優菜と令は二人で優菜の好きなところを巡る。
令が「どこに行きたい?」と聞き、優菜が考えて街から離れた場所や、そうかと思うと今度は街中の好きなお店を言うのだった。だが、その度に優菜は「わがままでごめんね」と申し訳なさそうにするものだから、令が「気にしなくていい。婚約者の行きたいところくらい、行かないでどうする。今まで出来なかっただけ、このくらいはさせてくれ」と言うのだった。
「他に、行きたいところがあるなら、行こう」
そう言ってくれる令に、優菜は「じゃあ、大学の周りでいいから、ちょっと行きたいな」と言う。
その言葉に、令は「あまりいい思い出はないだろ」と言うのだが……。
「だからだよ。嫌なことから、逃げたくないの。ただ、逃げるだけの人生も、もう疲れた」
「逃げるだけの人生……?」
訳が分からないという様子の令に、優菜は「気にしないで」と言って前を向いた。
令は言われるがまま、大学の周りを走る。
するとやはり優菜は少し気分が悪そうに顔を青くし、手を固く握っていた。
そんな優菜の手を、令は片手でそっと上から覆った。
「大丈夫か?」
「うん。大丈夫。でも、ちょっと、やっぱり、きついね……。ありがとうね。わがままに付き合ってくれて……。もう、いいよ。ここから離れよう」
「ああ……」
やはり離れたいというのが、優菜の本心なのだろうと令は思った。
それから優菜は雑貨屋に寄りたいと言うものだから、ふと思った令は街中の駐車場に車を停めて、ある雑貨屋へと優菜を連れて行った。
その雑貨屋は昔令が見つけた雑貨屋だったが、女性客がメインであるということと、特に似合う人が当時いないと思っていたから行くことのなかった店だった。
外から見るに、清楚な感じがして、優菜に似合いそうだと令は思ったのだが、優菜の反応はどうだろうか。
そう思って令が優菜を見てみると、優菜は目を輝かせていた。
優菜は令の手を引っ張って、「ここ、行くんだよね?」と言って店内へと足を進めた。
令はやはりここは優菜好みの店だったかと思うと、嬉しそうに微笑んだ。
「このランプ可愛い……。あ、でも使うところがないかなぁ。テーブルに置けばいいのあかなぁ」
「欲しければ買おうか?」
「ううん、まだ見てるだけでいい」
楽しそうに店内のあちこちの商品を見ている優菜。
令はここに連れてきて本当によかったと思うのだが、いつも控えめにしている優菜がはしゃいでいるから、何か一つと言わず、いくつか欲しいものを買ってあげたいと思うのだった。
「あ、令! 私、これ欲しい!」
「どれだ?」
「マグカップ! ペアだから……、片方令に使ってほしいな」
「……もちろん」
「じゃあ、買って来るね!」
「いや、俺が買う」
「え……? 買ってくれるの?」
「ああ。優菜にプレゼントしたい。迷惑じゃないか?」
「全然、迷惑じゃないよ。ありがとう……!」
会計を済ませてから、二人はそれぞれラッピングされたマグカップを入れた紙袋を手に、そのまま街中を歩くことにした。
「令って、街中で何かおやつとか食べるの?」
「そう言えば、あまり食べたことがないな……」
「ふうん。そうなんだ。あ、じゃあ、あそこのクレープなんか、食べてみない?」
「クレープ? 優菜が食べたいなら、食べるか」
「うん!」
そして二人はクレープを注文し、それを近くのベンチに座って食べるのだった。
「令とイチゴのクレープって、あまり合わないと思ってたけど……、なんだか可愛いね」
「……男が可愛いと言われてもな。そんなに嬉しくない」
「そうだよね……。ごめん」
「いや、謝るほどのことじゃない。お前は少し謝りすぎだ。もう少し、わがままになっていいんだからな」
「……うん。ありがとう」
話しながらクレープを食べて、のんびりと街中の景色を眺めていた。
「美味しかったねぇ。なんだか、元気になってきた。令のお陰だね。ありがとう」
「ああ、こちらこそ」
「こちらこそ、って……?」
「可愛い笑顔をありがとうってことだ」
「……なんだか、令、変わったね」
「そうだとしたら、優菜のお陰だな」
二人は顔を見合わせて笑い合った。
優菜の家へと帰宅した二人。優菜は早速マグカップを使おうと思ったが、令のマグカップは令のものだから令が持ち帰るのだろうと思い、自分のマグカップだけ洗い始める。
すると、令が自分のマグカップを持って来て、一緒になって洗い始めた。
「れ、令……?」
「ペアのマグカップだからな。同じところにないとなんだか不自然だろう」と言った。
「……そうだね」
そして優菜はこだわりのコーヒーを淹れて、令にマグカップを手渡す。
「アイスコーヒーにしたよ。よければ、どうぞ」
「ありがとう」
コーヒーを飲みながら、二人はぼーっとしたり、話をしたりと好きに過ごした。
そんな中、優菜は不安を話す。
「……令」
「どうした」
「私、やっぱり姫乃さんが怖いな」
「それに関しては、あまり気にしなくていい」
「気にするよ。やっぱり。今は一時的に令のところで仕事をさせてもらってるからいいけれど、その内また元の部署に戻るだろうから、そうしたらまた姫乃さんが……」
「大丈夫。これからは仕事の時も一緒に居られるようにする。約束だ。その指輪に誓う」
「でも、どうやって……」
「それはまた月曜日のお楽しみだ」
「……?」
「今はまだ言えない。だが、必ず、お前と一緒に居られるようになる。それだけは確実だ」
「わかった……。ありがとう。そういえば、姫乃さんには、指輪とか渡したことあるの……?」
「いや、指輪は渡したことがない」
「どうして? 姫乃さんとなら、指輪くらい渡してそうなのに……」
「指輪は、大事なものだ。大して好きでもない人に渡すものではないだろう」
「……そっか。それを聞いて、少し安心したよ」
「それならいい」
実際、令は姫乃には指輪など贈ったことがない。その証拠に、姫乃の指には指輪の類が一切ないのだが、そのことに優菜は気づいていなかった。
逆を言えば、姫乃は指輪を待っているために、他の指輪を着けていないということなのだが……。
「前に、令が姫乃さんとアウトレットモールにいたでしょ? だから、その時と同じ感覚なのかと思ってたんだ」
「まさか、そんなことはない。婚約者はお前一人だけだ」
「でも、その婚約者を不安がらせたのは誰?」
「……それは、その、悪かった」
「……いいよ」
(私も、婚約者らしいこと、何一つしてこなかった……。生きるか死ぬかしか考えられない、こんな世界だから。でも、今なら、令を信じてもいいのかな。令を信じたら、私は生き残れる……? そう、信じたい)
優菜の心は揺れていた。令を信じ切ろうという気持ちと、まだ信じ切ってはいけないという心が同時に存在していたからだ。
そんな時、令に優菜の心がわずかに伝わった。
(何だ……? 優菜の心が、酷く揺れている……。何を、隠しているんだ。これ以上、何を……。まだ、俺には言えないことなのか。それとも、他にもまだ)
令は優菜を疑うということはもうしない。だが、不安に思うことはある。
たった一人の婚約者だ。そんな婚約者に隠し事をされたら、不安にも思うだろう。
ましてや、それがわかってしまうのだから……。
(もしかして、また陽絡みのことか……? あいつがいると、ろくなことが起きない)
「優菜、もしかして、陽とはこれまでも俺のいないところで会っていたのか……?」
「どうして、そんなことを?」
「気になってな。それに、お前にはあいつにあまり近づかないでほしい。あいつは、疫病神だ。優菜にはいいものを持ってこない」
「そんなこと……ないよ……? 私の、友達というだけだよ?」
「それでもだ。なるべくあいつとは関わるな。出来ることなら、会わないでほしい」
「でも、彼は私の友達なの。交友関係は、私に任せてほしいな……。私の、交友関係くらいは……。お願い」
「……わかった。だが、もし、何かあったらすぐに呼べよ」
優菜は陽と、陽に今出してもらっているお金のことが頭を過った。それがある限り、絶対に陽からは逃れられないと知っている。そして、そのことを令に伝えてしまったら、今度こそ陽との関係を絶たれてしまうことも、わかっていた。
「うん。何か困ったら、すぐに令を呼ぶね」
今現在、困っているというのに、優菜はそのことは黙っていることにしたのだった。
この時、黙らずに言ってしまっていれば、後々困ったことになどならなかっただろうにと、未来の優菜自身が思うとは思わなかったのだった。
そしていつもならばそろそろ令は帰る時間となった。
だが、令はなかなか帰ろうとせず、優菜を膝の上に乗せたりして話を続けていた。
(もしかして、令は……、帰りたくないのかなぁ)
そう思う優菜。その考えは当たっていた。
令は優菜との時間を楽しいと思っているだけに、帰るのが惜しくなったのだった。
「令、そろそろ帰らなくちゃじゃないの?」
「今日はまだ、一緒に居たい」
「……いつもなら帰ってる時間だけど、いいの?」
「ああ。まだ、大丈夫だ。何なら深夜でも大丈夫なくらいだ」
「それは私が防犯上あまりよくないんだけど……。でも、そうだなぁ」
優菜はそろそろいいかと思って、ある提案をする。
「ねえ、令。合鍵、あげようか」
「……合鍵?」
「うん。私の家の合鍵、令にあげる。何かあった時に助けてくれるし、逆に私も何かあったら、助けたいから」
「……優菜」
「わっ」
令は優菜を抱きしめる。
「それってつまり、俺のことを信じてくれたということ、だよな……?」
「あ、うん。……そうだよ?」
「そうか」
「どうしたの? 令」
「嬉しいんだ……」
「……そっか」
そして令と優菜はしばらく抱きしめ合っていた。
やがて令が帰る時になると、優菜は忘れずに合鍵を令に渡す。
「はい。令。これが合鍵。絶対になくさないでね」
「ああ。もちろんだ。なくしたら、すぐに連絡する」
「うん。そうして。それじゃあ、またね」
「またな」
優菜と令は自然と唇を重ねていた。
ドアが閉まると、優菜は鍵を閉めようとしたが、先に令に鍵を閉められる。
それが何故だか、嬉しく思えるのだった。