「やあ。こんばんは。お金、貰いに来たよ。というか、彼氏さんの方に貰いに行くけど。君が払えないってことの確認だけしに来たんだよ。俺って、真面目だよねー」
いつものように、優菜の前にあの糸目の男が現れた。
「……もう、こんなこと、やめてください。私、本当にお金がなくて」
「でも彼氏さんは持ってるんでしょ? だったら一緒だよ。同じ財産をただ分け合ってるだけじゃないの」
「彼は……陽は、彼氏じゃないの……。だから、余計にこんなことで彼の力を借りたくないの。だから、もうやめて……」
「あはは。言ってることはなんだか可哀想って感じだけど、俺と同じだー。君は搾取される側に見せかけた搾取する側だよ」
優菜はその言葉を聞いた瞬間、どくんと心臓が大きく鳴った。
「そうやって、自分のことを好きでいてくれる相手の気持ちを利用して搾取する。俺と何が違うのかねぇ?」
「……そんな、利用するなんて。私、そんなこと、してない」
「してないつもりでしょ? 実際のところは、してるよ。凄く残酷だよねぇ。彼氏にするつもりもないのに、利用して、それでさよならってするんでしょ。結構な、悪女だ」
「……私は、そんなつもりは。本当に、そんなこと考えたことなんてなくて」
「あの人、本当に可哀想。嘘でも彼氏にしてあげればいいのに。きっと彼なら二番目の彼氏とかでも喜んでなると思うけどなー」
「そんなこと出来るわけがないじゃない……! それに、陽は本当にただの友達で」
「ただの友達が抱きしめたりとかするの?」
「……なんで、それを」
「キスとかするのが友達? ここ、日本でしょ? で、君も日本人で彼も日本人ってことは、キスは、友達がするものじゃないってことだ。しかも君は婚約者がいるね。調べてあるからわかるんだけど、結構な御曹司でしょ? 知ったらどうなるかなぁ。彼の言うことを聞いておいた方がいいかもしれないね。そうすれば、黙っていてくれるかも」
助言とも取れるその言葉に、優菜は混乱した。
「なんで、そんなことを言うの?」
「その方が俺も動きやすいんだよねー。婚約者じゃなくて、彼とくっ付いてくれれば、もっとお金貰えるってことでしょ」
「……最低」
優菜は軽蔑の眼差しを向ける。
「言われ慣れているよ。そんな言葉」
男はいつものように笑っていた。
「……それに、最低なのは俺じゃなくて男の心を弄ぶ君の方じゃないの?」
「心を、弄ぶ……?」
「そうだよ。だって、どう考えてもそうでしょ」
確かに、今自分がしていることは男の人の心を惑わせているということは、間違いないかもしれない。それも、昔から知っている陽という大事な友達の心を……。
でも、他にどうしたらいいというのだろう。
「もし、彼がよくて破産……、悪くて自殺でもしたら君のせいだよ」
「そんな!」
「でも、ないような話でもないでしょ? 昔からよくあるじゃない。こういうお金の話。しかも恋愛が絡むと余計に大変になっちゃうってやつ。君、今まさにそれだけど、自覚ないの?」
「……っ」
言葉に詰まった優菜は、自分でも驚くほどに、自覚があったのだと気づいてしまった。つまりそれは、それだけ陽を自分の不都合な時だけ頼る……否、利用していたということだろう。
「陽が、死んだら……私の、せい?」
「そう。君のせい。どう考えてもそうでしょう? とんでもない額のお金を払わせておいてさ、それで自分だけ綺麗でいようっていうんだから、君もとんだ悪女だよねぇ……」
「違う……。私は、そんな悪女じゃ」
ふと思い出したのは小説の世界での優菜の姿。確かに彼女は自分のためならば何だって使っていた。自分のためなら、黒を白と言うような女だった。まさか、自分がそんな女になっているの? と、優菜は自分が恐ろしく感じられるのだった。
「悪女って、自分で気づいているんだ。じゃあ、余計に、質が悪いね。君みたいなのをさ、悪役令嬢って、言うんでしょ」
言われたくない言葉を言われてしまった。優菜は自分が悪役令嬢なのだと思い、また、それを信じたくないのに信じてしまった。他人が見てそうならば、もしかしたらそうなのかもしれないと……。
「悪役令嬢さまなんだから、もっと上手く世渡りすればいいのに。どうしてそう下手に生きているの? 君ほどの人……逆を言えば君程度の人が、そもそもにおいて、こんな俺みたいなやつに狙われること自体、本当はおかしいのに」
「……どういうこと?」
「どういうことって、そういうことだよ。君みたいな平凡だけど平凡じゃないやつ、他に見たことがない。……本来は君みたいなのって、もっと悪いことしていたり、逆に綺麗すぎるのに、どうして君はそう平凡なの? ありえない。なんだか、空いてたヒロイン役の座に無理矢理座らされたみたいな、そんな違和感があるんだよねー」
それは言い得て妙だった。
というより、見事に当てられてしまっていて、私は言い返す言葉もなかった。
そのことに気づいたのか、男は「俺がいろいろ手伝ってあげようか? 復讐とか、したい相手いるんじゃない? きっと君のことだから、何の仕返しとか出来ずにいると思うんだよねー。俺だったら、そういう人に対していろんなこと出来るけど、どう? 彼氏さんに頼んでさ、ついでってことで……」
「要らないっ! そんなの、私、望んでないもの!」
「そんなこと言わないで。きっと君だって一回やってしまえば」
「人のことを玩具みたいに簡単に言わないで……! 私は、私なりの方法を見つけて、生き残りたいだけなの!」
「……へえ。生き残りたい、ね」
「……っ」
「なんだか、ずっと気になっていたけれど、君には一般人にはない死の影でも見えるの? ずっと何かに追われているような、そんな感じがしてたんだよね。もしかしてさ、自分の死期とか知ってるわけ?」
「あなたには、……関係ない」
「あっそ。まあ、いいや。じゃあ、また今度」
男は去っていった。
しかし、優菜は自分が恐れていることをあの男に知られてしまったということを、後になって知るのだった。
それも、最悪な形で……。
「優菜が、命を狙われている? それか、病気って、どういうことだ?」
糸目の男から報告を受けた陽は、頭を悩ませていた。
まさか、あんなに元気そうなのに病気などということは……と思ったが、人間と言うものはどこで病気になるかわからないし、本人の気力などによって見た目が変わることもある。
何にせよ、優菜に詳しいことを聞きたいと、そう思うのだった。
「ま、あの人、いつも怯えてる表情だからね。何かあってもおかしくないよ。俺の同業者が付いてる……ってことではなさそうだから、その線はないけど」
「ってことは、殺しとかではない、か……。じゃあ、尚更なんで……。まさか、令に脅されてるとか……? いや、それは考え難いな。でも、心配だ。今度、無理矢理にでも、話を聞いてみるか……。そうだ。そのまま、連れ去ってしまおう。あいつの前から、俺のところへ……」
糸目の男は笑った。
「すっごい、悪い顔してるねぇ。雇い主さま」
「なあ、お前にちょっと手伝ってほしいんだけど。もちろんタダでとは言わない。報酬は上乗せする」
「もちろんだよ。金さえあるなら、俺は何だってする」
「……だから、お前のことを信用出来る」
「ぴったりの相棒をお互いに見つけたってところだね」
「相棒なんて思っちゃいない。未だに、俺はお前を許せないという気持ちを持っているんだからな……。ただ、利用する側とされる側で、利害が一致しているだけだ」
「確かにね」
そんな話をして、陽と糸目の男は計画を立てるのだった。
優菜を、連れ去る計画を……。
そして少しばかり日が経ち、優菜は陽に連絡を入れたいのにどうしよう……と自室で悩んでいた。
その悩みはとんでもない額のお金を借りてしまっていることに対する後悔や申し訳なさから来るものだった。
どんな声で電話をすればいいのだろうと思い続け、気づけば震える指で、通話ボタンを押していた。
何度かの電話の音がした後、陽が出る。
「こんばんは! 優菜、どうしたの?」
「あ、あのね。こんばんは……。あの、その、えっと、お金、どうやって返せばいいかなって悩んだんだけど、私、お金ないから返せなくて……。今も、あの男にお金を渡してる……んだよね? 本当に、本当にごめんなさい!」
「……なんだ。そんなことか」
「そんなことって……」
「俺は気にしてないよ。むしろ、優菜のためになるのならって思うと、これまで稼いできたことが正解だったって気がして、凄く嬉しいんだ」
「……そんな。でも、悪いよ。私、何もお返しなんて出来ないのに。何度も言うけど、大金じゃない。私、申し訳なくて……」
「じゃあさ、一回デートしてくれない?」
「え?」
「申し訳ないって思うなら、その気持ちがなくなるようなデート、しようよ! 俺さ、優菜とずっとデートしたいなって思ってたんだ。もちろん、こんな風に付け込むようにしてデートをっていうのは、ちょっと反則かなって思うけど。でも、俺、それだけ優菜のことが……。ううん、なんでもないよ。とにかく、デートしてほしい、な」
「……」
他でもない、陽の頼みだ。ここで聞かない、なんてことになったら、優菜はきっと後悔すると、自分でも理解していた。
だからこそ、選択肢など最初からなかったのだ。
そしてその気持ちを、誰よりも陽が一番理解していた。
最初から選択肢なんて与えるつもりなどなかったのだ。
(ごめんな。優菜……。だけど、こうでもしないと、優菜は俺に振り向いてくれないだろ? だから、仕方がないんだ)
明るい笑顔の裏で、陽は優菜のことを歪んだ瞳で見ていた。
もちろん優菜は陽の声色だけではその歪んだ瞳に気づくこともなく、通話を切った。
「……デート、か」
(気乗りしないな……。婚約者がいるのに、こんなことをするなんて)
そう思いながら、優菜は昔のことを思い出す。
昔の陽は、こんなことを言い出すような人ではなかったのにな……と。
そして、出会った頃の陽を思い出して、ゆっくりと目を閉じた。