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 第百話 写真

 姫乃が座っていた席に、別の人物が座るようになってからもう数ヶ月が経った。

 あれほど、皆姫乃姫乃ともてはやしていたのに、今や姫乃のことを噂する者さえ一人もいなくなってしまった。

 皆、覚えているのだろうか。それとも、もう忘れてしまったのだろうか。

 そう思えるほど不思議なくらい話にも出なくなった姫乃のことを、優菜はたまに思い出していた。

 優菜のその胸元には、姫乃からの贈り物であるピンク色の宝石がきらりと光るシルバーのペンダントがある。

 姫乃が支社に行ってからも優菜は、まだ平社員のような扱いだ。しかし、会社が令の隣にいる優菜に相応しい椅子をと今準備をしている。

 その理由は、令と優菜が再び婚約する日を、正式に決めたことにあった。

 また、結婚の日取りも同時に決めるという本当の結婚を前提にした婚約だったためだ。

 大財閥の御曹司の妻になる優菜に、ずっと平社員でいさせるわけにはいかないのだった。

 優菜は最初、その話を聞いた時に「わ、私なんかにそんなの相応しくない!」と言って拒んでいたが、令から「俺は構わないが、周りが遠慮する上に扱いづらいと逆に困ることになる」と言われ、その話を渋々受けることにするのだった。

「でも、私は偉くないのに、大変なんだね。御曹司って……」

「それなりにな。そういうことがあるから、優菜みたいな優しすぎる人間に妻は務まらないという反対もあった」

「えっ。そんな、反対する人がいたの?」

「いるに決まっている。だが、気にしなくていい。そういうやつはそもそも俺のことが気に入らないんだ。だから、何をしても俺に文句を言って来る。吠えて噛みつこうとするだけの犬と一緒だ。可愛さがあれば、まだよかったが、残念なことに相手は可愛げのない野犬だからな」

「野犬って……」

「首輪のついていない……、俺や俺の父の支配下にない者ということだ。この世界も足の引っ張り合いだからな。少しでも隙を見せたらそこに付け入られる。そうならないようにしているから、下手に優しさなんか出せない。結果として、冷酷などと言われるし、実際冷酷だっただろうな。俺は」

「今は……、今は違うよ。私、令が優しいところ、いっぱい知ってる」

「……冷酷だっただろうな、と言ったんだ。今は、少しは違うだろう。優菜の言う通りだ」

「あ、そっか。過去形で言ってたもんね。……そういえば、令。テーブルにあるその封筒は、何? どこからのもの?」

「どこからのって、どうして差出人よりも先にそこが気になったんだ?」

「だって、住所も差出人も、空白だし……」

「ああ、そういうことか。安心していい。変なところのものではないからな。俺は先に中身を見たから、優菜も見るといい」

「見る……? 読むじゃなくて? でも、いいの?」

「見られて困るものじゃない。好きなだけ見てくれ」

「ふうん……。じゃあ、見させてもらうね」

 封筒の中には、数枚の写真が入っていた。

 茶畑と山の写真、山奥から麓の村を撮った写真、空の写真など……。

「なんでもない、風景写真……?」

「そう見えるか?」

「んー?」

 優菜は写真の裏を見る。

 そして、令の「そう見えるか?」と言った意味がわかった。

 写真の裏には日記のように日付とその日あったことが書かれていたのだ。

 優菜が、よく見たことのある綺麗な字で……。

「こ、これって!」

「そうだ。恐らく、姫乃からの手紙みたいなものだろう。どうやら、向こうでも元気にやっているようだな」

「……知らせてくれたんだ! 姫乃、私達に近況、教えてくれたんだ!」

「ああ。あいつは結構律義なところがあるから、これからも送られてくることがあるかもしれないな」

 優菜は写真の裏の姫乃の日記を読む。

 嬉しかったこと、悲しかったこと、当たり前だと思っていたら違ったことなど……。

 姫乃にとっては新しいことがとにかく多くて、目まぐるしい毎日なのだとわかった。

「ね、ねえ。私達、いつか会いに行った方が……」

 そこまで言って、優菜は口を閉じる。

「どうした?」

「やっぱり、会いに行くのは、やめようか」

「何故?」

「姫乃が、望んでいないと思うの。姫乃は新しいところで頑張ってて、きっと何かしらやりたいことがあって、それを叶えるまでは来てほしいとは思わないと思うんだ。だって、彼女ってそういう人でしょ?」

「そうだな」

「だから、私達のところに会いに来てくれるまで、待とうかなって」

「俺も、それが正しいと思う。あいつは人を待たせるのが上手いから、退屈せずに待っていられることだろう。会った時には、写真をもっと持って来て、きっと何かを語ってくれるだろう。あちらの支社は、こちらと違って田舎だから、その分苦労もこちらとは違うものだ。……姫乃がまた会いに来てくれるのを、楽しみに待っていよう」

「うん……!」

「ところで優菜、もうすぐ婚約の日だが、覚悟は出来ているか?」

「……覚悟ならとっくに出来てる。そうじゃなきゃ、令と婚約するなんて言えないよ」

「そうか。なら、よかった。今更断られでもしたら、俺は優菜を部屋に閉じ込めるくらいはしたかもしれない」

「……う、うん。なんか、冗談も上手くなったね」

「冗談では、ないんだがな」

 令はくすっと笑った。


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