優菜の妹は継母の連れ子で、血の繋がりは半分しかない。父親は女性関係がだらしなく、あちらこちらに手を出して、優菜が知っているだけでも隠し子が何人もいる。だが、それは読んでいた「小説」でも知っていた話。でも、嫌悪感は確かにあった。その手癖の悪さのお陰で、優菜は「妹」や周りに苦しめられていたからだ。
実際のところ、妹とはいい関係ではない。というのも、妹は優菜よりも姫乃に懐いている。だから昔から姫乃のことを助けていて、優菜に嫌がらせばかりをしていたし、自分が一番でなければならないという性格は姫乃から教わったのか、元々持っていたものなのかはわからないが、その性格もあって優菜に強く当たっていた。
もちろん、周りには優菜が悪いという風に見せながら。
「どうにかしなくちゃ……。連絡先、知ってるけど、でも、どうしよう」
優菜は悩みながらも、スマホで電話を入れてみた。
何回かの呼び出し音の後、切られてしまう。
「……ダメか。話し合いがしたいんだけどなぁ。無駄かもしれないけれど。でも、このままじゃ解決出来ないし、八方塞がりだ……」
そういえば……と、兄の存在を思い出した。
兄は実母と父親の子で、血の繋がった実兄だ。もしかしたら、助けてくれるかもしれないと淡い期待を持って連絡を取ってみるのだった。
数回の呼び出し音の後、がちゃりと音がして繋がった。
「はい?」
「あ、あの、お兄ちゃん……。私、優菜です……」
「優菜? ああ、妹の優菜ね。凄い久しぶり。ここのところ何してたの。連絡も寄越さないで、都合のいい時だけ俺の力を借りようとか? そんな感じ?」
「言い方が……。でも、その通り、です」
この兄に、優菜はあまりいい思い出がない。実妹よりも連れ子の方の妹、美奈子を可愛がっていたからだ。
「何、また何かされたとか虚言癖が治ってないの? そういうことなら、電話切るけど」
心底馬鹿にしたように笑われ、優菜は嫌な気持ちがした。
「虚言癖なんかじゃない。本当に、されてるの。お兄ちゃんは、私の言うことなんか何も信じないかもしれないけれど、されてるんだよ。いろいろと」
「ふうん。今、俺機嫌がいいから話聞いてやるよ。一時間三千円ね」
「……払わないよ。そんなの」
ただ家族に話を聞いてもらうだけで一時間三千円も取ろうなんて、どういう神経をしているんだと疑った。
恐らく、本気で言っているわけではないだろうが、ひょっとしたら優菜の性格を知っているからこそ出た言葉かもしれないと思うと、優菜は悲しい気持ちになるのだった。
「ま、払わないとは思ってたけど。で、何。今度は何されたって言いたいの」
「実はね……私、着替えの写真、撮られちゃって、それを指示してたのが、妹だったみたいで……」
「なんだ。そんな話? それがどうしたって? 実害はない可愛いいたずらじゃないか」
男にそんな話は通じないのか、それともこの兄だから通じないのか。それはわからないが、その言葉は明らかに優菜を馬鹿にしたような言い方だった。
「いたずらって……。妹の肌が他人に晒されたっていうのに、随分と酷いことを言うんだね」
「じゃあ、その写真が原因で優菜は酷い目に遭ったわけ? 人にも言えないようなこと、されたってこと? だったら病院行って証拠取っておけよ」
笑いながらそう言われ、優菜は怒りを露わにする。
「なっ、最低! そんなことされてない!」
「だったらいたずらの範疇だろ。実害が出てないんだから」
確かに、実害らしい実害は出ていないかもしれない。だが、心は傷ついている。それに……。
「……盗撮は、犯罪だよ」
「じゃあ、そう言って警察に相談したら? お前の言う着替えの写真、見られると思うけど」
「……酷い」
実兄の言うことではない。むしろ実兄じゃなかったとしても酷いと優菜は思った。きっと他の兄妹はこんな変な会話をしなくても済むのだろうけれど、それでもこの異常事態の中で少しでも頼れるのはこの兄しかいないのだから仕方がない。
だが、いい加減、優菜もこの兄を相手にするのは無駄なように思えてきた。
「大体さ、お前まだあの令と付き合ってるんだろ。それやめればいいだけの話じゃないの? 何、今更金に目が眩んだとか? だとしたらその程度のいたずら、受け入れるべきじゃないの? 女の子達の憧れと一緒にいられるだけ、お前は幸せなんだから。その程度のいたずらで屈するなら最初から付き合わなければいいだけの話だろ」
「付き合ってるんじゃなくて、婚約者ってだけだよ。それ以上でも、それ以下でもない。お父さんが決めた、相手だから……」
「じゃあ、譲れば? 美奈子か、姫乃に」
「なんで、ここで姫乃さんが出てくるの?」
「美奈子が繋がってる人と言えば姫乃くらいだろ。あいつ、他の人間はゴミみたいに思ってるから。俺のことも、お前のことも」
「……」
兄は人を観察する目に長けていた。だからこそ、美奈子の本性を知っているし、それを上手く使う天才だった。そんな兄が、優菜にこう言うのだ。
「なあ、いい加減手を引けよ」
「私だって……そうしたいよ……」
本心でもない気持ちを呟いた。本当は違う。離れたいと思っていたのはついこの間までで、今は、令の優しさを知ってしまったから、優菜は離れるに離れられなかった。でも、生き残るためには、離れなければならない。もう少し、もう少しだけ先にと、先延ばしになることを祈ってしまう。だから、余計に辛くなる。
「あの冷酷なあいつがお前を手離したがらない理由がわからないけどな。お前、何したの」
「何も……。ただ、冷酷な婚約者が、離してくれないだけ。それだけだよ」
(周りからしたら、令は何も変わっていない。優しさを見せるのは私と二人だけの時。だから、冷酷な人という印象は、まだ変わっていない。それだけが、救い。もし別れたら、それを理由に出来る。……私って、最低な女だなぁ)
「……明日、今から言うところに来て。住所、教えるから」
「え?」
「少しだけ、助けてやるって言ってんの。いい? 住所は県内の」
「ま、待って! 今、メモするから!」
慌ててメモ帳を取り出そうとしたが、兄から呆れたといった様子でため息を盛大に吐かれる。
「馬鹿なの? 録音機能使えよ。あとでメモすりゃいいだろ。だから頭の悪いやつは嫌いなんだ。で、場所だけど県内の」
「うん……。うん。わかった。明日、行くね。丁度、休みだから」
そう言うと、兄から冷たくこう言われてしまう。
「そっちはどうだか知らないけど、こっちは仕事があるから十八時以降に来い。じゃあな」
「うん。その、お兄ちゃん。……ありがとう」
がちゃりと、通話を切られた。
明日、何か有益な情報とか、何かが貰えるかもしれない。そう思うと、少しだけ気が楽になった。だが、その前後の時間はどうしたらいいだろう。そう思っていると、令から着信が入る。
「はい。もしもし。優菜です」
「ああ、お疲れ様。明日の休みだが、せっかくだから一緒に二人でどこかに行かないか?」
「! うん! あ、でもお兄ちゃんにも会わなくちゃいけないから、その時間までだけど、いいかな……? 十八時以降に行けばいいから、それまでなんだけど……」
「俺は構わない。しかし、お前の兄って、あいつか? 悪いが、お世辞にもいい兄をやっているとは思えないが……」
「うん。だけど、なんだか協力してくれるって……」
少しだけ助けてやると、確かに言ってくれた。それは間違いない。
「……心配だから、建物の前で待機しているようにする。何かあったら、すぐに呼べ。いいな?」
「うん。ありがとう。本当のことを言うとね、お兄ちゃんに会うの、怖いの……。すぐに馬鹿とか言ってくるし、私のこと快く思ってないの、よくわかるんだもの……」
「……」
「でも、きっとどうにかなるよね! 明日、どこに行こうか!」
「あ、ああ。じゃあ、ドライブにでも行くか。途中、コンビニにでも寄って、飲み物とか軽食を買って、のんびりしよう」
「でも、それだと私寝ちゃうかも……。いいの?」
「いいさ。それだけ信用してくれているということだろう」
「……ありがとう。じゃあ、明日、私の家で待ってるね。来たら、教えて」
「わかった。おやすみ。優菜」
「おやすみなさい。令」
そして通話を切り、優菜はため息を吐いた。
安心と、不安。それらが混ざったため息だった。
明日、どうなるのか優菜は全く想像が出来ずにいた。
あの兄が助けてくれるなんて……という気持ちと、信じたい気持ちがある。
あんな兄でも兄は兄だ。少しでも信じられる存在なら、その方がいい。
何より、亡くなった実母に「仲良くなれた」といつか報告出来るかもしれないから。
「さて、明日の支度をして眠ろう。明日のことは、明日考えればいいんだから」
どんなことになるのか、優菜には全く想像もつかない日になりそうではあったが、優菜はそんな明日の支度をする。
お風呂に入って、パジャマを着ると、背中がピリピリしないことを確認すると、スマホと鏡を使って写真を撮った。すると火傷が綺麗に治っているのがわかった。
もう、令に薬を塗ってもらわなくても済むだろう。
「よかった……」
でも、少しだけ寂しい気持ちもあった。
薬を塗ってもらう時の二人の時間が、優菜は好きだったからだ。
令はどうかはわからないが、優菜は少なくとも自分はその時間が好きだから、寂しさも感じる。ただ、その寂しさはきっと不要なもので、これはいいことなんだと思うことにした。
その方が、きっと正しいから。
「令には、明日お礼を言おう……」
そう呟くと、明日の服装を考えた。薄い茶色に、ドット柄のワンピースにしようか。……でも、少し少女趣味すぎるだろうか。もうこの年齢だから、そろそろやめた方がいいかもしれない。そんなことを思いながら、年齢相応の、でもおしゃれで可愛らしいワンピースを着ていくことにしたのだった。
首元は、兄に何か言われたら嫌だから、やはりスカーフやリボンなどで隠すことにした。
ふと、令とのドライブはデートかな、と思ってしまい、途端に顔に熱が集まった。
嬉しくて、思わず笑顔になってしまう。
「楽しみだなぁ……」
そう思いながら、眠りに就くのだった。