優菜はひつじのことを気に掛けながら、毎日仕事をしていたが、その内あの子なら大丈夫だろうと思うようになった。
何より、変な噂なども聞かないし、連絡すれば返って来る。それに、会えば笑顔で話しかけてくれるのだ。何の心配もないだろう。
そして優菜は、この慕ってくれる後輩の笑顔にいつも癒されている。
屈託のない、無邪気にも思えるその笑顔は、人を癒す力があるとさえ思えたからだ。
ある日、優菜はひつじに聞いてみた。
「ひつじちゃんの笑顔って、素敵だね。なんだか癒されるよ。私の下手な笑顔なんかより、ずっと可愛いし、明るくて好きだなぁ」
そう言うと、ひつじは目をぱちぱちと瞬きさせて、また笑顔を見せる。
「ありがとうございます! でも、私は優菜先輩の笑顔も大好きなんですよ! 優しそうで、人がいい感じ……」
「それは、お人よしそうな顔ってこと……? ま、まあ、嬉しいかも。ありがとう。でも、ひつじちゃんは笑顔以外の顔、あまりしないよね。どうして?」
「それは……」
ひつじは少しだけ悩んで、こう答える。
「だって、自分に負けたくないですもん」
「自分に、負けたくないから、笑顔でいるの?」
「はい。笑顔でいれば、少なくともまだまだ負けないぞって気になってきます。今日も頑張るぞって、前向きになれます! そうやって私は、自分に負けないように、笑顔でいるんです! だってそうでしょう? 笑顔でいれば、大概のものには勝てます!」
それを聞いた優菜は、かつての自分を思い出していた。
無理して笑おうとしていた頃があった。あの頃は……。
あの頃は、決して幸せだけではなかった。
もちろん、人生というのは幸せだけではないけれど、でも、ひつじにはもう少し自分を出してほしい。弱みを、見せてほしいと思う。
もう十分頑張っているひつじが、これ以上頑張ると頑張りという風船が膨らみすぎて、いつかパンクする。
それだけは避けなければならない。いつかの自分みたいに、ならないように。
「あのね、ひつじちゃん」
「はい。なんですか? 優菜先輩」
「あの……、余計なお世話かもしれないけれど、私の前では泣いても、いいんだよ?」
「泣いても? え、でも」
「もちろん、勇気が必要なのも、涙を他人に見せたくないのもわかるよ。だけどね、私はひつじちゃんに自分と同じ道を歩んでほしくないの。私は笑いすぎて、疲れてしまって、笑えなくなった時があったから……」
そこまで言うと、ひつじは優菜に抱き着いた。
「……っ! ひ、ひつじちゃん……?」
「先輩は、最高の! 先輩です! ここまで心配してくれる人、そういないです! まるで女神様です!」
「……私は女神様なんかじゃない。ただの、普通の人間だよ」
「それじゃあ、私が知ってる中で、一番のいい人です! きっと、令様も幸せだと思いますよ」
「え? どうして?」
不思議そうに優菜がそう聞く。
「だって、こんなにも他人のために必死になってくれる人なんて、そういません……。こんなにも、優しい笑顔を向けてくれる人なんて、どれだけいることか。人を気に掛けて、自分のことはほったらかし、なんて心当たりないですか……?」
「どうだろう。私はやっと、自分のしたいように出来る人生になって来たから、今は自分の欲望に忠実に生きてるよ?」
「面白いことをいいますね……! でも、それならいいんです。私も結構優菜先輩のこと、心配してたんです。だから、知ることが出来てよかった。先輩が無理してないってことを」
「私も。ひつじちゃんの笑顔の理由、知ることが出来て良かったな。あ、でも繰り返しになるけれど、泣きたいときは胸を貸すから呼んでね!」
「はい! ありがとうございます!」
二人は笑顔でお互いの手をぎゅっと握りあった。
伝わる温もりが、お互いを心地よく思わせる。
きっとこの優しい温もりが、他の人にも届くようにと、二人共互いには秘密で心の中で同じことを思ったのだった。
そして優菜はその日、夜を令と共に過ごしながら思う。
(令、私が笑顔の理由はね、あなたにあるんだよ。あなたが笑ってくれると、胸がぽかぽかするの。だからもっと笑ってほしくて、いつも笑顔でいるんだ。心配させちゃうのも、嫌だから……。自分に負けたくないっていう思いもあるけれど、でも、やっぱり一番の理由はね、令だよ)
優菜は令の手に触れる。
「どうした? 優菜」
「んーん。幸せだなぁって思って。ね、これからも笑顔でいるからね!」
「……無理して、笑う必要はないからな。それに、ころころ変わるお前の表情を見るのは飽きない」
「えー。そんなに表情変えてないつもりだったのになぁ」
「……そういうところが好きになったんだ。お前は、お前のままでいい。無理に変わろうとするな」
「うん。……その、ありがとうね。令」
「ああ。ところで、今日は……泊まっていっても、いいか?」
「……まあ、いいかな。へ、変なことをしないでね!」
「するはずがないだろう……と、言いたいところだが」
「えっ」
「……なんとか、自制する」
「?」
「意味はわからなくていい」
「……うん。わからないけど、わかった」
その日は、同じベッドで眠りに就いた。
次の日の朝、二人はお互いがちゃんと存在しているのを確認出来て、酷く幸せそうに笑顔を見せるのだった。