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 第七十八話 使えない子は要らない

 宮坂家の長男とだけあって、期待されるものは多々あり、それは家の内外問わずあるのだった。

 学校でも、習い事でもとにかく何でも優れていなければいけない。

 令はそんな毎日に嫌になる……ということはなかった。何故ならそれが当たり前だから。そんな厳しい当たり前を過ごしてきた令は、出来ない人達を見て、どうして努力もせずにいられるのだろう。

「恥ずかしいやつら」と、そう思っていた。

 使える内はいいだろう。でも、使えない者だと思われたら?

 途端に見放されるに決まっている。

 令は常に見放され、捨てられる恐怖と闘っていたのだ。

 子どもながらに、社会の厳しさを目の当たりにし、そしてその厳しさの中で育った。

 必要とされているのは令そのものではなく「宮坂令」であって、宮坂の子ではなかったら、必要とされなかったと幼い頃から令は考えていた。

 だから、自分がどれほど有能で使える人間かをその態度で、成績で、全てにおいて見せつけてきた。

 それしか生きる術がなかったからだ。

 必要とされているもの、それが何かを日々考え、幼少期から少年期はその才能で勉強と運動で常にトップを取り続けた。

 その後はそれだけでは足りないと言わんばかりに、大人達は今度は社会人としての令を欲するようになる。大人としての令の判断を必要としてきたのだ。

 それは宮坂の家のことを決めたり、会社の命運に関わるような、そんな判断を任されていた。最初は冷や汗が出そうになるくらい、緊張していたが、気づけばそんな緊張感は忘れはしないものの、普通のものとなり、ただなんとなく、目に力が入って疲れやすいくらいにしか思わなかったのだが、体は心よりも正直なようで、何か重要な決断をした後、令はよく眠った。

 母親はそんな令のことを「あのお方によく似てきましたね」とよく言っていた。

 令の母親はあまりいいところの出身ではなかった。そのためか、自分の夫である令の父親のことを「あのお方」とよく呼ぶのだった。もしかしたら、夫婦になってから一度として名前で呼んだことなどないのかもしれない。

 そんな母親のことが哀れで、いつか助けたいと思っていたが、そんな気持ちも気づけば薄れてしまった。慣れというのは恐ろしいものだ。

 やがて、出会ったのは優菜という少女だった。令は優菜と出会って、まず思ったのは、なんだこのちんちくりん……だった。自分と比べてしまってもいいものかと悩むほどに何も出来ない。こんな女をいつか嫁に貰うのか、俺はとかなり頭を悩ませたものだ。

 だが、父親の背は追わなければならない。そう思わされていた。

 それに、もしかしたら、母もこんな風に父と出会わされて、強制的に結婚させられたのかもしれない。いや、きっとそうだろう。そうでなければ、あんな心配性でいつも不安そうな人を側に置きたいと、父が思うはずがないと令は昔から思っていた。

 そして、大学生にもなるとほとんど社会人扱いをされ、無駄な講義など受けなくてもいいと言われながらも、知識を深めるのは必要だと言って様々な講義を取り、また単位は全て取るのは当たり前だった。

 将来も約束された令に惚れる女性も数知れず。何人にも告白されたが、令は当然、その全てを断った。「恋愛には興味がない。婚約者もいる」ときっぱりとその理由のみで断り、それが余計に優菜へのいじめを助長させているのだとはこの時の令は思いもしなかった。

 何せ冷酷と言われるものの、財閥の御曹司という普通の人であれば憧れの人だ。その隣にいられるのであれば、きっと自分もいい暮らしが出来るに違いない。そう思う人も多い。だから、優菜を押し退けて、優菜の代わりに婚約者になろうとする者も中にはいたが、そんな人物が近づくと、令は「……うるさい」と話を聞く前に去っていく。

 女性達から令自身が恨まれることはそうなかった。しかし、同じ男からやっかまれたりということはある。子供の頃はそうでもなかったが、成長していくと同時に敵は増えていった。絶対的な地位や権力、そういったものが生まれながらにあると、恨まれることもまた宿命なのだろうか。ただ、敵と言っても令にとっては敵にさえもならないような者ばかりで、何かを仕掛けられても、その全てを蹴散らしてきた。

 何ら不自由のない、まさに自由な人生のように思えた。しかし実際のところは、自由のない不自由な人生だった。

 最初から決められた道を歩くことしか許されないような人生だ。

 他人には頼れない。頼れるのは自分だけ。友人らしい人物もいない。

 それなのに、令は孤独などとは思わなかった。孤独の中で、孤独というものを知らなかったからだ。

 そして令はいつしか人らしい心を失っていった。

 しかし優菜の声が聞こえるようになり、怒りや戸惑いという感情を覚えるように思い出し、人の温かみや冷たさを知った。

 優菜を通して、人間というものを知ることが出来るようになったのだ。

 普通だと思っていたことが普通ではなかったこと、感情というものを自分も持っていいということ、それらを最近になって令はやっと知った。

 そして成長途中で凍らせてしまった心を今、少しずつ融かしている。


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