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 第八十一話 姫乃の災難

 姫乃と友達になる! と、強い気持ちを持った優菜は、それから何かある度に、そして何もなくとも姫乃に近寄り話しかける。

 姫乃からしたらあまりにうるさい小鳥の鳴き声だった。

 それも自分の意思があまりに強いものだから、何を言っても届かないし響きもしない。

 こんな異世界の生き物のような存在だったとは今まで知らなかったと、姫乃は軽く眉間にしわを寄せる。

 そもそも、急に「友達になりませんか。姫乃さん」と会社で言うものだから、断るに断れなくて曖昧な返事をしていたら、優菜は目をぱあっと輝かせて雛鳥のように姫乃の後ろを付いて歩くようになってしまったのだ。

 しかし、仕事中は令と一緒だから、少しは静かに平和に過ごせると思っていた。

 それも間違いだったのだ。

 最近では優菜にとにかく弱い令。優菜が姫乃と仲良くしようと頑張る姿が可愛いと、その視線が言っていた。さらに姫乃に直接言いはしなかったが、そんな優菜と仲良くしてほしそうに見てくるのだ。二人揃ってそういうところは質が悪い。

 姫乃が家に帰る頃には、もう姫乃はくたくたで、ストッキングすら脱げないくらいに疲れてしまっていた。

 何故、突然こんなことにと困惑する姫乃。

 自分には全く心当たりがない。

 令も令だ。止めてくれればいいものを、助長するようなことをして……。

「なんだかあの二人、似てきたような気がする……」

 ふと呟いた自分の言葉に、姫乃は慌ててそんなことはないと否定しようと似ていない部分を次から次へと思い出していく。

 似てない部分は確かに多かったが、それ以上に似てきた部分、そしてお互いに認め合っているであろう部分ばかり、姫乃の目に付いた。

「何よ……。二人だけの世界? なんで? 私がいるのに。どうして令はあんな馬鹿な子に……。世界は私の味方じゃないの? いつだって、味方だと思ってたのに。もう違うの?」

 姫乃はむすっとした表情でそう言うと、深く長い溜息を吐いてから、リラックスするためにお風呂に入ることにした。

 お風呂には普段は使わない特別な高い入浴剤を入れて、その華やかで優しい香りがお風呂場を包み込むと姫乃はゆっくりと入浴するのだった。

 熱すぎないお湯に肩までしっかり浸かり、肌のケアをする。ふと見えた指先が、少しばかり年齢を重ねたように見えた。

「……思えば、もうアラサーなのよね」

 水面に映る姫乃の顔。老けてはいない。いつも通り、美しく、華やかな顔だ。

 それでも、どこか変わったかのように思えるなら、その下がった眉だろうか。

 いつもの自信に満ちた顔が、嫌なことがあった顔というより困った顔をしている。

 指先で水面を突くと、ゆらゆらと揺れて表情が一時的に見えなくなった。

「本当に、何なの……。あの子……。急に友達になりたいなんて、馬鹿みたいなことを言って、私の毎日を乱して、何がしたいの」

 まさに姫乃にとっては災難な毎日としか言いようがない。

「でも、私は間違ってない。令を幸せに出来るのは優菜なんかじゃない。あいつなんかじゃ、ない。私のはず……」

 知恵も何もない、勉強も出来ない、運動神経もよくない。そんな優菜が、姫乃は嫌いで仕方がない。

 でも困惑しているのも確かで……。

「なんで、友達になんか。同情……? だとしたら、最悪。それとも本心? そうだとしても最悪」

 そう言いながらも困惑している心で思っているのは、その優菜の心に、何があったのか知りたいということ。そして、そこまで令に固執している自分の意味が、よくわからなくなっていたのだった。その令に固執している自分の気持ちの本当のところも、もしかしたら優菜は知っているのだろうか。

「知ってるわけがないか。そうよ。知っているわけがないじゃない。あいつは、ただ私から令を奪っていった女。私から、全てを奪っていった。それだけで、憎むのには十分な理由よ。そうよね」

 そう問いかける相手は自分ではない。自分の母親に対してだった。

「……随分と長風呂になっちゃった。もう、出ましょう」

 水音をさせて、姫乃はお風呂から出る。

 そして姫乃はパジャマに着替えて、ソファーに腰かける。

 見もしないテレビを点けて、適当にチャネリングをした。

 でも、そんなのは当然、意味などなくて。

 次第に眠気がやってきて、若干意識のある夢の中で姫乃は小さな優菜を見ていた。

 優菜より少し大きな姫乃がやって来て、優菜の手を握り、一緒に走って行く。

 もし、自分が親に言われるがままではなく、好奇心から来る自分の意思であの手を握っていたら。

 そうしたら、夢の中の優菜の笑顔が、本当に見られたのだろうか。

「……馬鹿馬鹿しい」

 無理矢理起きると、頭が痛くなった。

 それでも、夢の中に引き戻されまいと姫乃は起きたまま、スマホを弄る。

 待ち受け画面にしている令の写真は、もうどれくらい前のものだろう。

 この写真でさえも、ちゃんと撮らせてくれたわけではなかったなぁと姫乃は少しだけ寂しさを覚えた。

 でも、それだけ。

——あれ? 本当に、私は彼を愛しているの?

 浮かんできたその言葉は、姫乃を悩ませ、苦しませることになるのだった。


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