「それでね、令。……令?」
優菜と令が昼食の時間に話をしていると、令は少しばかり考えた様子で優菜を見ていた。その令の表情を見て、優菜は心配そうに眉を下げる。
その表情が、令には優菜ではなく姫乃のように感じられていた。
「令、どうしたの?」
「いや、その……」
「何かあったなら、話してよ。私達、そんなに多くの隠し事をするような仲じゃない、よね?」
「……言い難いんだが、優菜、最近姫乃に影響されてないか?」
「え……?」
「その、仕草とかはそのままだが、なんとなく身に着けているものとかが少しずつ、姫乃に似てきている気がする」
「……」
そういえば、最近は姫乃に文句を言われるのが嫌で、姫乃の好みのものを身に着けていたと思い出した。それが、いつの間にか当たり前になってしまっていた……。
「優菜は、姫乃になる必要はない。むしろ、ならないでほしい。そのままの優菜が、俺は……」
「待って。私……、そんなに、姫乃さんに似てきた?」
「そこまで似てきたわけではないが、少し、な」
「……なんか、嫌だな」
「……そうだろうな」
「私、自分まで姫乃さんになってきたなんて、嫌だよ。だって、私があんなに苦手だと思っている人と同じになっていくなんて、正直、耐えられない」
「だったら、やめればいいじゃないか」
「でも、どうやって……」
「変えてきてしまったところを、また元に戻せばいいじゃないか」
「……洋服、とか?」
「そうだな。お前は、もう少し可愛らしいものが似合う」
「……大人っぽいのは、似合わない?」
「そういうわけではないが、お前らしいのは今のとは違うというだけだ」
「……そっか」
優菜は令の言葉を受け止めた。自分が自分らしくないという現実も、似たくない人に似てきているというところも。
確かに、彼女のように強かに生きていけたら楽かもしれない。そう思っていたこともある。また、姫乃のように美しい女性になれるものなら、なってみたかった。だが、こんな形でそれを叶えるのはありえない。それこそ、優菜らしくない。
自分の「らしさ」を失いたくはない。それが、優菜の今の本当の気持ちだ。
だったら、どうしたらいい。そう考えた時に、まず出てきたのは逆らうことだった。
だが、逆らったら、どうなる? 嫌がらせ行為が酷くならないか?
様々なことが頭を巡るが、今を脱却するためにはまず、自分が変わらなければならないと思うのだった。
「優菜」
「何?」自分というものがわからない優菜は、なんだか自信がなさそうだった。
そんな優菜に、令はこう聞く。
「優菜は、どんな自分が好きなんだ?」
その言葉は今の優菜にとって青天の霹靂だった。
どんな自分が好きなのか、改めて考えてみると姫乃みたいになりたいのではなく、令の隣で微笑む自分が心の中にいたのだった。
「優菜、お前はそのままでいい。自分を見失うな」
令は滅多に見せない不器用な微笑みを見せるのだった。
優菜はその令の微笑みを見て、頷き、アップにしていた髪を下ろした。
そして姫乃に言われて身に着けるようになっていたアクセサリーを全て取った。
令は驚いていたが、すぐに笑みを浮かべた。
「私に、こんなにたくさんのアクセサリーは、要らないよね」
そう言って、優菜はアクセサリーを鞄の中に入れた。
「ああ、そうだな。その方が、優菜らしい」
前と同じようだが、それでいて自信に満ち溢れた優菜の姿が令の目の前にあった。
(思えば、文句を言われるのが怖くて姫乃に合わせてきたけれど、ちょっとくらい逆らわないと自分が姫乃になっちゃう……。そんなの、絶対に嫌。令もそのままでいいって言ってくれてる。だったら、私は、自分らしさを持って生きていきたい)
優菜は昼休みを終えると、アクセサリーを鞄に入れたまま、自分の部署に戻る。
そして仕事をし始めるのだが、周りは明らかに優菜が変わったことがわかったのだった。
「なんか、優菜さん、変わった? ……地味になったね」
「うん。でも、私はこの方が合ってるから。それより、あまり私に話しかけない方がいいよ」
「……なんか、かっこいいね」
「うん?」
「何でもない。さーて、早く仕事しないと」
そして時間が流れ、終業時間になると優菜はロッカールームに行き、服を着替えて家へと帰ろうとした。
出入口のところで優菜は後ろから令に話しかけられる。
「優菜、たまには家に来ないか」
「家って、令の家?」
「ああ。夕食の誘いだが……、いいか?」
「うん。行く」
優菜は令の手を握ろうか悩みながらそっと手を差し出した。
令はその手を取り、しっかりと握りしめる。
「行こう」二人の手が重なった影が伸びる。
「……うん!」
令の家に向かう間、二人はいろいろと話していたが、優菜がもう姫乃の真似はしないと決意する話が主だった。
「そんなに力まなくとも、ただお前らしくあればいいだけだ」
(必死なところも、可愛いが……)
「うん。でも、私、私らしくあるね。頑張るよ!」
「根を詰め過ぎないようにな」
そんな風に話をしながら、令と優菜は令の家へと無事着いたのだった。
令の家に入ると、以前に優菜が来た時と同じく、綺麗に整頓され、シンプルで余分なものが一切ない。洗練されたデザインと言えばその通りだが、優菜は少し寂しさも感じられる気がしたのだった。
「あの、お夕食って、今日はどこかに食べに行くの……?」
「いや、今回は俺が作るが」
「……そうなんだ。令って、お料理作れるんだね」
「俺も一人暮らしだからな。多少は作れる」
「楽しみにしているね」
「ああ。適当に座ってテレビでも見ていてくれ」
「うん。ありがとう」
優菜はソファーに座ってテレビを点けて見てみるが、特にこれといって見てみたいものがなく、すぐにテレビを消してしまい、スマホを触り始めた。
スマホでは意味もなくSNSを見てみたり、動画を見てみたりしていたが、どうにも楽しいと思えない。いつも同じようなことをしているから飽きてしまったのかもしれないなと優菜はふと思った。
そしてしばらくするといい匂いがし始めてきて、テーブルに美味しそうな料理がたくさん並べられていく。
「凄い美味しそう! 令って、料理上手だったんだね! 知らなかった」
「今まで、手料理を誰かに振る舞うことなんてなかったからな。美味しいかどうかはわからないが、とりあえず、食べてみてくれるか」
「うん。いただきます」
優菜は令の作ってくれた夕食を食べ始める。何品も並ぶその料理の品々の美味しさに、優菜は目を輝かせる。
「美味しいよ! 令! お店のお料理みたい! でも、どこか温かみのある味で、私、凄い好き……。今度、料理教えてほしいな」
「そうか。作ってよかったよ。今度、予定が合う時にでも料理を教える。俺も食べることにする。……いただきます」
そして二人は和やかに食卓を囲んだ。
「……ごちそうさまでした。令、本当に美味しかったよ。ありがとう。それに、今度お料理、教えてくれるんだよね。私、楽しみにしているね!」
「ああ。口に合ったようでよかったよ。それと、口元、ソースが付いてる……」
ハンカチで令が優菜の口元を拭った。
「……っ!」
優菜は恥ずかしそうに顔を赤く染めた。
令は何故優菜が頬を染めたのかがわからず、首を少し傾げたが、優菜がすぐに雰囲気を変えようと話題を変える。
「あの、令。今日は本当にありがとうね。私らしさってものについて、いろいろと考えていきたいと思うんだ」
「ああ。そうしてくれ。そうしてくれていれば、俺も安心していられる」
「……それって」
「……いや、なんでもない。それよりも、家へ送るよ」
「うん。ありがとう」
二人は夜の街中を、車に乗って走らせていくのだった。
「それじゃあ、ありがとう。令」
「ああ。またな」
優菜は令の車が見えなくなるまで手を振っていた。
それから家に入り、ちゃんと鍵を閉めてシャワーを浴び、明日の準備を整えてから寝ようとした。
だが、その前にクローゼットにある姫乃に似せるため、合わせるためのアクセサリーを全て取り出し、袋に入れてゴミとして出そうと置いておくのだった。
洋服も、合わないものは捨てるかもしれないと思いつつ、隅の方に寄せて置いて、姫乃らしいと思わせるものをなるべく避ける形にしていくのだった。
今日、言われるまで自分がそんなに姫乃らしくなっているとは思わなかった優菜は、「自分らしさ」を考えさせ直してくれた令に、優菜は感謝していた。
そして優菜は翌日からはもっと自分らしさを出していこうと思いながら、眠りに就いていくのだった。
翌日になると、優菜は目を覚ましてすぐに顔を洗って、気合を入れた。
化粧も姫乃の好みのものではなく、自分の好きな化粧品、化粧の仕方で。
髪型も、服装も、下着も。全て優菜の自分らしいと思える自分の好きなものを選んだのだった。
優菜はそんな自分に自信を持って、会社へと向かって行く。
道の途中に、猫がいると優菜はその猫を写真に撮って今日も頑張ってみようと思うのだった。
そして優菜は会社に行くと、周りの人達が少し自分を見ていることに気づく。
何故だかはわからなかったが、特に嫌な感じはしなかったため、気にしないことにするのだった。
優菜はロッカールームに行き、制服に着替えると、髪を綺麗にまとめて仕事モードに自分を変えていく。
そして、しばらくの間、仕事は令との二人での仕事になると、上司から言い渡された。だから、そんなに周りの目は前ほど気にならなくなった。それは嬉しいことだったが、それでも周りから今日はよく見られるなと思うのだった。
令の部屋に行くと、令が「おはよう。優菜、今日は自信に満ち溢れていていいな」と優菜に言う。
優菜は嬉しそうな表情を浮かべながら、頷いた。
「うん。私、自分に自信を持って生きて行こうと思うの」
ただ、その自信がある中でも、令とは離れなければならないと思うとその自信が消えてしまいそうで少しばかり寂しさを感じてはいるが。
「やっぱり、優菜はこの方が落ち着くな」
そう言われて、ありのままの自分というものが優菜は大事なんだと思うのだった。