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 第二十六話 最低な実兄

 ドライブに行くために、昨日から決めていたワンピースを着て、リボンを首に結んだ。

 化粧はいつもよりもおしゃれに、アイシャドウも普段使っているものとは違う、もうちょっと色の入ったものを。リップだって、可愛らしい色を使ってしまおう。

 そんな風に、うきうきしながら優菜はドライブの支度をしていた。

 そこへインターフォンの鳴る音がして、令だと確信しながら出てみると、やはり令が優菜を迎えに来たのだった。

「令! おはよう!」

「ああ、おはよう。優菜。支度は出来ているか?」

「うん。もう出られるよ。ちょっと待ってて、鞄取って来るね」

「待ってる」

 そして優菜は鞄を持って外に出ると、鍵を閉めた。

「令、お待たせ。行こう」

「ああ。なんだか、嬉しそうだな」

「そう見えるなら、そうだと思うよ。昨日から、楽しみだったの」

「そうか。そう言ってくれると、俺も嬉しい」

 令の顔を見ると、穏やかに微笑んでいた。

 昔の、冷酷と言われていた時とは違うその微笑み方に、優菜も思わず微笑むのだった。

「さあ、出かけよう。実はさっき、優菜が好きかと思ってフルーツのスムージーを買ってみたんだ。バナナとイチゴのスムージーなんだが、嫌いではなかっただろうか……。婚約者だというのに、こんなことも知らないなんてな」

「ううん! 嬉しい! 私、フルーツ大好きなの。甘いの、好きなんだ。コーヒーばかり飲むけどね。ありがとう。令」

「……ああ」

 車に乗り込むと、ちゃんと優菜側のドリンクホルダーにスムージーがストローを差して置いてあった。

 優菜はシートベルトを締めると、スムージーを飲む。

「んっ。冷たくて美味しい!」

「そうか。よかった」

「令は飲まないの? そうだ。……はい! 一口どうぞ」

 そう言って優菜はスムージーのストローを令に向ける。

「それは……」

「間接キスなら、前にもしたでしょ? ね。一口飲んでみて、美味しいから」

 令はちらりと優菜を見ると、一口飲んで口を開く。

「……甘い」

「そりゃそうだよ。バナナとイチゴだもの。美味しいよね。令には、甘すぎた?」

「ちょっと、甘すぎるな。でも、たまにはこんな甘さもいい」

 車を走らせ、街中から段々と山道へと入って行く。

 緑が多くなり、坂道やうねうねとした道が続く。

「令、大丈夫? こういうところ、あまり走らないんじゃない?」

 優菜が少し心配そうに言うと、令はいつものように飄々と言う。

「このくらい、何でもない。出張で、とんでもなく長時間走らされたこともある」

「令でもそんなことあったんだ……」

「あったとも。特に、新人時代はな」

「財閥の御曹司なのに?」

「そうだ。親の方針でな。最初はこき使われたと言ってもいいくらい、忙しい日々を送らされた。それが後々役に立つからとな」

「そっかぁ……」

「御曹司などと言われているが、使えないと判断されたらそれまでだ、だから、俺はいつも気が抜けない」

(今は、優菜の前以外では、だが……)

「そっか。令も大変なんだね。でも、期待されてない私からしたら、ちょっと羨ましいかも」

「期待されてない……?」

「前にも、言ったよね。給料泥棒って言われてるって。仕事は出来ないし、何で採用されたのかわからない。多分、婚約者が令だからだったんだと思う。期待なんて、されてないんだよ。最初から。だから、私は羨ましいって思える。……えへへ。ないものねだりだね」

「ああ、でも、俺達はお似合いだ」

「え?」

「お互いに、ないものねだり、だろ」

「……そうだね」

 窓から入って来る風が二人の髪を靡かせる。


 しばらくすると、優菜の方からすーすーと寝息のようなものが聞こえてきた。

 令が横目でちらりと見ると、優菜が眠ってしまっていた。

 あまりにも無防備だから、令は思わず微笑んでしまう。

 外だったら心配になるくらいだが、車の中でならば自分一人しかいないのだから、何かあっても守れる。

「……可愛いな」

 ぼそりと呟き、令はアクセルを踏み、クラッチを踏んでからギアを変えてさらにアクセルを踏むのだった。


 それから一時間ほどして、優菜はやっと目を覚ました。

「あ、あれ、ここ……」

「おはよう。と言っても、もう昼だが。お腹は空いたか?」

「ご、ごめんね。運転してくれてるのに、助手席でぐーぐー寝ちゃって……。お腹は、少し空いたかも」

「別に構わない。それだけ安心してくれているということだろう。ご飯は……そうだな、この辺りは丁度コンビニがなくてな。俺がたまに行くステーキ屋でもいいか。チェーン店なんだが……」

「う、うん。でも、令がチェーン店なんて、イメージ湧かないかも……」

「意外か?」

「うん。なんか、チェーン店とかじゃなくて、高級料亭とか、そういうお店にしか行かないって思ってた。だから、コンビニに行くのも想像つかないし、今日はなんだか驚かされてばかりかも」

「……そうか」

「それに、そんな優しい顔を出来るって、今までの令からは考えられなかったよ」

「……俺を変えたのは優菜だ。それに、優菜にしか、こんな顔見せられない」

「なんで? 皆にも見せたらいいのに。そうしたら、皆親しみやすいって言ってくれると思うよ」

「いや、俺は他のやつには見せるつもりはない。お前にだけ知っていてほしいからな」

「! そっか!」

 二人はステーキ屋に行くと、令のおすすめの高めのステーキを食べて、お腹いっぱいになってから、再びドライブをするのだった。

 山道を通ってから、街中を通って、時々気になった店を見て回ったりして。そして……、気づけば十八時を少し過ぎていた。令は優菜の兄の仕事場の前に、車を停めた。

「ここで住所、合っているか?」

「うん。……はあ、緊張してきた」

「大丈夫だ。何かあったら、すぐに俺を呼べ。電話でも、何でもいい。そうしたら、すぐに迎えに行く。絶対にだ」

「ありがとう。それじゃあ、ちょっと行ってくるね」

「いってらっしゃい」

「うん……。いってきます」

 優菜が建物のインターフォンを鳴らして、中から兄が出てくると、兄は一瞬優菜が誰だかわからなかったようだが、時間や令の姿を見つけて優菜だと察したようだ。

「ふうん。来たんだ。まあ、いいや。早く中に入って」

「お兄ちゃん……。うん。お邪魔します」

 優菜が建物に入ると、そこはシンプルな仕事場としか言いようのない事務所があった。

 ただ、観葉植物が枯れていたり、一部の書類が出ているのが気になる。

(書類、あんな風に出てたら見られちゃうんじゃないかな……)

「何」

「ううん。なんでもない」

「それで、お前、どうしたいの」

「え」

「写真、どうにかしたいんだろ。それとも美奈子に何かする気か? だとしたら、俺は止めるがな。とりあえず、その辺に座りなよ」

「……うん。えっと、美奈子と、話し合いたい。もうこんなことしないでって、伝えたいの」

「は? そんだけ?」

「うん。……連絡、取ろうとしたけど、電話、切られちゃって。お兄ちゃんならどうにかしてくれるかなって」

「はあー……」

 優菜の兄は深いため息を吐いて、優菜の方を見ると馬鹿馬鹿しいとばかりにテーブルに脚を乗せた。

「美奈子にそんなつまらないこと言って、どうするわけ。姫乃にちょっかい掛ける優菜が悪いのに。それに、お前の年齢くらいなら、ヌードの写真くらい残してもいいと思うけど。いいじゃん。逆に思い出になって」

「な、何もそんな言い方しなくても……!」

「むしろ、俺に何を期待してここまで来たの。俺がお前の味方するとでも思った? 俺は助けるとは言ったけど、味方になるとは言ってないだろ。俺の助けるって言うのは、気持ち的に楽になるだろって点だけだから」

「……酷い」

「ってかさ、お前、胸、また大きくなった? 誰かに揉んでもらったの?」

 こんな最低な兄を頼ろうとした自分を、優菜は恥じた。もう不快感しかない優菜は、ここに居ても仕方がないと思い、令のいる車に戻ろうとする。

「おい、そんなに避けなくてもいいだろ。俺は兄としてお前の身を案じてるんだよ」

 優菜は手首を掴まれた。

 嘘丸見えとはこのことを言うのだろう。明らかに兄は優菜に嘘を吐いていた。

 案じている、などと言うのであれば、胸が大きくなっただのと不快なことを言うはずがない。それに、この兄のことだ。不快に思われていることを面白く思っているに違いない。

「お兄ちゃん、手、離して。私、令を待たせてるから、そろそろ帰るね。もし、美奈子に会ったら、もうあんなことしないようにって伝えて。皆の迷惑になってるって」

「は? ……伝えるだけなら伝えてやるよ。どうするかは美奈子に任せるけど。でも、俺にお礼は?」

(……お礼なんて、持ってきてない。どうしよう。令のところに戻りたいのに)

「じゃあ、その優菜の着替えの写真でいいや。証拠と思い出ってことで、取っておいてやるよ」

「……最低!」

(令……!)

 思わず心で令を呼ぶと、外に居た令は優菜の心の声に気がつく。

 建物に入ると、優菜が兄に手を掴まれ、困っていた。

 令は「俺の婚約者に何をしているんだ」と言いながら、兄の手を捻り上げた。

「痛っ! 何するんだよ!」

「お前こそ、優菜の手首を掴んでいただろう。同じことをしたまでだ」

「……どうせお前も優菜を利用するクズだろ。婚約者面しやがって! お前だって、姫乃と一緒になって優菜を遠くから嘲笑ってたの、俺は見てたんだからな! お前ら帰れ! もう来るな!」

「子どもと同じで、癇癪を起こし、その後のことを考えられない馬鹿が。優菜、帰ろう。こいつなんかに頼らなくとも、俺を頼ればいい」

「……そうだね。……さようなら、お兄ちゃん」

 優菜は、もう二度と兄と会おうとは思えなかった。

 だからこそ、最後になるであろうお別れの言葉を言ったのだった。


 令と二人、車に乗ると優菜は令に頭を寄せた。

「優菜、どうした?」

 令が優しく問いかけると、優菜は静かに「しばらく、このままで」と言った。

 きっと疲れてしまったのだろう。令は、優菜の気が済むまで、そのままでいた。

 そして、優菜が満足して頭を離すと、車を発進して自分の家へと優菜を連れて帰る。

「ここ、令の家じゃ……」

「少しくらい、話をしてもいいだろう?」

「……うん。そうだね」

 やはり兄のことがあったからか、どこか暗い優菜を、令は真剣に心配していた。

 そして二人は、令の家へと入って行った。


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