令は今では滅多に見せなくなった冷酷な表情を見せながら、姫乃を部屋から無理矢理追い出そうとしている。
優菜はなんだか急に可哀想に思えて、何かないかと考え始める。
でも、どうして可哀想に思えたのだろう。
分かり合えもしない、そんな相手に何故慈悲のような心を持ち合わせなければならないのだろう。
優菜は少しばかり自分の心がわからなくなりかけた。
でも、答えはいつでも自分の胸の内にあることを思い出し、胸に手を当てて考える。
「優菜? ……胸が、痛むのか? どうしたんだ? 姫乃に、やられたのか……?」
令は姫乃を乱暴に開放すると、優菜の側に歩み寄り、その胸の上にある手に自身の手を重ねた。
「……」
優菜は答えない。答えられない。
まだ、自身が探している答えに辿り着けていないから。
姫乃に関して、何かが足りない。まるでパズルの最後の数ピースが足りないみたいに……。
納得の出来る答えがあるはず。姫乃の、その悲痛な喚き声、悲鳴の原因があるはずだ。
そういえば彼女は何と言っていた。
思い出そう。答えはすぐそこにあるはず。
「幸せになるしかない……」
優菜はぽつりとそう呟いた。
令はどういうことだと思いながら、優菜を見る。
「幸せのためなら、何だってするしかないって……。どうして。なんで、そんなに幸せにこだわるの? 姫乃、さん……」
「わかるわけがない。私のこと、なんて」
「決められた幸せが、あるんでしょ? それを、言ってきたのは誰?」
優菜は、前の世界でさえも知りえなかった姫乃の心の内、闇を覗こうとしていた。
姫乃は心の内を覗かれそうになって、少し慌てながら「そんなの、いないわよ」と言った。
でも、明らかなその態度の違いは、優菜をより確信させるだけだった。
「それって、姫乃さんにとって、絶対の存在ってこと……だよね?」
「なんで……」
「じゃあ、お父さんかお母さん、かな」
「……そんな、の。わかんないわよ」
姫乃は俯いて口を閉じる。
「私でよければ、話してみて? もしかしたら、すっきりするかも」
そう優しく言って、優菜は姫乃の肩を抱きしめる。
「馴れ馴れしくしないでっ! 私は、そんなんじゃないわ。自分で、決めたのよ。自分の意思なの……! それを、勝手に他人に決められたなんて、でたらめなこと……言わないで……」
「冷酷な令が必要だったのも、その時の令じゃないと言われた通りの幸せにならないからじゃないの? 私を毛嫌いしていたのも、私が生まれた時からそう言われ続けてきて」
「……妄想も、大概にしてよ。気持ち悪い。貴女みたいな妄想女、私の相手としてそもそも力も何もかも不足してるの。なんで、私がそんな相手に、哀れみなんて掛けられなくちゃいけないのよ……!」
「姫乃……」
優菜は姫乃に近寄る。
「来ないで。貴女に哀れみを掛けられたなんて知られたら、母に何て言われるか……わかったもんじゃない……」
後ろの方の言葉は小さかったが、その場に居た令と優菜は確かに聞き取った。
(母親か……)
令は目を細める。
母親という呪縛から逃れられない苦しさを、知っているからだった。
「やっぱり、お母さんが原因だったんだね。姫乃」
優菜は姫乃の肩を抱きしめる。
「やめなさいよ。同情なんて、されたくない。私のプライドまで、粉々に砕く気? だったらお生憎様、私はそう簡単には」
「よーしよし。……いい子だねぇ。姫乃は頑張った。幸せになろうと、必死になってきたんだねぇ。母親の、幸せのために」
姫乃は目を見開いた。
そして、途端に、姫乃の身体中の力が抜ける。
「わかってたんだよね? 自分の幸せじゃないって。その幸せが、誰にとっての幸せで、本当は自分のためじゃなかったって。全部、母親のエゴだったって……。それでも必死になって頑張って、令と一緒になろうとした」
「……で」
「うん?」
「なんで、わかったようなことを言うの。わかってない癖に」
「わかるよ。私も、両親……。まあ、継母と父だけど、あの二人にはかなり決めつけられてきたもの。あと、世界からもね」
くすっといたずらっ子のように笑う優菜に、姫乃は自然と手を伸ばしていた。
「優菜、危ない」
令が姫乃を引きはがそうとしたが、優菜は笑顔で「大丈夫」と言った。
姫乃はその手を優菜の背中に回し、自分からも抱きしめ返した。
「なんで知ってるの……。どうして。私、話してないのに。誰にも話さずに、自分にさえも嘘をついていたのに」
「なんでだろうね。でも、わかっちゃったんだよ。ね、姫乃。しばらくこうしててあげるから、話してみて。私と令が話を聞くよ。ずっと、聞いてほしかったことでも、何でも」
「ほんと……? でも、友達にはならないからね」
「それは……悲しいけど、でも、仕方ないかなって思ってるから。分かり合えないこともあるもんね」
令は再び口を開きかけて、すぐに閉じた。
優菜は意外と頑固だ。だから、一度言い出したら聞かない。
たとえ自分が傷つくことになろうとも。
(まったく、いつもとんでもないことをするんだな。お前は)
令は何かあったらすぐに動けるようにとは思っているものの、あまり心配はしていなかった。
こうして、優菜は気づかない内に冷酷に戻りつつあった令の心を止めて、姫乃の心の内を聞くことになったのだった。