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 第四十四話 この愛を守るためなら、悪役令嬢にでも何でもなれる

 次の日のことだった。姫乃は先に新しいスマートフォンを買いに行ってから、髪を肩の辺りまで切って、午後から出社することにした。

 先に出社している令のところに行くと、令は優菜の髪型を見て驚いていたが、すぐに「似合っている」と言って、微笑んだ。

「ありがとう」と優菜は柔らかく微笑む。

 そこへ、部屋に姫乃が入ってきた。

「ちょっと、令。優菜ちゃんが……、あら、優菜ちゃん帰って来れたんだ。おかえり。……なんだか、本人がいる前で言うのも何なんだけど」

 わざとらしく前置きをして、姫乃は困ったようにため息をついて口を開く。

「最近、優菜ちゃんが休みすぎるから、各部署から不満が出ているのよ。なんで仕事をしない人に給料を支払うんだって……。私はいつも、止めてはいるんだけれども、このままじゃ優菜ちゃんに何かしらの危害が加えられるかもしれない……」

「それは明確な脅しと、捉えてもいいか?」

「……私じゃないのよ? 他の皆がそう言っていたの。でも、確かに最近優菜ちゃん、よく休みがちだし……ねぇ?」

 いつもだったら、これだけ言われたらただ黙って俯いているだけの優菜だったが、この時は違った。

 姫乃をじっと見て、こう言う。

「確かに、私は休みがちかもしれません。でも、どれも不可抗力です。それに、休んだだけのペナルティはあります。お給料だって、休んだだけ、減っていきます。それに、私のお仕事は令の補佐です。他の方にお任せしてはいないはずです。……そうだよね? 令」

「そうだな。他のやつに、任せた覚えはない」

「そうだとしても、私はただ優菜ちゃんを心配してるのよ? もし、体調が悪いのであれば、ゆっくりお家で休めばいいと思って……。休職や、退職も手なんじゃないかなって思うの……」

 とても心配そうに眉を下げて、優菜の手をぎゅっと握って見つめる。

「心配してくれるのはありがたいですけど、もう大丈夫ですから……。安心してください」

 優菜はそう言いながら、姫乃を見つめ返した。

 もう姫乃達には負けないから大丈夫という強い気持ちを込めて。

「そういえば、昨日も休んでいたわよね……。何が悪いの? 皆にも、言いづらいかもしれないけれど事情を説明すればわかってくれるかもしれない。私から、言っておくから、よかったら教えて」

 それはつまり、姫乃の口から話せば良くも悪くもなるということ。そして、それを皆に拡散するつもりという意味だと優菜は捉えた。

「それはそう簡単に話せる内容ではないだろう。ましてや、そう簡単に周りに話していいものではない。姫乃、優菜が大丈夫だと言っているんだ。それを信じてやるのも、先輩であり、上司であるお前の役目だ」

 令はそう言って、姫乃を冷たい目で見ていた。昔みたいに和やかに話そうなどということ令は思えないようだった。

 そして、それが令なりの優菜の守り方なのだ。仕事という盾を使い、必要以上接触させないようにしようと、そう考えている。

「……令がそこまで言うなら、きっと、優菜ちゃんは大丈夫なのかもね。でも、それでも心配なのよ。だって、私達ずっと一緒だったじゃない。だから、わかるの。優菜ちゃんが今とても辛い状況にいるんだろうなってことと、ちょっと無理してることに……」

 優菜は心の中で、今は辛くないと呟いた。

 無理をしていたのは以前の優菜であって、今の優菜ではない。今の優菜は、令の助けがある。だから、倒れずに済んでいる。これがひとりであれば、きっともう姫乃の言う通り無理をして、どこかで野垂れ死にしていてもおかしくはないけれど、今は違うとそう思ったのだった。

 優菜が令に視線を送ると、令もそれに気づき、応えるように優菜を見て、姫乃にこ言う。

「姫乃、それから、プライベートなことで俺達に口出しすることを今後一切やめてくれないか」

「え、何それ……。どういうこと? 私は良かれと思って。あなた達を、思って……!」

「それが余計なお世話だと言うんだ。もう、今までとは違うんだ。俺達は。お前の都合のいい人形ではないということを、いい加減覚えたらどうだ?」

「私は、そんな風には思ってない……。考えすぎだよ。令」

「考えすぎではないと思うがな。今までのお前の言動からして、そう思っているのは明らかだ。最近、思い通りにならなくて、どこかイライラしている様子だしな」

「……そもそも、そんなに私達、会っていないじゃない。なのに、イライラしてるなんて……。悲しいよ。令」

「そういうところが、俺は好きではない。俺のことは諦めろ」

「本当に、どうしちゃったの。令も、優菜ちゃんも。今まではこんなことなかったじゃない。もっと、私の話を聞いてくれたのに」

「……。聞いてたんじゃない……。聞かされてたんです。姫乃さん」

 優菜が静かにそう言った。

「優菜ちゃん、あなたまで、何を言ってるの……?」

「私、今までずっとあなたに優しくされたことなんてなかった。話を聞いていたとしても、それはあなたの独り善がりの押しつけがましい恋の話で、一方的なものだった。あなたの愛だと言っているものも、一方的なもの……。そんなものを、令に向けないで」

 初めて、優菜が姫乃にしっかりと自分の意思を伝えた。

 姫乃は見るからに動揺している。今まで、こんなにもはっきりと優菜から真実を告げられたことなどなかったのだった。だからこそ……、腹立たしく感じられた。

 自分の思い通りになればいいのに。自分の言うことをただ素直に聞くだけの人形のような子のままでいればよかったのに。何故、今になって歯向かうのかと、小さく舌打ちをした。

 姫乃の心の中は荒れていく。思い通りにならない二人に対し、……特に優菜に怒りを強く覚えたのだった。

 今まで恐怖で支配出来ていたのに、突然言うことを聞かなくなり、歯向かってきたのだから当然の反応なのだろう。

「姫乃さん、私ね……。令と、ちゃんと婚約者として、恋人としてお付き合いしているの」

「は……、え? 何を、言っているの」

「こんなこと言うのもどうかと思うけれど、あなたのお陰なの」

「……なんで」

「最初は姫乃さんに令を渡せば、私はどこかで穏やかに生きられるかもしれないと思った。だけど、気づいたら、令は私にとって大きな存在になっていたの。その気持ちに、今後私は嘘を吐きたくないし、吐くつもりもないの」

 優菜は令と手を繋ぐ。令はしっかりとその手を握った。

 それを見た姫乃は目を見開いた。

「そ、そう……。おめでとう。その、私が入る余地なんてないんだね。なんだか、心配していたから、安心、しちゃったなぁ……」

 嘘だった。心の中は憤りで荒れに荒れていた。

 姫乃の見せかけの優しさは、見せかけであることを令も優菜も見抜いていた。

 だからこそ、首を振ることはなかったし、視線を外すことはなかった。

 狼狽える姫乃は、笑みを浮かべて「その、また、三人で遊べるといいね。じゃあ、仕事が残ってるから」と言って部屋を出て行こうとした。

 だが、ふと足を止め、こう言うのだ。

「そうだ。優菜ちゃん。きっと嫉妬する人達がいっぱいいるから、気を付けてね。何かあって困ったら、すぐに私に相談してね?」と……。

「ありがとう、ございます……」

 一応お礼を言うものの、優菜は姫乃に相談する気など全くなかった。

 そして姫乃はヒールをカツカツと音を鳴らして去っていった。

「優菜、大丈夫か。手が、震えている」

 令が優しく、優菜に聞いた。

「大丈夫。ちょっとだけ、怖かったというだけだから。それに、私、もう姫乃には流されないって決めたの。だから、大丈夫。令が、いてくれるから……」

「……何があってからはもちろん、何かありそうな時も俺に相談しろ。いいな」

「うん。……ありがとう」

「それにしても、よく面と向かって言えたな。今までじゃ、出来なかったことだろう」

「そうなんだけどね、なんだか、頑張れちゃった」

「いいことだ。よく頑張ったな」

 令は優菜の頭を優しく撫でると、優菜は気持ち良さそうに目を細めた。

 優菜は今後、姫乃にただ押し流されるだけの人生を送るつもりはない。姫乃にとって都合のいい、この世界で、優菜は令と二人でその都合のよさから外れて生きて行こうと思っている。どんなに都合が悪くても、きっとどこかに抜け穴はあるはず。それに、姫乃だって胸に空虚感か何かがあるから、令に固執するのだろうと優菜は思っていた。その空虚感さえ埋めてしまえば、令も、自分も自由に生きられる。姫乃という存在から解放されるはずなのだ。世界の理から外れてしまえば、それで解放される……。

 もう少し、あと少しで、何かが変わる気がする。そんな気持ちを持って、優菜は姫乃に立ち向かう覚悟をしていた。昔ならわからなかったが、今なら……、きっと、どうにかなる。そう優菜は信じている。

「優菜、お前はひとりじゃない。何度でも言うが、俺がいる。だから、安心して過ごしてほしい。あいつも、犯罪はそう簡単には犯さない」

「うん。そうだと、いいけど……」

 例の、写真などもあるし、犯罪を犯さないかどうかというとそこは怪しいものがあるなと優菜は思った。しかし、優菜は彼が「簡単には」と言っただけで、しないとは言っていないということに気づいた。

 なるほどなと、そう思った。姫乃が手段を選ばないこともあるという危険も一応あるということを認識しているのだと、わかったからだ。

「ねえ、令」

「なんだ?」

「もしもの時、絶対に心の中で令を呼ぶから、絶対に来てね。私、その時はきっと待ってるから……」

「わかっている。待っていてくれ。絶対に、迎えに行く」

 そして二人は、長すぎた朝の時間を過ぎて仕事に取り掛かるのだった。

 優菜は仕事をしながら、こう思う。

 令と、絶対に幸せになると。そのためならば、本当の悪役令嬢にでも何にでもなってやると、そう強く強く、思った。

 恋を、愛を守るためなら、人は変われるのだ。

 優菜は自分の愛を守るために、変わると決めた。その覚悟を持って、毎日を生きることにしたのだった。


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