(やっとだ。やっと返事が来た。優菜のことだから、きっとそんなに俺のこと考えてなかったかもしれないけれど、俺は違う。いつも優菜のことを考えていた。いつも、優菜のことだけを——)
そんな真っ直ぐすぎる歪んだ愛情を向けられている優菜はその気持ちに気づかず、普通に陽と接する。
陽はそんな状況に歯痒さを感じながらも、優菜のためになることを自分なりに考えているのだった。
「ごめんね! あの後、メッセージ返してなかったね……。本当にごめん」という優菜の返信があると、陽はすぐにメッセージを書き込む。
「優菜に嫌われたかと思った。俺だって、傷つくんだよ」
優菜は画面の向こうでこのことについて、そんなことないじゃないとくすりと笑っていた。
しかし陽はそうはいかない。本当に心配だった上に、本当に嫌われたと思っていた。だからこそ、自分よりも何よりも大切な優菜を、これ以上あの令には預けておけないと思っていた。
「あの写真のこと、令には言った?」
「まさか……。言ってないよ。言ったら、心配掛けちゃうもの」
「頼られて嫌がる男はいないよ。言ってみたら。それとも、そんなに令って役立たずなの?」
「そういうわけじゃ……。ただ、心配させたくないし、自分で解決したいって思ったの!」
「あれだけ危険な目に遭って、そんなこと言ってる場合かよ」
「それは……」
「あのまま、あの男に好きなようにされてよかったわけ? 写真だって、ばら撒かれたらどうするんだよ」
「……」
「優菜? まさか」
察しのいい陽は、写真がばら撒かれたのではないかと思った。
結果として、写真ではなく画像が社内にばら撒かれたため、それは良くも悪くも、陽の想像と似たものだった。
「隠し撮りされた画像、社内でばら撒かれちゃった……」
そう書かれたが、すぐに送信が取り消される。しかし、その前にしっかりと陽は内容を読んでいた。
「どういうことだよ。それ」
そう打ち込む陽は、怒りで指が震え、嫌な汗を掻いていた。
「……ごめん。忘れて」
「見たものを記憶から消すなんて出来ないよ。どういうことか、ちゃんと説明してよ」
それから優菜は簡潔に、朝出勤したら画像をばら撒かれていたと陽に送った。
「他には? 何かされなかった? されてたら言って。ちゃんと全部言ってくれなくちゃ、嫌だよ」
「……後輩が、敵になったかもしれない。私のこと好きかどうかはわからなかったけれど、でも、誰もいない職場で、脱いでくださいって言われた。断ったし、ちゃんと逃げたよ? だから、大丈夫」
「どこが大丈夫なもんか……」ぼそりと陽は呟く。そして悔しそうに唇を噛み、血が滲んだ。
陽は少しばかり考えると、通話ボタンを押していた。
何度かの呼び出し音の後、優菜の声が聞こえてくる。
「陽? あの……」
「大丈夫……じゃないよね。俺、考えたんだけどさ。やっぱりあの令に優菜を任せておくのはもう出来ない。だって、たったこれだけの時間しか経ってないのに、これだけのことが起きて、あいつは何もしない。そんなの、婚約者って、呼べる?」
「……落ち着いて。元々ね、令は関係ないの。本当に、私が勝手に」
「もしそうだとしても、婚約者のことなんだから、多少はわかってないとおかしいんだよ。それに、勝手に解決しようとしたって言おうとしたんだろうけど、それさえも気づけないようなやつに、俺は優菜を任せたくない!」
「ちょっと、陽! 落ち着いて!」
「俺は、優菜のことが大切なんだよ。だから、これ以上令には預けておけない。俺と一緒に居た方がいい。そうしよ? な? 令には、俺から話をしておくから」
「……待って」
「大丈夫。ファンの子達はなんとかするし、令より守ってやれるから」
「待ってよ。お願い。待って……。そんなに言うなら、まずは、私の家に来たらいいよ。……三人で、話そう」
「……わかった。優菜が、そこまで言うなら。日時はこっちが指定してもいい? 空いてる日が今のところそこくらいしかなくて」
「うん。いいよ」
優菜はそう言ったものの、日時を聞いてさすがに驚いた。明日の夜しか空いていないと言うのだ。
何もそんなに早くなくてもいいのではないかと思ったが、確かにスターと呼ばれる俳優ならばそれだけ忙しいのかもしれない。ならば、こちらが合わせるしかない。
それに、そうでもしないと、令に別れを告げる間もなく連れ去られてしまう気さえしたのだ。
「……ま、そんなことしないよね」
優菜はそう呟いてから、布団を被って眠りに就いた。
陽は近くにあったピルケースから病院で処方してもらった薬を取り出し、水もなしに口に放り込んで飲み込む。
「本当、俺の全部を捨ててでも、優菜と一緒に居られるなら、そうするのに……」
陽はそう言って、悔しそうにベッドを拳で強く叩いた。
翌朝、優菜は令に話があるとメッセージを送ると、迎えに行くと素っ気なく返された。
そして令と一緒に出勤する途中、優菜は昨晩のことを令に話した。
「あのね、令。怒らないで聞いてほしいんだけれど……。昨日、陽と話していて陽を怒らせちゃったんだ。それで、令の話も出てきて」
「? どうしてそこで俺が出てくるんだ」
「その、話の流れで……。私のことを令に預けておけないって、陽が……」
「待て。そういう話の流れになるということは、また、何かあったんだな?」
「……ごめんなさい」
令はため息を吐くと、ちらりと横目で優菜を見た。
「それで、どういう話になったんだ」
「今日の夜、話し合いに、私の家に陽が来ます……。令も来てほしいの」
「それはもちろん行くが、何があったんだ」
「まだ言えないの。そのことについては。だけど、絶対解決するから。解決したら、そしたら話す。それじゃ……ダメ……?」
「……仕方がない。それでいい。とにかく、今晩予定を空けておく。あいつに会って話すためというのが気に食わないが、仕方がないだろう」
「ありがとう。令」
「ただし、これからは何でも話せ。いいな」
「それは……ちょっと、約束出来ない」
「どうしてだ」
「ごめんなさい。言えないの」
優菜は自分の全てを話せるとは思えず、思わずそう言ってしまっていた。
言ってから、嘘でも「うん」とでも言えばよかったと思ったが、もう後悔しても遅かった。
一度出た言葉は呑み込めない。
「……その内でいい。話せるようになったら話してほしい」
「うん。わかった」
そして二人は出勤し、いつも通りに働いた。
優菜は休み時間などに犯人捜しをしたものの、何の収穫も得られずにそのまま終業時間となり、令と自身の家へと帰るのだった。
家に帰ると既に陽が待っていて、その目には怒りの色が窺えた。
「優菜が世話になったな」
まずは令からそう言った。陽はそれに対して「優菜のことについてなら、いつでも歓迎だよ。お前は違うの?」と言う。
険悪な空気が流れる中、優菜が二人を家の中に入れた。
「もう。玄関先で喧嘩なんかやめてよ。ご近所さんに何か言われたらどうするの」
「ごめん。だって、こいつが優菜のこと世話になったって言うから、お前は違うのかって聞いたのに何も言わないから」
「言うだけ無駄だろう。お前には」
「もう、陽も令もやめてよ! 陽は、令に話したいことがあるんでしょ? 令も、話し合いに来てくれたんでしょ?」
二人は機嫌悪そうにソファーに座る。
それぞれ、優菜の隣に。
優菜はなんだか居たたまれなくなって、コーヒーを淹れることにした。
「おい、優菜を守れないで何が婚約者だ」
「そっちこそ。優菜と一緒に居られない時間が俺よりも多いのに、何を言う」
令はそう言うと鼻で笑った。
陽も笑って「お前に相談出来ないことだって、優菜にはあるんだからな」と言うと、令は少しばかり眉を動かす。
「どういうことだ」
「言葉通りの意味だよ。お前には相談出来ないことがあっても、俺には相談してくれてんの。お前がしっかりしてないから、そうなるんだよ。わかったら優菜を俺に渡せよ。大体、昔は姫乃ばかり構ってた癖に、今更優菜を構うって、どういうつもり。俺はずっと優菜しか見てないから」そう一呼吸で言うと、丁度そこへ優菜がコーヒーを持って戻ってきた。
「何々。どうしたの? もう喧嘩……?」
優菜が少しばかり悲しそうな顔を見せる。
「ああ、うん。あまりにもこいつが分からず屋だったからね」と陽が言うと、令は自分が優菜のことを構い始めたのが最近だったこともあり、悔しくとも何も言えないのだった。
「それで、その……コーヒー淹れたんだけど……」
「もちろん頂くよ! 優菜が淹れてくれたコーヒーだからね」
「俺も飲もう」
優菜は困ったなぁと思いつつ、二人の前にコーヒーを置いた。
そしてしばらくの間、気まずい空気が流れる。
優菜が何も話さないため、陽も令も何も言えず、特に令に至ってはどうしてここに呼ばれたのかさえもわからないため、困惑していた。
優菜は仕方がないと口を開く。
「ごめん。陽、説明、お願い出来る? 私、二人みたいに頭がいい方じゃないから、上手く説明出来ないよ……」
「うん。わかった。優菜が望むなら、優菜の望むように話すよ」
そして陽から語られたのは写真の件を伏せられながらも、学生時代からあった優菜の困り事である陰湿ないじめのような行為についてだった。そして、それを話しながら、どうして婚約者のお前がこんなことも知らないんだと段々と感情的になっていくのを陽自身も、令も感じたのだった。
令はそれを聞いて、そんなに酷かったのかと驚くこともあったが、ある程度、予測出来ていたものでもあった。職場であれほどのことがあったのだから、そのくらい、想像するに容易いことだったのだろう。
「それで、俺にどうしてほしいんだ。陽は。俺と優菜の仲のことだ。お前には関係がない」
「はあ? 関係がない? そんなこと通じるはずがないだろ!」
「ふ、二人とも落ち着いてよ」
令と陽はまさに犬猿の仲なのだと、優菜は思い知った。
そして話し合いだったはずのものはさらに言い争いへと加速させていく。
「俺は至って普通だ。優菜に嫌われる要素もどこにもない。令は、優菜の気持ち考えたことある? いつ? どこで? それさえも、最近なんじゃ、説得力がないね」
令は奥歯を噛み締める。確かに言われた通りだ。
だが、絶対に優菜を離さないと決めていたからその婚約者という立場を振りかざす。
「考えるさ。俺はいつだって、婚約者だからな」
陽は目を閉じると、次に目を開けた時、酷く冷ややかな視線で令を見ていた。
「よくそんなことを言えるよね」と……。