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 第五十一話 心の中の洪水

 優菜は心の中で令を呼んだ。しかし、遠すぎるのか、令に優菜の心の声が届かない。

 逃げなくちゃ、逃げなくちゃ! そう思うのに、動かない足。

 姫乃に連れられ、結局、カラオケ店に連れ込まれてしまった。

 そして優菜はカラオケの一室に連れて行かれ、中に居る男達を見て、即座に逃げ出そうとしたが、男の一人が優菜の腰を掴んで離さなかった。

「あれ、この可愛い子が優菜ちゃん? へえ、思ってたよりも純粋そう」

「私よりも男の子と遊んだことがなくて、緊張しちゃってるけど、気にしなくていいからね。むしろ、そういうのがいいみたい」

 姫乃がそう言うと、男達はいやらしい笑みを浮かべて優菜を膝の上に乗せたり、胸に触ろうとしたりして好き放題していた。

「ひ、姫乃部長! 助けて! なんで、なんでこんなこと!」

「決まってるじゃない。あなたのことが邪魔だから、よ」

 そして姫乃は優菜を置いて、カラオケ店から出て、会社へとさっさと帰っていった。

 優菜はここに至るまで、気づくのが遅すぎた。もう、簡単には逃げられない。

 男達が入口付近を固めている。

「そういや、この制服……。あのでかい企業の制服じゃないか?」

「……確かに。へえ、じゃあ、いいところのお嬢様って可能性もあるんだな」

「そんなお嬢様の唇でも奪っちまうか」

 などと、酷いことを言って、優菜の許可も得ていないのに、優菜の唇を奪い、そして制服を脱がせ始める。優菜は大声を出して手足をじたばたさせるが、もう遅い。

 カラオケ店というところであることも手伝って、声が外に漏れにくいのだ。

 しかも、時間帯のせいもあって廊下を通る人がまずいない。

 優菜を助けてくれる人がいないのだった。

 男達は優菜の体に触れる。優菜は恥ずかしさと、気持ち悪さで涙を流しながらそれに耐えた。

 触られたくもないところ、胸などを触られて優菜は自分の体が穢れていくと感じていた。

 男達はそんな優菜を面白がって、あえて恥ずかしがるようなことをして、優菜の反応を楽しんだ。優菜は早く終わってと強く願いながら、ただ時間が過ぎるのを待っていた。

 解放されたのは、夕方頃で、丁度終業時間だった。

 男達は写真などは残さず、そのまま帰っていった。

 優菜は乱れた衣服を整えて、流れる涙を拭いて、会社へと帰っていった。

 令の待つ一室に戻ると、令は酷く心配していて、優菜を見た瞬間驚きながら怒りの表情へと変えたのだが、すぐに手のひらで自身の顔を覆って、ソファーに座ってため息を吐いた。

「とにかく、無事に戻って来てくれてよかった。一体、何があったのか、教えてくれるか」

 令はなるべく冷静にそう言った。

 しかし、そう言いながらも優菜の心が泣いている声が聞こえ、ただ事ではないことを理解すると、優菜が何かを言ってくれるのを待っていた。

「……」

 優菜はいつまで待っても何も言ってくれず、令もどうしたものかと思っていた。

「……」

 二人の間に沈黙だけが広がる。

「何か言ってくれないと、わからないんだが」

「……令には、わからないよ」

「また、何かされたのか? ……すまない」

 そう言って、令は優菜を抱きしめようとした。

 だが、優菜は令を突き飛ばす。

「嫌っ!」

「優菜……っ!?」

「わ、私、抱きしめてもらうこと、出来ない……から」

「どうした。そんなことを言って」

「とにかく、もう抱きしめてもらえないの……。抱きしめないで」

 優菜はそう言うと、涙を流した。

「何を……。何を、されたんだ」

「とにかく、私、もう綺麗じゃないから、抱きしめてもらえないの。そんなの、もう一生出来ないのっ!」

 優菜は荷物を持って制服のまま家に帰ろうとした。

 だが、令は優菜の手を掴む。

「そんな状態のお前をそのまま帰らせるわけにはいかない。それに、送り迎えをすると言っただろ……」

 優菜は嗚咽を漏らしながら、令に連れられて車に乗った。

 車の中は重い空気で満たされていた。

 優菜の家に着くと、優菜はぺこりと頭を下げて、さっさと家に入って、鍵を閉めてしまった。

 令は、家に帰ったら姫乃に連絡を取ることにした。

 優菜をこんな状態にしたのは、きっと姫乃だろう。だったら、張本人に聞くのが一番だ。そう考えたのだった。

 そして、優菜はというとシャワーを浴びて、肌が真っ赤になるまでごしごしと体中洗った。それでも足りない気がして、湯船に入って長く入浴し、出てきた頃にはふらふらになっていた。

 パジャマに着替えて、リビングのソファーに座ってテレビを点ける。

 テレビの世界が、現実世界が、偽物の世界に思えていた。

 まるで、自分が自分じゃないような、そんな気がしてしまったのだった。

 自分のことが、どうしようもなく他人事のように思えて仕方がない。

 なのに、何故だか涙は溢れてくる。

 これが、辛いということなのかと、やはり他人事に思えてしまった。

 優菜はソファーに寝転がり、そのまま、眠ることも出来ず、一夜を明かした。


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