休みから復帰した姫乃は、人が変わったように優菜に優しく接し、そしていじめられそうになっているところを助けるといったこともしていた。
あまりの変わりように、令は寒気がするくらいだったのだが、優菜は何故か感動を覚えたようだ。
自分の心が伝わったのかもしれない。もしかしたら、本当に友達になれるのかもしれないなどと、そんなことを思っていた。
そう、信じて。
優菜と姫乃は、まるで仲の良い姉妹のように接するようになって、早くも一週間経っていた。
一週間もすると、周りも次第に慣れてきたのか、姫乃と優菜がとても仲の良い友人同士だったのではないかと噂が立つほどになった。
じゃあ、これまでの姫乃の取り巻きはどうしているのだろう。
答えは簡単。ころりと態度を変えて姫乃と親しく見える優菜にも媚びへつらう。
優菜は内心、あまり嬉しくないかも……と思いつつ、表面上は何もないように見せて過ごしていた。
だが、それでも姫乃が歩み寄ってくれたようで、優菜は嬉しかった。
でも、令と二人きりになると以前の姫乃がまた自分を襲ってくるのではないかと思ってしまい、記憶のフラッシュバックにより苦しい思いをした。
令はそんな優菜を支え、なるべく閉鎖的な空間などは避けるために、車での送迎はもちろん、安心できる優菜の自宅で一緒にコーヒーを飲んで、話にも付き合っていた。
全く苦ではなかったし、それで優菜が安心するならいくらでも送迎や話の聞き役をする。
だが、令は同時に思うようになった。やはり姫乃と優菜を接触させるのは優菜にとってよくないのではないかと。
優菜は友達になりたいと言っていたが、されてきたことがそれなりに酷いことだ。
明るい未来を信じてやりたい。出来ることなら優菜の思う未来を描いてやりたいと思う。だが、それが出来るほど、姫乃は大人だろうか。それを許せるほど、自分は人間が出来ているだろうか。
何より、大事にしたい相手は、本当に平気なのだろうか。
……そんなはず、ない。優菜はきっと、毎日物凄く怖いはずだ。それでも恐怖の色を隠し、見えないようなところで怯えながら、仲良くなろうと震える手をずっと差し出し続けてるのだ。その手に姫乃の手が繋がることを夢見て。
大多数の人間達は、そんな震える手を差し出し続ける優菜を笑うかもしれない。
しかし、令はそんな優菜を笑わずに隣にいたいと思った。
むしろ笑われる側になってでも、優菜の隣にいられるのなら、それもいいと思える。
もしも姫乃が嘘をついていて、優菜が傷つくのなら、その優しい心に寄り添いたい。
姫乃がどんなに憎くなっても、優菜が嫌だと言えば、憎むことをやめる努力をするだろう。
令は、この数日で優菜への想いが強くなり、それは自分をも変えるほど大きなものとなっていた。
一方で姫乃は、優菜とのこのお飯事のような日常をさっさと終わらせたいと思っていた。やはり、全く反省などはしていなかったし、令のことを諦めたわけでもなかった。
毎日優菜と仲良しこよしをしているのだって、令へのアピールであって、優菜へのアピールではない。また、優菜をいじめるのを止めているのだって、周りへのアピールなのだ。優菜はどの時も誰よりも優先されない。
ただ、言ってみれば姫乃も優菜が怖かったのだ。
周りを変える力がある。その力を、見せつけられたからには、軽視出来るものではなかった。
優菜はもしかしたら、強敵かもしれない。そう思いながら、日々慎重に接してきた。
しかし、度重なる優菜から姫乃への純粋な眼差しや真っ直ぐすぎる言動は、姫乃を脱力させていく。
仕事においてミスはあまりないのだが、その他のところであまりにもよく「転ぶ」のだ。
間違いを起こしているわけでもないし、迷惑を掛けているわけでもない。
それなのに周りをハラハラさせる。
(もういい加減にしてほしい……。早く、私を解放して……)
姫乃は頭を抱え込んで悩んだ。
(どうして私が私以外、令以外に、こんなにもハラハラドキドキさせられなきゃいけないのかしら。もしかして、勉強はそこそこでも、頭はそこまでっていうことなの……? そう、よね。そうじゃないと、説明がつかないわ。敵に友達になろうなんて馬鹿なことを言っちゃうような子。やっぱり私の方が、令に相応しい)
そう思いながらも、令と一緒に居る優菜の姿が目に入ると、なんだか二人が似合ってきたような気がしてきた。
でも、それを思うということは……。
(私、この世界の勝負に負けているの……?)
途端に大きな不安が姫乃を襲い掛かる。
いつの間にか忘れかけていた。姫乃にとって、優菜は敵。
それはこの世界に生を受けたその時、決まっていたこと。
(何を絆されていたの。何を勘違いしていたの。私は、あいつの思い通りに友達になんかなっちゃダメ。なったら、その時は、幸せになれない!)
母親が言っていた。あの女が、優菜が令を奪う女なのだと。
母親が言っていた。令と結婚することこそ、幸せなのだと。
母親が言っていた。そう言っていた。
(分かり合うなんて、出来ない。そんなの、出来っこない。分かり合いたくもない)
姫乃の瞳には光がなかった。