次の日も、優菜は欠勤した。あまりにも、衝撃的な出来事だったせいもあり、精神が疲弊し、身体にまで影響が出ていたのであった。
なんとなく熱っぽい、だるい。頭が重くてぼんやりしている。体温計で熱があるか実際に見てみると、微熱に近いものではあるが、発熱していた。
これなら、正当な理由で休めると、優菜はどこか安心したような様子で令に連絡を入れた。今日は体調不良で休むと……。だが、その時の連絡で、令が妙によそよそしいような、そんな気がして、優菜はそれが気になった。変に詮索されるよりはいいが、なんだか今までと違う令が少しだけ、怖い気がした。でも、それは気のせいだろうと思うことにした。何より、今、一番傷ついているのは間違いなく自分で、令ではない。今は自分の傷を癒すことを考え、ひとりになった方がいい……。
ああ、ただ……。
「自分を癒すなんて、出来るわけ、ないか……」
自分を嘲笑うかのように軽く笑った優菜は、今までの明るい優菜とは全く違っていた。
好きでこうなったんじゃない。出来ることなら、もっと令と今まで通りに接していきたかった。もっと、いろんな思い出を作って、もっと……普通の女の子の、人並みの幸せをただ手に入れたかっただけだったのに。
助けてと言いたいだけなのに、それが出来ない。
——だってもう、何も知らなかった女の子じゃいられないから。
「っく、ふ、はは」
涙が溢れ出てくる。ああ、でも、こんなこと、誰にも理解されない……。
理解しろなんて、言えない。
ただ、好きな人には……知られたくなかったかもしれないな……。
そして優菜のいない会社の令に宛がわれた一室では、令と姫乃が働いていた。
どうしても、人手が足りなかった令は、仕方なく姫乃を一時的に頼ることにしたのだった。これは仕事上の付き合いだからと、言い訳のようなことを考えながら、ため息を何度か吐きながら仕事をする。
一方で姫乃は上機嫌で次から次へと仕事を片づけていく。
優秀な姫乃の仕事振りは、やはり優菜よりも上だった。
その点だけは、令は評価している。
「令、大体仕事片付いたよ。そっちはどう? 何かやれることある? 手伝うわ」
「あ、ああ……。……。ダメだ。仕事が手につかない」
「……どうしたの? 優菜ちゃんのこと?」
姫乃は令の背後に近寄り、ゆっくりと抱き着いた。
令は罪悪感を覚えながらも、その回された腕に触れる。
「優菜ちゃんだって、大人よ。ある程度のことは自分で乗り越えなくちゃいけないの。どんなに傷ついたことでも、ね」
「傷ついたこと、じゃない。今も、傷ついている……。彼女は、お前ほど強くない」
「……酷い人。ふふっ」
姫乃はそう笑って、令の頬に手を添えると、そっと唇を寄せた。
「やめろっ!」
そう言って令は姫乃を突き飛ばす。
だが、姫乃は微笑んだままだ。
「仕方ないわよ。ええ、どうしようもないことだったの。あなたは悪くはない」
「……っ」
「私はね、優菜ちゃんの穴埋めでいいの。優菜ちゃんの、代わりにはなりきれないかもしれないけれど、それでも、彼女の穴埋めでも、何でも、あなたの側にいられるのであれば、私は……。私は、それでいいと思ってるんだよ。令……」
「何を、言って」
「まだわからない? 私は、あなたのためなら、何にでもなれるの。あなたのためなら、何だって手を尽くす。それが、優菜ちゃんのためになるようなことでも」
大きな、大きな嘘を吐いた。
姫乃は、自分の愛がとんでもない大きなものだと、そう令に錯覚させるかのように強く訴えかける。
「寂しさは、埋め合わなければ意味がない……。違う?」
姫乃はそう言って、令の膝の上に乗った。
「愛し合いましょう? 優菜ちゃんのことは、今だけは忘れて……ううん、忘れさせてあげる。その方が、あなたのため。そして、優菜ちゃんのためなのよ。寂しいだけじゃ、人間、生きていけないのだから」
令のネクタイを、姫乃は緩めた。
しかし、その手を令は掴んで止める。
「やめてくれ。こんな時に、何を考えているんだ……」
「こんな時だからよ。それに、優菜ちゃんのためを思うなら、しばらく手を引いた方がいいわよ? 余計に辛くなっちゃうから」
「余計に……?」
「大好きな人に、汚れた姿なんて、見せたくないもの。女って、そういう生き物よ。だから、下手な連絡も、しない方がいいわ。傷つけてしまうから。それとも、傷つけたい?」
「なっ、俺はそんなこと、考えてない」
「……わかってるわよ。でもね、無意識の内に傷つけることだってあるの。お互いのためを思って、私は提案しているのよ? しばらく、二人は触れ合わない方がいいわ。薔薇の花みたいに、お互いの棘がお互いを刺してしまうから。それが……どんなに美しく思えても、ね」
「姫乃、何を」
姫乃は令の耳元で艶やかに囁く。
「私が、優菜ちゃんを忘れさせるとでも思う? 私は穴埋めでいいと言ったでしょう。優菜ちゃんの代わりに、なってあげる」
そして、触れるだけのキスをすると、姫乃は優しく笑った。
その笑みが、令には優菜の笑みに見えた。
「優菜……」
目を閉じ、それを受け入れてしまう。
最低な行為をしていると、令はわかっていた。でも、それでも、喪失感のようなものや優菜への大きな罪悪感を一時的にでも忘れられるのならば、姫乃を求めずにはいられなくなった。
「今だけは、忘れちゃっていいんだよ。令。優菜ちゃんのことは、またあとで考えましょう。今はただ、私とのことに集中して……」
「……」
「それとも、私のことを優菜ちゃんと思いたい? それなら、それでいいよ。私は、あなたと一緒に居られるなら、それでいいから……」
「お前は……優菜じゃない……」
「そうかもしれない。でも、いいんだよ。気にしなくて。優菜ちゃんだと思って、抱きしめて。優菜ちゃんだと思って、髪を解いて。優菜ちゃんだと思って、触れて……」
まるで洗脳するかのように言われ、令は少しずつ、姫乃の言う通り、優菜がいるかのような気がしてくる。
そんな馬鹿なことがあるはずがないと、令は思ったが、どこかで本当に優菜が目の前にいるような不思議なふわふわとした感覚がした。
「私はね、令さえ幸せなら、それでいいの」
姫乃は胸元を露わにして、令に抱き着いた。
柔らかな感触が令に伝わる。
「優菜ちゃんとの幸せが、令の幸せなら、もちろん応援する。でも、今、優菜ちゃんを令は支えられる?」
令の瞳が濁っていく。
姫乃の言うことが、正しいようなそんな気がしてきて……。
自分の意思さえも、わからなくなっていく。
……そして、姫乃と令は、再び、手を重ねた。