——ああ、終わった。長かった。ここまで来るのは、本当に。
そう思ったのは姫乃だった。
姫乃は令に抱きしめられながら、抵抗せずにただされるがままになっている。
「姫乃、無事!?」
優菜が姫乃にそう聞いた。しかし姫乃は答えない。
——ああ、終わった。長かった。幸せなんて、どこにもない。
繰り返すように、姫乃は思う。
思えば、この幸せに遠い生活を、それこそ生まれながらに送っていたのだ。
長くないはずがなかった。
それに、ようやく終わりがやって来る。姫乃にとっては、どうでもいいけれど、でも、一つの区切りにはなるだろうと思っていたのに。
それなのに、また優菜が邪魔をした。
一体この娘は何度自分を邪魔すれば気が済むのだろう。
せめて、最期の時くらいは、自分で選ばせてほしいのに。
「令、姫乃の膝……」
(膝? ああ、さっき転んだところね……)
「俺の家が近い。家で怪我を少し綺麗にした方がいいな」
姫乃は二人の会話を聞きながら、なんで自分のためにここまでしてくれるのかがわからないと思っていた。
「姫乃、歩ける? 大丈夫?」
優菜は心配そうに姫乃に聞くが、姫乃は「……いい。こんなの、どうせ死ぬんだから」と乱暴に吐き捨てる。
すると優菜は表情を一変させて、酷く怒った表情をして姫乃の左頬を平手で叩いた。
姫乃の頬は赤くなり、じんじんと熱を持つ。
「死ぬなんて、勝手なこと言わないで!」
「……私の勝手よ。自由よ。最後くらいは、自由でいたいの。好きに死なせて。死後まで、お姫様って思わせて。そうして夢のまま終わらせて」
「ダメ。させない」
「どうして? もう私は、何も持ってない。生きていても仕方がない。幸せになれないのに。そう、決まってしまったのに」
「だから、何度も言ってるでしょう。自分で、変えたいって思えば姫乃は変われる人なの。変わろうよ。それとも、私に負けるような弱いお姫様なの? 姫乃は」
「……」
令は姫乃が道に飛び出さないようにしながら、二人を見守っている。
それに、令もこれまでのことがあったとはいえ、ここで姫乃に死なれては今後一生後悔するだろうし気分が悪い。
優菜になら、どうにか出来るだろうという気持ちもあって、令は姫乃のことは優菜に任せることにしたのだった。
「もうおしまい。私の、最初で最後の物語は。お姫様は、王子様と結ばれなかったら、そこで物語が終わってしまうのよ。だって、完結しないんだもの。だったら、終わらせなくちゃ。未完の物語は、読者が……周りが離れるばかりで美しくないわ」
まるで自分が小説の主人公だったかのように話すその口ぶりに、優菜は言いを飲んだ。もしかして、知っているの? と、そう疑わずにはいられなかった。
でも、どうやら違うらしい。
「……本の世界なんかじゃないかもしれない。でも、私にとってはそういう世界だったの。だから、もう十分よ。私はもう終わらせなければいけない。……優菜、ごめんなさい」
姫乃は微笑んでいた。
「貴女をここまで巻き込んでしまった」
そう言って、令の力が緩んだ瞬間を狙って、姫乃は車の前に飛び出した。
「ダメっ!!」
優菜は姫乃の足首を掴まえて地面に転んだ。
考える暇さえなかった。ただ、優菜は姫乃を助けなければと思って、必死になってその足首を掴んだ。それが、功を奏した。
車に轢かれる一歩手前で姫乃も転んだのだ。
……なんとか、死なせずに、殺さずに済んだと、優菜ほっと一安心した。
でも、姫乃は「なんで死なせてくれなかったの」と泣いて優菜を軽く拳で殴る。
殴ると言っても、ぽかぽかと叩く程度で、痛みは優菜にはほとんど伝わらない。
「姫乃は生きてた方が、いいよ……」
「嘘だ、嘘だぁ……っ。私なんかもう生きてたらダメなの。誰も助けてくれないのよ。友達だっていないもの。私は、私はひとりで生きていく自信なんかない……! そんなに強い女なんかじゃ、ない」
「そんなことない。姫乃は強い。友達だって、きっとすぐに出来る。それに今まではひとりだったかもしれないけれど、これからは意識して友達を、大切な人を作るようにすれば、大きく世界は違うものになるかもしれないでしょ?」
「……」
「私もね、ひとりの時はなんでってそればっかりだった。頭、姫乃みたいによくないから、ずっと未来に怯えてた。でもね、変われたんだよ。こんな私でも、変われたの。姫乃だって出来るよ。嘘だと思うなら、令の顔を見てみてよ」
「……俺、か?」
優菜は令の片方の頬を引っ張る。
「……こら、優菜」
明らかに令は困っていた。
「ほら、こんなにね! 表情を変えるようになった令を、見たことある?」
「ない……。こんな令の顔、初めて見た」
「令も変わったの。みーんな、変わろうと思えば変われるの。貴女も、同じだよ。姫乃」
姫乃は少しだけ間をおいてから、呟くようにしてこう言う。
「本当に、変われる? 私みたいな、人間でも」
「うん。変われるよ。私が生き証人になるから」
「……そう」
姫乃は二人の腕を解き、立ち上がる。地面に転がる、自分のヒールを履いてしっかりと地面を蹴って歩いた。