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 第百一話 離す気のない冷酷な婚約者

 令は婚約の前日、いつも通り仕事に来ていた。もちろん優菜もいつも通りに仕事をしている。しかし、令は優菜のことがとても気になってしまう……。いよいよ自分と人生を共にする覚悟を決めてくれて、一緒になる約束をするという時になって、自分では気づかない内に不安になってしまったのだ。そして令はその日、仕事をしながら、自然と優菜を見てしまうのだった。出来ることなら行動も共にしたいと、何かと理由をつけて一緒に行くことに、令は決めた。

「今日は一緒に行動するなんて、急にどうしたの? いつも一緒に仕事してるでしょ? だからいつも行動だって一緒じゃない」

「そうだが、お前の見ている景色をもっとちゃんと見ておきたいんだ」

「令……。わかった。そこまで言うのなら、ずっと一緒でいいよ」

「そう言ってくれるとありがたい」

 そして始まった一日は、思った以上に令の嫉妬心を煽るような一日になるのだった。

 まず、令の仕事を持って行ったり、取って来たりと、別の部署を往復する優菜の後ろをついていく。……と言っても、皆が委縮してしまうため、令はぎりぎり見えるか見えないかくらいの位置から優菜を見守る。

 優菜を往復させてしまうこの仕事も、どうにかしたいと令は思っていた。何故こんなにもアナログなのだろうと。もう少しペーパーレスにすれば頻度も減るだろうに。

 そして優菜から書類を受け取り、渡す際に「夜の調子はどう?」などと大声で聞く優菜よりも上の立場の男が言った……。辺りはシーンとしていたが、いつものことのようで、すぐにまた動き出す。優菜も慣れた様子で「ぐっすり熟睡出来ました」と言っていたが、そんな優菜に「肌の調子よさそうだよ」などとさらに言う。令はついにその男の前に出ていった。

「パワハラ、セクハラだな。それも、俺の将来の妻に対してそんなことを言っていいと思っているのか。もし、俺の優菜でなくとも、これは問題だ」

 令はその男の肩にぽんと手を置いて耳元で何かを囁いた。

 その途端、男は膝から崩れ落ちた。

「それだけは勘弁してください……! 本当にすみませんでした! 申し訳ないです! ゆ、優菜君、すまなかった! どうかご勘弁を……! 私には妻も子どももいるんです!」

「え、ちょっと……あの……。令、何を言ったの……?」

「このままだと今後訪れるであろう可能性の話を少しだけしておいた」

「……?」

「優菜は気にしなくてもいい。それにこういったことは初めてではなさそうだからな」

「か、可哀想だよ……。なんだかよくわからないけれど、酷いこと、しないで」

「……優菜が言うなら、仕方ないな。しかし、今後何かあれば……、わかるな?」

「はい! もちろん、今後は何も! 何もしませんので! 真面目に働きます!」

「そうか。なら、考えてやってもいい。……優菜、仕事はそれだけか? 他に用事は?」

「え、う、うん」

「なら、行こう」

 令が優菜の手を引っ張って、二人はその部署を後にする。

 その後、二人のその様子を見ていた社員達は「令様もあんな風になるんだ」と噂を少しだけして、またすぐに仕事に取り掛かるのだった。

「ちょ、ちょっと令……! どうしたの?」

「お前があんな扱いをされているのを、黙ってみていられなかった。他にもああいうことをされているのか」

「あんな扱いって、ただお肌の調子聞いて来たり眠りは大丈夫かって聞いてきてくれただけでしょ? そんなに怒ることなの?」

 令はぴたりと立ち止まる。

「お前、それ本気で言っているのか?」

「え? 本気って、私何か変なこと言った?」

「……わからないなら、いい。だが一般的にはよくない意味で使われる言葉だ」

「そうだったんだ……」

 優菜はそれでも意味が分からない様子だった。

 わからないなら、教えなくてもいいだろうと令は思う。無駄に優菜を傷つけることはしたくないからだ。

 でも、それが余計に令を不安にさせる。優菜を騙す悪い男が出てくるかもしれないと。

 こんなにも騙されやすい娘に言い寄る男はいくらでもいるだろう。それこそ寿命があと少しだとか、そんなことを囁かれたら優菜はひとりで悩んでしまうに決まっている。

(俺が守ってやらなければならない……。どんなことをしてでも、大切な優菜のことを)

 優菜を傷つける者に対してだけ、令はその昔ながらの冷酷さが顔を出そうとする。しかしそれを抑えるのもまた、優菜という存在があってのことだった。

(俺は優菜を離さない。何があっても、絶対に)

「令ー? 急にどうしたの? ……わっ」

 令は部屋に入るなり、優菜を抱きしめる。

「お前は、いつも隙を見せすぎだ」

「え、そんなことないけど……」

「いや、見せている。隙を見せていなければ、今日見たような光景だって、ないはずだ」

「ほ、他の人もそうかもしれないでしょ?」

「……その可能性はあるが、もっとお前よりも上手く躱しているだろうな」

「つまりー……、私はセクハラとかを、受けていたってこと?」

「そうなるな」

「……最近は大丈夫だと思ってたのに」

「大丈夫だ。お前は、俺が守ってやる」

「嬉しいけど、守られてばかりじゃ嫌」

「そうか?」

「私も、令を守れるようになりたいんだもん」

「嬉しいことを言ってくれるな」

 令は優菜の頭を優しく撫でた。

(俺の優菜、絶対に離さない……。他の何かを、冷酷に切り捨てる必要があるとしても)


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