「優菜、姫乃から話を聞いたんだが、それを説明しろとは言わない。ただ、一緒に居させてほしいんだ」
そう令は優菜に電話をした。
優菜は喉の奥がひゅっと絞まるような、そんな感覚があった。
それに、冷や汗が出て、目がちかちかとして一瞬にして体調が悪くなってしまった。
「……令は、令はそれ、信じたの」
震える声で優菜はそう言う。令はその優菜の声と反応から、ある程度は姫乃の言った通りのことが起きたのだろうと理解した。
「信じてはいなかった。だが、優菜が辛い思いをしているのなら、側で寄り添いたい。支えたいと、そう思うんだ」
「……助けを呼べば、来てくれるって思ってた。でも、来てくれなかった。それだけじゃない。令は姫乃を信じたんだ……。私の言葉を待つよりも先に、姫乃に、聞いたんだ……」
優菜は笑いしか出てこない。本当は、泣きたいのに。心は泣いているのに。でも、実際に出てくるのは引きつった笑みと笑い声。
「優菜……? ちょっと待ってろ。今、行く」
令はそう言って、車から降りた。
電話は、切れていた……。
令が再び優菜の家に行き、玄関のドアを開けようとすると、鍵が開いていてあっさりと入れた。
令はすぐにリビングのソファーで蹲っている優菜を見つけ、背後から抱きしめた。
「……触らないで」
優菜はそれだけ言うと、泣き出してしまう。
「私、令に抱きしめられる資格なんてないんだよ。だって、もう綺麗じゃないもん……」
令は何と返してあげればいいのか考えた。
だが、何を言ってあげればいいのか思いつかなかった。
「助けてくれるって、言ったのに……」
令の胸が痛んだ。
本当は、優菜もこんなことを言いたかったのではない。
でも、誰かを、何かを責めずにはいられなかった。
それだけ傷つき、自暴自棄になっているようなものだったからだ。
もう、何を失っても、どうでもいい。そんな風に、思うしかなかった。
そう思えば、少なくとも、何かを失った時に「ああ、やっぱり」で済ませられる。
優菜はまるで、以前の優菜に戻ってしまったかのようだった。
少なくとも、令にはそのように見えた。
「優菜、お前が汚いわけがない。大方、姫乃に誘われて仕方なく付き合ったんだろう? それで、そういうところに行ってしまって……。全て仕組んだのは姫乃なのだからお前が悪いわけじゃない」
「でも、私は汚れちゃったんだよ。もう、二度と白には戻れないんだよ。令にはわからないでしょ。女の子にとって、どういうことなのか。ねえ」
優菜は腹が立って仕方がなかった。泣きたくて、叫びたくて、でも、それが出来なかった。したところで、どうすることも出来ないし、何になるわけでもない。わかっているからこそ、そうしたい。だけど、出来ない。自分を抑圧してしまっているのだった。
感情を、思いを解放さえ出来れば、優菜は少しは楽になれただろうに……。
「すまない。確かに、俺にはわからない。だが、それでも、俺はお前を支えたい」
そう言ったが、優菜は鼻で笑った。
「支えたい? 私より、先に姫乃の言うことを信じておいて? ……私のことが大事なら、姫乃の言うことなんて、信じないでよ。もっと私のことを信じてよ。何もなかったって、そう思わせたかったのに、これじゃ、もう出来ない……」
優菜は徐々に涙声になっていき、最後には声が震え、泣き出してしまった。
令は壊れ物のような優菜を抱きしめることも、話しかけることさえも出来ず、どうしたらいいのか考えることしか出来なかった。
「もう、私のことも信じないで、いいから……。私は、自分のことさえも守れなかったから。姫乃のことを、信じたいなら、信じればいい」
優菜は心の中では、姫乃のことを信じないでほしかったと、強く強く、思っていた。
そして、姫乃のことを信じればいいと言いながらも、本当は信じないでと願っている。
ああ、天邪鬼だなと思いながら、優菜は痛々しく笑った。
「その、重荷を、分けてくれないか。俺は、やはり姫乃を信じることはしたくない。優菜自身の口から出た言葉を信じたい。それが、一緒になるということじゃないのか?」
「一緒になるって、まだ結婚したわけでもないじゃない……」
「ああ。だが、俺達は婚約しているだろう。俺達の間にある絆は、まだ切っていないつもりだが?」
「……一緒になるって言うなら、令も私と同じ目に遭ってきてよ。出来る? 出来ないでしょ? 本当の意味で、痛みを分かち合うことなんて出来ないんだよ。同一人物じゃ、ないんだから」
「俺は、確かに同じ目に遭うことは出来ない……。だが、痛みを分かち合うというのは、そういう意味だけじゃないと思うんだ。ただ、同じ痛みを知るだけじゃ、ないはずなんだ」
「……令の言っていることは、難しくて、綺麗で、嫌だ」
「なあ、一緒に姫乃にとって都合のいい世界で、生き残るんだろう? まだ、生き残れる。一緒に、姫乃の思い通りにならないようにしていれば、そうすれば」
「令はいいよね。姫乃のお気に入りだもん」
「それは……どういうことだ」
「嫌われ者の私は、世界から捨てられるのなんて、あっと言う間なんだよってこと! もう、帰って……。家になんて、上げるんじゃなかった」
そう言われてしまっては、令は帰るしかなかった。
「……今日は帰るが、また、来るからな。変なこと、考えるんじゃないぞ」
「早く帰って……」
令は優菜の家から出た。
優菜は寂しさからか、悲しさからか、涙を流した。