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 第五十話 逃げられない

 優菜と令は、その日、姫乃が欠勤したことでのんびりと過ごしていた。

 まさか、姫乃が酷い目に遭っていたなどとは思いもせず……。

 もし、二人が姫乃について知っていたとしても、自業自得と思っただろう。

 そんな何でもない平和な一日が過ぎて、次の日になると、姫乃はいつものように出社してきた。

 衣服の乱れもなく、髪も肌もきちんと手入れして……。

 そして、姫乃は優菜を見かけると、優菜の手を引いて更衣室に連れて行った。

「な、なんですか。姫乃部長。変なことをするようなら、大声を出しますよ……」

「ううん。違うの。別に何かしようって思ってるわけじゃないのよ。ただ、私はあなたに謝りたくて……」

 優菜は怪訝な顔をした。

「謝りたい? 何を? どうしてですか」

「私ね、昨日、ちょっと怖いことがあって、優菜ちゃんに、知らない内にそういう目に遭わせていたのかもしれないって思ったら、急に自分が怖くなって……。本当にごめんなさい」

 優菜は信じられずにいたが、とりあえずその謝罪を受け取ることとした。

「……いえ、別に、気にしてませんから」

 優菜の気にしてないというのも、姫乃の謝罪も、全て嘘だ。

 それも、お互いにそれが嘘だとわかっている。

 お互いにそれを悟られないようにとしているのが、おかしな雰囲気をその場に作っているのだった。

「そうだ。優菜ちゃん。ランチでも行かない? たまには、いいでしょう?」

「え……」

 優菜は困惑した。姫乃からまさかランチの誘いが来るとは思わなかったからだ。

「女の子、二人きりで。ね?」

 いつもならば令も連れてこいと言うはずなのに、わざわざ女の子二人でと条件までつけてきた。ということは、令に来られては困る何か都合の悪いことがあると、優菜はすぐに思った。

 だが、もしかしたら、本当にただランチをするだけなのでは? とも思う。

 会社の昼休みの時間の間だけなら、そんなに変なことは出来ないはず……。でも、怪しさは間違いなくあって、それが優菜を迷わせる。普通ならば、行かないという選択肢を選ぶのだが、優菜は底なしの優しさからなのか、姫乃を少しでも信じようと思う気持ちがあってなのか、行くという選択肢もあると思ってしまうのだった。

 そんな優菜の気持ちを見透かしている姫乃は、あと一押しだと思った。地獄の底に落としてやろうと、姫乃はただただそれだけを想っている。優菜のことが、とことん気に食わないのだ。令と一緒にいる、婚約者だから。

 優菜が居る限り、ずっと自分は令の一番にはなれない。そう思う姫乃は、優菜に劣等感にも似た気持ちを隠し持っていたのだ。それを悟られないように、知られないようにしながら自分が令の一番になる時を待ち望んでいる。

 そして優菜は「令も一緒なら……」と妥協する。

 しかし、姫乃は「女の子二人でって、言ったでしょ? たまには男抜きで、話し合いましょうよ。きっと楽しいわよ。令を抜きに、ね。美味しいイタリアンのお店があるから、そこに行きましょうよ。お金は気にしないで。私が持つわ」と言って、優菜の手を引いた。

「で、でも、せめて令に行って来るって」

「そんなの帰ってから言えばいいじゃない。ほら、行くわよ」

 そして姫乃は優菜を無理矢理連れ出した。

 約束通り、イタリアンのお店に優菜を連れて行き、好きな食べ物を食べさせて、支払いは姫乃がした。優菜は少し疑った自分が恥ずかしい……と思ったが、これまでされてきたことを思い出すと、やはり信じ切ることなど出来ず笑みを浮かべながら話をしていても、いつも疑わずにはいられなかった。姫乃の笑顔の裏にある、本当の顔がどんなものなのかを、優菜は知っていたから。

「優菜ちゃんと、もっとちゃんと話しておくべきだったわね。こんなに、楽しくお話しできるんだもの」

 姫乃はそう言ってにっこり微笑む。その美貌が手伝って、まるで女神のようにも見えるが、優菜にはとても恐ろしくも見えたのだった。

 やはり、何か隠されてる気がして……。

「さて、食べ終わったことだし、ちょっと時間もあるから遊びに行きましょうか。大丈夫、近場だから」

 そう言って、姫乃はスマホを見て、にこっと微笑んだ。

 姫乃は店から出ると、優菜の隣を歩いて小物屋をウィンドウショッピングしたりしつつ、ちょっとずつ繁華街に近づいていった。

 優菜はちょっと会社から遠くなってきたと思うと、姫乃に「あの、そろそろ戻らないと……」と言って、引き止める。

 しかし姫乃はそんな優菜の言葉など気にせずに「あっちにもいいお店があるのよ」と言ってさらに先の方へと連れて行こうとする。

「あ、あの、どこへ連れて行くつもりですか……! どんどん、会社から遠くなってきてますよね。昼休みも、あとちょっとで終わりですよ。帰らなくちゃ……」

 姫乃は笑って言う。

「大丈夫よ。令にはもう連絡してあるから」

 もちろん、嘘だった。だが、優菜は本当に連絡されたと勘違いしていた。しかし、令のことだから心配しているに違いないと思い、やはり姫乃の言う通りにはなれないと思った。

「姫乃部長、私、やっぱり……」

「あ、こっち! こっちに来て!」

 姫乃は優菜をカラオケ店に連れ込もうとする。

 明らかにおかしなその言動に、優菜は帰ろうとしたが、姫乃が優菜のその手を握って逃げられないようにしてしまった。


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