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 第百六話 抱えて生きていこう

 令は優菜に悪夢との向き合い方について話した。

 それは令の自分なりの方法ではあったが、優菜にも理解出来るものだった。

 結局のところ、トラウマも周りからの期待も、全て抱えるしかないということ。

 優菜はまた悪夢に囚われるのではないかと、少しばかり臆病になっていた。

 夢見が悪いと、現実でもそれが起きてしまいそうで怖いからだ。

 令はそんな優菜の気持ちを察して「そうはならないから、大丈夫だ」と声を掛ける。

 「でもね、もしもそうだったら……。そうなってしまったら、私はまた令から離れることになっちゃうかもしれない……。そんなの、耐えられない。誰かが令のことを奪うことになったら、嫌だ」

「大丈夫」

 令は大丈夫とだけ繰り返して言う。次第に、優菜もその言葉が信じられるようになってきて、令が本当に他の人に靡かない人なのだと思い出す。

 そもそも、優菜以外には靡かない。そういう人だったのだから。

「俺は、もう優菜以外に笑顔を見せない、とでも言えばいいのか? もし、本当にそれが望みなら、そうするが……」

「しなくていい! しなくていいよ。別に、他の人に笑顔を見せても……ちょっと嫉妬するけど、令の自由だもん……」

「……そうか」

 そして、令は優菜から悪夢の内容を聞いて、そういう時はこう考えればいいと、考え方によるものだと教えていた。

 優菜も素直にそれを飲み込むつもりだった。

 だが、優菜の心には陰がどうしても出来てしまう。

「……どうした。優菜。明るくて前向きないつもの優菜はどこに行っちゃったんだ?」

「わかんない……。なんだろう。マリッジブルーみたいなものなのかな……」

「……これは誰にも教えないつもりだったが、俺も結婚には少し不安がある」

「え? 令が?」

「ああ。両親がああだったし、優菜の両親や家族も言い方は悪いが、ああだから。俺達が結婚することによって家庭が出来て、そうしたら全てが変わってしまうんじゃないかと、少し怖いと思う自分がいる。それでも家族になりたいと思うのは、優菜が妻になってくれるからなんだ」

「……そうなんだ。でも、私結婚、したいよ。マリッジブルーとかなんとか言っちゃったけど、でも、結婚したいの」

「わかっているから、そう不安そうにするな。俺も同じ気持ちだ。なあ、優菜。ありきたりな言葉しか言えないが、温かい家庭を築こう。俺達は。きっと、俺達なら出来るから……」

「うん……。そうだね。そう、だよね!」

「……明るい優菜が戻ってきたな」

 ふと微笑む令の表情を見て、優菜はこの人を選んでよかったと思った。

「大体のことはこれまでのこともあってわかっていると思うが、何とかなるし、俺もどうにかしてやる。だから、気にしすぎるな」

「ありがとう……」

「お前は期待に応えようと頑張りすぎるところがあるからな。それで、よく悪夢に囚われるんだ。もっと自分の自由さを考えて動いてもいいと思うぞ」

「自分の自由さ……って何?」

「もっと、ああしたい、こうしたいという気持ちだ。例えば友達と遊びたいとか、そういう気持ちに素直になればいい。そうして楽しい思い出を積み重ねて行けば、いつの間にかトラウマや悪夢から抜け出せる。思い出してしまった時は俺に話せばいい」

「うん。そうするね……!」

 令は優菜の頭を撫でて、「いい子だ」と言った。

「優菜の期待に応えようとする頑張りは、俺はいつも見ている。それこそハラハラしながらな」

「令でもハラハラするんだ……」

 優菜はちょっと面白く思えて、くすくすっと笑った。

「俺も人間だからな。……まあ、ハラハラしながらも、お前はいつも何故か解決出来る人間だから、見守る程度にしているんだ。これからも、それは変わらないと思う。だから、変に束縛なんかしないし、そこは安心してくれて構わない」

 優菜はここまで信頼してくれている令に、頭が上がらなかった。令のことだ。きっと相当、信じてくれていないとこうも大事には思ってくれないことだろう。

「あのね、私もっともっと頑張るから……」

 優菜が必死になって頑張ろうとそう言いかけると、令は優菜に困ったように笑いかけてこう言う。

「人には人のペースがあるんだ。お前のペースでいい。ほどほどでいいんだよ。上を目指しすぎるな。それは、お前の役目じゃない」

「役目……?」

「そうだ。人にはそれぞれ役目がある。お前は、笑顔でにこにこしているのが役目だ」

「にこにこ、笑っていればいいんだ……。そっか。じゃあ、笑顔が似合う女の人にならなくちゃね!」

「もう、なっているよ。優しい笑顔の女性だ」

 二人は唇を重ねた。

 これまでのトラウマも、悪夢も全て、消えたわけではないが、それでも人は抱えて生きていかなければならない。

 それを、二人はよく知っていた。

 そして二人はそれらを、いずれ夫婦となるお互いで共有し、荷物を一緒に持って、背負って生きていくのだ。

 笑顔も、泣き顔も、全部愛しながら。

 いつか、トラウマや悪魔も、いい思い出だったとそう言えるようになるまで。


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