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 第九十三話 戻れない時間と進む足

 次の日、会社に行き、令と共に仕事をしていた。

 やはり仕事を一緒にしていると言っても、していることが全く違う。

 あくまでも優菜は令の補佐で、令のしている仕事そのものをすることは出来ない。

 だから当然、令に大量の仕事があってもどうすることも出来ないのだ。

 それが歯痒く思えて仕方がなかったのだった。

「どうした、優菜」

 令にふと声を掛けられ、優菜はハッとした。

「え、何。どうしたの」

「……表情が暗い」

「た、多分、集中しすぎちゃったのかな? ごめんね。ちょっと、たまには気分でも変えてお茶でも淹れるよ……。あ、ついでだから別部署に持っていくものも持って行っちゃうね」

「……ああ」

 優菜は給湯室を使うついでに、その近くにある部署に届ける書類を持って行くことにしたのだった。

(はぁ、令には令の仕事があって、私には私の仕事がある。わかってはいる。わかってはいるんだけども……)

 そんなことを思いながら書類を届け終えて、給湯室に向かうと、何やら声がした。

 可愛らしい女の子の声……。でも、その声の調子からすると何か様子がおかしい。

(何だろう。凄く、嫌な予感がする……)

 優菜は気配を消して給湯室をゆっくりと覗いた。

 そこには新入社員と思わしき、今まで見たこともない女性社員が他の女性社員に羽交い絞めにされていた。

 すぐ近くには、薬缶がある。

(まさか……!)

 優菜はすぐに事態を理解すると、血の気が引いていくのを感じながら、その女性社員達の前に飛び出していった。

「やめなさい……っ」

「は? 誰?」

 羽交い絞めにしている女性社員は優菜の声だけを聞いてそう言って、ゆっくりと優菜を見た。

「うわ……。枢木優菜じゃん……。令さんの女が来るなんて、めんどくさ」

 小声でそう言うと、その女性社員は「あはは、悪ふざけですよ。気にしないでくださいね。ひつじちゃん、また今度、お茶の淹れ方、教えてあげるからね」と言ってどこかへと去っていった。

 残された「ひつじちゃん」と呼ばれた女性社員は、ぺたりと床に座り込んで俯いている。

「あの、大丈夫……?」

「怖かったぁ……。助けてくれて、ありがとうございますっ」

 その女性社員は優菜に抱き着いた。

「えっと、その、いいよ。気にしなくて。それより、お名前は?」

「桃白ひつじです! 優菜先輩、ですよね? 噂で聞きました!」

「どんな噂かは聞かないでおくけど……。そっか、ひつじちゃんね。よろしくね。……もしかしてだけど、こういうことって日常茶飯事なの?」

「お恥ずかしながら、そうなんです。でも、自分が悪いんで! 先輩方に言われちゃうくらい、自分、鈍くさいから……」

「そんなの、関係ないよ……。今のは、いじめでしょ? その、さっきの人……、いつもああいう風に見えないところでいじめてくるんだよね? ひつじちゃんのこと。だとしたら、上司に当たる人に……」

「もう言いました……。でも、やりすぎちゃったかもしれないけれど、私のためを思ってのことなんだって思わされるくらい、いろいろ言われちゃって……。あはは」

「……そのスカーフの色ってことは、経理だよね? 近くに小鳥遊姫乃部長が引き継ぎとかでよく通るはずなんだけど、彼女に気にかけてもらえるようにお願いしてみようか? それだけで、違うと思うんだ」

「……大丈夫です。でも」

「でも?」

「私、先輩のこと、好きになっちゃいましたっ!!」

 そう言って、ひつじは優菜に抱き着いた。

 不意を突かれた優菜はそのまま床に尻もちをついてしまう。

 ひつじは犬のように優菜にぎゅっと抱き着いて「初めて先輩の中で私に気にかけてくれる人が出来て、私嬉しい……!」と凄く嬉しそうだった。

 そんな言葉を聞くと、優菜はひつじを退かせようという気が起きるはずもなく、しばらくそのままの状態となっていた。

「……じゃあ、私行くけど、いつでも連絡してきてね」

「はい! あの、休日とかも、一緒にショッピングとか……。あ、流石に厚かましいですかね……」

「いいよ。たまになら、行ける日もあるから」

「ありがとうございます! 先輩がいるって思って、私、頑張りますね!」

「頑張りすぎないで、何かあったらすぐ助けを呼んでね」

 ひつじは優菜に深々と頭を下げると、自分の部署へと帰っていった。

「……なんか、懐かれちゃった。あ、もうこんな時間、私も令のところに帰らなくちゃ……!」

 そして優菜は令の待つ部屋へと戻る。

「おかえり、優菜」

「ただいま!」

「……お茶は、淹れなかったのか?」

「あ……」

 結局、常備されているコーヒーを飲むことになったのだった。

「それで、お茶を忘れた理由は?」

「ん……。給湯室で、いじめられてる子がいたの」

「いじめ? また、穏やかじゃないな」

「水かお湯かはわからなかったけど、羽交い絞めにされてて、もうちょっとで薬缶の中身を掛けられるところだったんだと思う……」

「どうしてこうもいじめというのは次から次へと……」

 令は頭を悩ませた。

「本当だね。まあ、その子は根が明るそうだったから、そんな簡単に潰れそうではないけれど、心配。……いじめを見つけた時ね、まるで、自分を見てるようだった」

「……そう、だな」

「だから私、令に助けられた時みたいに、今度は私が彼女に出来ることをしたいの。それが過去の自分を救うことにも繋がると思うから」

 優菜は彼女を救うことは出来ないかもしれないが、出来ることをしようと決めたのだった。

 令も、それには賛成だった。


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