「母が、いつもあなたから令を奪ったのは優菜だって教わってきた。実際その通りだったし、私にとって唯一世界で違う存在だった令は、私のところから去っていった。私が欲しかったものを、優菜は持っている……。今も、そう」
「違う。姫乃には姫乃にしかない特別なものがあるんだよ。それは、姫乃が一番わかってるよね。だって、私じゃ処理出来ないような仕事、いっぱいしてるし、その笑顔だって私なんかじゃ敵わないくらい素敵だよ。なのに、どうしてそうまでして令と私に固執するの」
姫乃はしばらく喋らなかった。
そして、ゆっくりと口を開く……。小さな小さな声で。
「私にはそれしかなかった。それしか、その幸せしか用意されてなかった。違うって、途中で気づいてた。でも! 今更、こんな年齢で自分の世界を変えようなんて出来なくて……」
「出来るよ。姫乃だって、いつでも変えられる。私が変わったんだよ? 頭も良くて、行動力もあって、魅力もある姫乃ならいくらだって変えられる」
「……貴女には、一生わからないわ。この年齢まで変わることの出来なかった私の気持ちなんて。きっと、これからだって変えられないの。でも、世界は変わってきてしまった。貴女が、変えてしまったから。だから、もうおしまい……。私は、私はもう、戻れないところまで来てしまった」
優菜の背中にあった姫乃の腕が、下ろされる。
「違う」
優菜は姫乃の顔を両手で包み込んで、じっと見つめる。
「それは甘えだよ。他人に全てを任せるなんて、やっちゃいけないことだよ。こうしたのも、こうなったのも、結局それを選んだ姫乃自身の責任。それくらい、わかるでしょう?」
「……」
「本当は、気づいてたんだよね」
姫乃は大きな瞳から涙をぽろぽろと零し、泣き始めた。
「……なんで、そんなことまでっ」
言葉を詰まらせながらも、姫乃はそう問いかけた。
「わかるよ。私も、逃げてたんだよ。だから、婚約を白紙にしたかったんだ……。貴女が怖くて、貴女に殺される未来が怖くて、ずっとずっと、逃げてたんだ」
「私だけじゃない? 私だけじゃないの……?」
優菜へと届く言葉は嗚咽がところどころ混ざっていて、聞き取りづらいが、確かに届いていく。
「うん。姫乃だけじゃない。私もだったの。決められたレールの上を歩いて、必死になってその上から外れないように、落とされないようにって気を付けて歩いてた。でも、ダメだった。自分から動いて、そのレールを降りて動かなければ私は……私達はダメなんだよ……」
「でももう、今更どうしようもない。私、ひとりの生き方なんて知らない……。世界から孤立した感覚がするの。もうわかってるの。お姫様じゃいられないって。気づいちゃったのぉ……っ!」
「いいじゃない。お姫様なんてやめちゃえば。本当の姫乃らしく、生きようよ」
「そんなの、わからないよ。私は、この生き方しか知らないんだから」
泣き崩れる姫乃を抱きしめる優菜は、涙で服が濡れようと、爪が多少当たって痛かろうと気にせずに、姫乃のためを思ってそこにいた。
大丈夫だと、何度も姫乃の頭や背中を撫でながら。
「ねえ、姫乃。姫乃はね、ただの人なんだよ。人間なんだよ。世界の主人公なんてやめちゃいなよ。そりゃ、誰だって自分が主人公だよ? だけどさ、姫乃は世界を背負いすぎたね……。もう周りからも、解放されて、……周りを解放しなよ。縛られるのが嫌な姫乃なら、その気持ち、痛いほどわかるはずだよね?」
「……でも、私、もうどうしたらいいのかわからない。どうしたら、自分のためにも、周りのためにもいいのか……」
「自分が信じた道を、作っていけばいいんだよ。これまでの縛られた道とは違う、新しい道を」
「そんなの、どうやって」
「じゃあ、友達になろう? 私が、姫乃の本当の友達第一号」
「……」
姫乃は少し考えた。そして差し出された優菜の手を取ろうとして、すぐにさっと手を引っ込める。
「どうしたの?」
「それは、出来ない……。貴女には、悪いけれど、とてもじゃないけど出来ない。貴女を許せない。それが作られた感情でも、出来ないの。だから、私は貴女から距離を取るわ。優菜」
姫乃はゆっくりと優菜から離れて、歩き出した。
「これで一応、一件落着……か?」
令がそう言ったが、優菜はなんだか嫌な感じがして、姫乃の手を握って引き止めた。
「お願い、もう少し話そう。まだまだ、話し足りないの」
「……これ以上、話しても無駄よ」
「ううん。大事な話があるの。まだ、あるんだよ」
「……」
姫乃は優菜に抱き着かれ、驚いた表情を浮かべた。
「姫乃。私、貴女のことが嫌いになりきれない」
優菜からは、姫乃の表情が見えなかった。
「あのね、私、貴女にいじめられる前は、貴女のことが好きだった。そりゃ、すぐにいじめられたけど、その前から貴女の本当の姿は知っていたから……」
「……本当の姿? 嘘、言わないでよ。私はいつだって飾り物。いつだって、見せかけのイミテーションなのよ」
「ううん。私は知ってる。この世界で主人公だった貴女のことを……」
「よくわからないことを言わないで。大体、私の姿を知ってるなら、どうして助けてくれなかったの」
「……それは、本当にごめんなさい。ただ、怖かったの。私が殺される未来しか、私には見えなかったから」
「結局、信じてくれてないんじゃない……」
「でも、今は信じてるの。それは本当。誰よりも頑張り屋さんの姫乃は、私から令を奪って、本当の幸せを手に入れようと頑張っていた。言葉通り、どんな手を使ってでも。そんなひたむきさが、私は憎めない。嫌いになれないよ」
姫乃はその言葉を聞いて大きな声で泣き始めた。