目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
 第五十四話 人伝

「優菜、姫乃から話を聞いたんだが、それを説明しろとは言わない。ただ、一緒に居させてほしいんだ」

 そう令は優菜に電話をした。

 優菜は喉の奥がひゅっと絞まるような、そんな感覚があった。

 それに、冷や汗が出て、目がちかちかとして一瞬にして体調が悪くなってしまった。

「……令は、令はそれ、信じたの」

 震える声で優菜はそう言う。令はその優菜の声と反応から、ある程度は姫乃の言った通りのことが起きたのだろうと理解した。

「信じてはいなかった。だが、優菜が辛い思いをしているのなら、側で寄り添いたい。支えたいと、そう思うんだ」

「……助けを呼べば、来てくれるって思ってた。でも、来てくれなかった。それだけじゃない。令は姫乃を信じたんだ……。私の言葉を待つよりも先に、姫乃に、聞いたんだ……」

 優菜は笑いしか出てこない。本当は、泣きたいのに。心は泣いているのに。でも、実際に出てくるのは引きつった笑みと笑い声。

「優菜……? ちょっと待ってろ。今、行く」

 令はそう言って、車から降りた。

 電話は、切れていた……。

 令が再び優菜の家に行き、玄関のドアを開けようとすると、鍵が開いていてあっさりと入れた。

 令はすぐにリビングのソファーで蹲っている優菜を見つけ、背後から抱きしめた。

「……触らないで」

 優菜はそれだけ言うと、泣き出してしまう。

「私、令に抱きしめられる資格なんてないんだよ。だって、もう綺麗じゃないもん……」

 令は何と返してあげればいいのか考えた。

 だが、何を言ってあげればいいのか思いつかなかった。

「助けてくれるって、言ったのに……」

 令の胸が痛んだ。

 本当は、優菜もこんなことを言いたかったのではない。

 でも、誰かを、何かを責めずにはいられなかった。

 それだけ傷つき、自暴自棄になっているようなものだったからだ。

 もう、何を失っても、どうでもいい。そんな風に、思うしかなかった。

 そう思えば、少なくとも、何かを失った時に「ああ、やっぱり」で済ませられる。

 優菜はまるで、以前の優菜に戻ってしまったかのようだった。

 少なくとも、令にはそのように見えた。

「優菜、お前が汚いわけがない。大方、姫乃に誘われて仕方なく付き合ったんだろう? それで、そういうところに行ってしまって……。全て仕組んだのは姫乃なのだからお前が悪いわけじゃない」

「でも、私は汚れちゃったんだよ。もう、二度と白には戻れないんだよ。令にはわからないでしょ。女の子にとって、どういうことなのか。ねえ」

 優菜は腹が立って仕方がなかった。泣きたくて、叫びたくて、でも、それが出来なかった。したところで、どうすることも出来ないし、何になるわけでもない。わかっているからこそ、そうしたい。だけど、出来ない。自分を抑圧してしまっているのだった。

 感情を、思いを解放さえ出来れば、優菜は少しは楽になれただろうに……。

「すまない。確かに、俺にはわからない。だが、それでも、俺はお前を支えたい」

 そう言ったが、優菜は鼻で笑った。

「支えたい? 私より、先に姫乃の言うことを信じておいて? ……私のことが大事なら、姫乃の言うことなんて、信じないでよ。もっと私のことを信じてよ。何もなかったって、そう思わせたかったのに、これじゃ、もう出来ない……」

 優菜は徐々に涙声になっていき、最後には声が震え、泣き出してしまった。

 令は壊れ物のような優菜を抱きしめることも、話しかけることさえも出来ず、どうしたらいいのか考えることしか出来なかった。

「もう、私のことも信じないで、いいから……。私は、自分のことさえも守れなかったから。姫乃のことを、信じたいなら、信じればいい」

 優菜は心の中では、姫乃のことを信じないでほしかったと、強く強く、思っていた。

 そして、姫乃のことを信じればいいと言いながらも、本当は信じないでと願っている。

 ああ、天邪鬼だなと思いながら、優菜は痛々しく笑った。

「その、重荷を、分けてくれないか。俺は、やはり姫乃を信じることはしたくない。優菜自身の口から出た言葉を信じたい。それが、一緒になるということじゃないのか?」

「一緒になるって、まだ結婚したわけでもないじゃない……」

「ああ。だが、俺達は婚約しているだろう。俺達の間にある絆は、まだ切っていないつもりだが?」

「……一緒になるって言うなら、令も私と同じ目に遭ってきてよ。出来る? 出来ないでしょ? 本当の意味で、痛みを分かち合うことなんて出来ないんだよ。同一人物じゃ、ないんだから」

「俺は、確かに同じ目に遭うことは出来ない……。だが、痛みを分かち合うというのは、そういう意味だけじゃないと思うんだ。ただ、同じ痛みを知るだけじゃ、ないはずなんだ」

「……令の言っていることは、難しくて、綺麗で、嫌だ」

「なあ、一緒に姫乃にとって都合のいい世界で、生き残るんだろう? まだ、生き残れる。一緒に、姫乃の思い通りにならないようにしていれば、そうすれば」

「令はいいよね。姫乃のお気に入りだもん」

「それは……どういうことだ」

「嫌われ者の私は、世界から捨てられるのなんて、あっと言う間なんだよってこと! もう、帰って……。家になんて、上げるんじゃなかった」

 そう言われてしまっては、令は帰るしかなかった。

「……今日は帰るが、また、来るからな。変なこと、考えるんじゃないぞ」

「早く帰って……」

 令は優菜の家から出た。

 優菜は寂しさからか、悲しさからか、涙を流した。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?