コーヒーを令に渡して、優菜は令の隣に座る。
そして優菜もコーヒーを飲みながら、どこから話そうかと悩みながら少しずつ、過去を紐解いていくように話していくのだった。
「まず、前提として、信じてもらえるとは思ってないの。それだけ、信じがたい話だから。でもね、その信じがたい話の中で、私は生きてきたし、これからも生きていかなくちゃいけないってことを、覚えておいてほしいんだ」
「……わかった」
「まずね、私、ある程度の未来を予想することが出来るの。予想というよりかは、予知に近いかもしれないね……」
「予想は誰でもするだろう。それに、予知というのは非科学的だな」
「うん。そうなんだけどね。昔から、ある程度のことはわかって過ごしていたの。だから、お母さんが亡くなってしまうことも、姫乃さんに気に入られないこともわかってた」
「……」
令は信じられないといった様子でコーヒーを飲みながら優菜の話を聞いている。
「私の知っている未来では、私はあなたが、令が思っているよりもずっと若くに死ぬんだよ」
「……馬鹿なことを! 事故か何かに遭わない限りは、そう簡単に人は死なない」
「そうかな? 人間って、簡単に死んじゃうんだよ。それに、今言ったよね。事故か何かに遭わない限りはって。つまり、そういうものや、意図されたものであれば人はあっという間に死んじゃう。——事故死に見せかけたり、衰弱させて自分から死ぬように仕向けることだって出来る」
「そんなこと、誰が望んでいる……。姫乃でさえも、そこまではさすがに思っていないだろう? まさか、自殺したいなんてことはないだろうな」
「そのまさか、だったらどうする。ああ、間違えないでね。自殺の方じゃなくて……。人のことを悪く言いたくないけれど、事実として、姫乃さんが大きなきっかけになる人物なの。私にとって、ターニングポイントとなるものを姫乃さんが握ってる可能性が高い」
「確かに、姫乃とお前の間には何かあるとは思っているが、だが、そんなことを言われても」
「とりあえず、聞いててほしいんだ。いいかな?」
「……わかった」
優菜はゆっくりと、だが、しっかりと話す。
「令は不思議に思わなかった? 姫乃さんの周りの人、何故か皆姫乃さんのことを正しい、素晴らしい人間だと慕っているよね」
「……それは、そうだな」
令にとって、自分にも身に覚えのある話だった。
姫乃の言うことを鵜呑みにし、真実を見るよりもまず姫乃を信じた。周りもそうだったし、それが普通だと思っていた。
彼女が何より最優先されるべきで、それ以外は二の次……。
それが、令を含めた姫乃の周りの世界の「当たり前」だった。
「この世界は、姫乃さんにとって都合がいいように出来ている。姫乃さんのための世界。それが、この世界の本当の姿だよ」
「だが、そんなの説明がつかない。そもそも、どうしてこの世界は姫乃にとって都合がいいんだ? それに、姫乃が今何をしたがっているのか、わかるのか。だとしたら、何が目的なんだ」
「まずね、この世界は姫乃のために作られた……と私は考えている。詳しいことは、わからないけれど」
まさか小説の世界なんて言えるわけもなく、少しばかり言葉を濁す。
案の定、令は納得していないようだ。
「納得、してくれないのはわかってるけど、私からはこのくらいしか言えないんだ……。それと、姫乃さんが何を目的にしているかはわかるよ。令と恋人になって、幸せな結婚をして、幸せに暮らすこと。それだけ」
「……それだけのために、お前が犠牲になっているというのか」
「うん。残念なことにね。それに、女の子の夢は、そう馬鹿にするものじゃないよ。もの凄く、大きな力となるんだから……。世界が、動いちゃうくらいに」
「……」
「今まで通りであれば、私はもしかしたらとっくに世界から消えていたかもしれない。でも、そうじゃない。それは、あなたという存在が、変わったからだと、私は思ってるんだよ。令」
「俺が……?」
「うん。あなたも、この世界に巻き込まれている側なのに、何故か、私の予想していた世界の動きに反した動きをしているの」
「俺が……? お前の予想していた動きと違う、というのか? だが、そんなの普通だろう。予想していたとしても、外れることくらいある」
「そうじゃないの。普通じゃないの! 私の知っている……、予想していた未来では、あなたは私のことをよく思わないし、ずっと遠くから私を見ていて、今みたいな関係なんてありえなかった。姫乃さんと、ずっと仲良くて、最後は……私、を……」
「やめろ。聞きたくない」
優菜はてっきり、怒られるものだと思っていた。恐る恐る令の方を見ると、令は悲しそうな表情を浮かべている。
「その想像の未来と、今は違う。そうだろう? 何を心配する必要がある。今更、俺がお前を裏切ることはまずありえない。それに、……姫乃よりも優菜の方が大切なんだ」
「令……」
「俺に安らぎや笑うことの楽しさを教えてくれたのは姫乃ではなく、優菜だ。そんな相手を、酷く扱うような男になったつもりはない。それに、大事に出来ない相手に指輪など、贈らない……」
「その言葉、信じてもいい?」
「信じてくれなければ、俺はどうしたらいいかわからなくなる」
「……わかった。信じる。それから、最初に言った通り、私の言ったことは信じなくていいからね。それよりも、未来を信じたいと、そう思えるから」
「ああ」
優菜にはこれまでの令との思い出や、これからの幸せに過ごすための未来がある。それを勝手にどうにかしようとするのは、たとえ神だろうが、世界だろうが……、優菜は勝ってみせると強く思った。
令が優菜の手を握る。
「婚約者らしいこと、滅多にしてやれなかったことを、後悔している。学生時代にも、申し訳なかったと……」
「いいよ。昔があるから、今があるんだもの。ねえ。私ね、姫乃さんに負けたくないの。姫乃に、あなたを盗られたくないの……」
「それは、つまり……」
「私決めたんだ。今まで、怖くて何も出来なかったけど、もうこれからは違う。姫乃に立ち向かうよ」
いつの間にか、優菜は姫乃のことを姫乃さんではなく呼び捨てで呼んでいた。
それだけ、心が強くなった証拠なのかもしれない。
「出来る限り、俺も力を貸そう。一緒に、幸せな未来を築こう」
「……嬉しい。ありがとう」
「困ったことがあったら、何も疑わずにまずは俺を頼ってほしい。そうすれば、やれるだけのことをやるし、一緒に考えることも出来る。……大丈夫。未来は、変わっているんだろう」
「うん。……令、私、こんなこと思っちゃったんだけど」
「ん? どんなことだ?」
「私、さっきこの世界は姫乃のための世界だって言ったよね」
「ああ」
「……世界以外が全て姫乃のために用意された人形のようなものだったら、姫乃って、本当は孤独なんじゃないのかなって」
「どういうことだ。もっとわかりやすく教えてほしいんだが……」
「つまりね、姫乃の周りの人物も世界によって用意された人形みたいなものであるならば、本当の意味で姫乃を好きな人なんていないんじゃないかなって。それって、凄く寂しいことかもしれないって思ってしまったの。それで、姫乃は余計に自分の好きな令に固執してるんじゃないかな」
「面白い考え方だな。もし、そうだとしたら……確かに孤独だろう。さらに、それがわかりきっているとしたら……つまらんだろうな……。もしくは、思い通りにならないことに、異常に腹を立てることだろう」
「そう、だよね……。じゃあ、言い方が悪いけれど、彼女はずっと子どもってことなのかな……」
「え?」
「言うことを聞いてくれる人しかいないところで、ずっと我がまま言って、それが通ってしまう。だから……」
「なるほどな。確かに子どもかもしれない。だが、もうあいつは大人だ。いつまでもそのままでいさせてやる義理はこちらにはない」
「……うん」
「さあ、少し休もう。コーヒーでも、淹れ直そうか。俺がやろう」
「令、ありがとう」
「いいさ」
令がコーヒーを淹れ直し、優菜は新しいコーヒーを手渡される。
優菜はそのコーヒーを飲んで、一息つく。
話す前まではあんなにも重い気持ちだったというのに、何故だろう。今は思っていたよりもすっきりとした気持ちだった。ただ、姫乃が可哀想だという感情も一緒に持ってしまう自分に、少しばかり胸がちくりと痛んだ。
なんだか、自分が卑しい女のように思えてしまったのだ。
可哀想と思うこと自体、その人を見下げている証拠のような気がして、自分がまるで、姫乃に近い存在のような気がしてしまって優菜はあまりいい気持ちにはなれなかった。
「優菜、また何か悩んでいるだろう。……何に悩んでいるかはわからないが、気にしすぎだ」
「そうなら、いいんだけれど……。でも、私、自分が……ううん、なんでもない」
優菜は一口、コーヒーを飲んで自分の手をじっと見た。
そういえば、前に会社で女性社員に手を踏まれた時、令に助けてもらったことがあったなぁと少しばかり思い出す。
「令、あのね。前から気になってたんだけど……」
「どうした?」
「どうして、私のピンチの時に助けに来てくれるの? というか、わかるの……?」
「ああ、それか……。それは、なんとなく、お前の声が聞こえる気がするんだ」
「私の、声が?」
「そうだ。お前と似ているが、そんな気がするだけで確かかどうかはわからない。ただ、いつも、声がしたと思って行ってみたら、お前がいるんだ」
「……そうだったんだ」
「これもお前と同じで、信じられるような話ではないから、信じなくていい。だが、もし俺がいても、いなくても、何かあったら俺を心の中で呼んでみてほしい。そうすれば、ひょっとしたら俺にその声が届くかもしれない」
「なんだか……、ロマンチックだねぇ」
「考えようによっては、そうだな」
「じゃあ、何かあったら、すぐに心の中で令を呼ぶね。来てくれたら、嬉しいな」
優菜はふわりと微笑んだ。令もそんな優菜を見て、微笑み、二人は穏やかな時間を共に過ごすのだった。