯爵家の跡取りだからなっ!
そんなふうに、
と、そう言いながら、この部屋に置かれていた小さなタンスの、リュカお兄様のものだけしか入っていない一段目の引き出しを開けて、普段、リュカお兄様が着回している数枚しかない服を取りだして「ほらっ、3枚もあるぞっ! こんなにあるんだから、よりどりみどりだろう」と、痛みに喘ぐように地面に蹲ったままの私の腕をぐいっと引っ張って、無理矢理立たせてくる。
その拍子に、身体のあちこちから酷い痛みを訴えるかのように、時間が経つにつれ、ジクジクとした痛みがどんどん増していくのを感じながら、きちんと立っていられず、ふらりと身体がよろけてしまったのを見て、お父様が再び怒りを再燃させて「……このっっ、!」と、憤るような表情をしながら、腕を大きく振り上げ、私の頬に向かって平手打ちをしてこようとしたタイミングで。
「伯爵様。……どうか怒りをお納めくださいっっ!
エスティア様には、私の方から言っておきますので……っ!」
と、この狭い物置部屋のような子供部屋の扉を開けて、給仕服姿に身を包んだ一人の使用人が飛び込むように私達の間に入ってきて、伯爵であるお父様に向かって、この場をおさめるように声をかけてくれた。
そのタイミングで、私の腕をお父様が力強く握っていたのが振りほどかれ、私は、もう立っている気力さえ残っていなくて、ふらりと、木目調の床に向かって倒れ込んでしまった。
どさっという鈍い音が聞こえたあと、絨毯も何も引かれていない硬い床に身体を打ち付け。
薄れゆく意識の中で、ぼやける視界に映っていたのは、政略的な道具としてあまりにも厳しい躾を施してくるお父様とお母様の目を盗むようにして、今まで、私とリュカお兄様に優しく接してきてくれていた侍女、レイチェル の姿であ
り。
その周りには、贅沢三昧のお父様やお母様に隠れつつも、今まで私達に心を砕いてくれていた使用人達が、何人も、私とお父様の間に入り、その衝動的な行動を止めてくれていたんだと思う。
それでも、ヒートアップするかのように手がつけられないほどの激しい怒号と、それを何とか抑えようとしてくれている声が複数聞こえてきたあとで、リュカお兄様が死んでしまったことと、お母様とお父様から受けた酷い仕打ちに耐えられなくて、私の意識はそこで、プツンと途切れてしまった。