「どう見てもこのアングル、更衣室の入り口で隠れて撮ってると思うんだけどなぁ……」
はあ……と優菜はため息をつきながら机に突っ伏す。
そもそも更衣室なんて、その更衣室に普段用のある人じゃないとなかなか近づけない。だから、この更衣室を使っている誰かという線が濃厚。だけど、そうは言っても敵があまりにも多い。
何度も思い知らされたことだが、この世界は小鳥遊姫乃のための世界。
優菜のための世界ではない。だから、姫乃側の人間は団結力も強く、犯人を炙り出すのは難しいと考えた方がいい。
「課長に犯人連れてきますって言っちゃったから、どうしても犯人を特定しなくちゃいけないのに」
頭を抱えながら、パソコンで開いてある自身の画像を恨めし気に見る。
「本当に、一体誰がこんなことを……」
こんなことをしてもメリットがあるとはとても思えなかった。あの姫乃に気に入られるくらいはするかもしれないが、それも紙一重なところがあって、姫乃自身が傷つけられる可能性があるかもしれないと判断したら、姫乃はその人を切って捨てる。だからこういうことは、気に入られようとしているのならば諸刃の剣のはず。それでもしたということは、姫乃から遠い存在なのか、それとも姫乃の命令なのか……。
どちらにせよ、優菜にとっては大ダメージだった。
とは言っても、先に姫乃から火傷を負わせられた時に十分過ぎる程に恥ずかしい思いをしてはいるのだが。
そんなことを考えている時、背後から元気な男性の声がした。
「お疲れ様です。優菜先輩!」
「……っ!?」
あまりに急なことで、優菜は思い切り肩を跳ねさせる。
振り向くと、そこには優菜の後輩の男性社員がコーヒーを二つ持って立っていた。
「優菜先輩、コーヒーどうぞ! あ、ホットじゃなくてアイスでよければですけど!」
ずいっと渡されたコーヒーを受け取らないわけにもいかず、優菜は「ありがとう……」と呟くようにして言って、そのコーヒーを受け取った。
「こんな遅くまで、珍しいですね。どうしたんですか? って、この画像……」
「あ、ごめん。見苦しいよね。今閉じるね」
そう言ってパソコンを操作して画像を閉じる。
後輩は優菜に心配そうな表情を浮かべてこう言う。
「もしかして、犯人探してるんですか?」
「え、そ、そうだよ……。やられっぱなしは、なんか、悔しいから」
「そうですか。そうですよね……。でも、あまり動かない方がいいんじゃないですか? また、皆に目を付けられますよ」
「え?」
「優菜先輩がいいならいいですけど、なんか、変だから。皆」
「……わかるの?」
「うん。皆小鳥遊部長にばかり構ってさ、こんなに可愛い先輩のことは放っておくんだから……」
その後輩は優菜を机と椅子と自分とで逃げ場のない様に閉じ込める。
「や、あの……。怖い、から、退いて?」
「えー、どうしようかなー……。じゃあ、お願い、聞いてくれます?」
「お、お願い……って、何……?」
嫌な予感しかしない。
「ここで、着替えてくれたら退きますよ」
サーっと血の気が引いていくのがわかった。この後輩も、他の加害者達と同じだと、優菜は少しばかりがっかりする。多少なりとも、自分を応援してくれる人が現れたと思ったのにと、残念だった。だが、そう思うと同時に、今度は怖くなってくる。
着替えてくれたらと言うが、絶対にそれだけでは済まないだろう。
「私、あなたの目の前でストリップをする趣味はないから……。早く、退いて。帰るの」
「えー、ここで帰すと思います? いいから、脱げよ。帰るなんて言ってたけど、帰るつもりなんてなかった癖に。最近、令さんに相手にされてるからって調子に乗ってるんじゃないですか? 優菜先輩」
「いいから、退いて。あまりにもしつこくするなら、令にも言うし、警察にも行くから!」
ここで引くわけにはいかない。それに、これくらいのこと、一人でなんとかしなければ……。いつも、令や陽がいてくれるわけではない。それに、二人が優菜を捨てる可能性もあるのだから……。
「ごちゃごちゃ言ってないで、脱いで。ね、優菜先輩。いい子だから出来るよね」
「私は脱がない……! そういうことがしたいなら、そういうお店に行けばいいじゃない!」
そう言って、優菜はその後輩の腹部をヒールで思い切り蹴った。
「ぐっ!」
痛そうに顔を顰めた後輩に、優菜は急いでそのまま更衣室に向かって行き、着替えを持って会社から出ようとする。
あと少しで会社を出られる! そう思って走ったが、手首を痛いほど掴まれてしまう。
「やめてっ!」
「優菜先輩に蹴られた俺も痛かったんですけど。ってか、逃げんなよ!」
「ここ、監視カメラあるのよ! そんなことしたら、あなた、この会社に居られなくなるんだから!」
「もう、そんなことどうだって……!」
「あ、令……!」
優菜がそう言って後輩の背後に向かって明るい声を上げた。
「なっ、令さん……!? クソッ!」
後輩はそう言うと顔を見られないように不自然な動きをしながら会社から出て行った。
(よかった……。疑わない人で)
優菜は、後輩の背後に令などいなかったのに嘘をついていたのだった。
だが、これで敵がもう一人増えたことになる。
優菜はもう今日はこれ以上会社に居ることなど出来ず、制服のまま帰宅することにしたのだった。
帰宅すると、令が玄関前で待っていた。
「優菜、おかえり。……制服のまま、どうした? また、何かあったのか?」
「えっと、ただいま。特に何でもないの。お洗濯しようと思って、面倒だからそのまま着て来ちゃった。とりあえず、中へどうぞ。コーヒーくらいしか、出せないけれど、いいかな?」
「ああ、もちろんだ」
令を迎え入れ、優菜は着替えたり手を洗ったりと支度を終わらせてからコーヒーを淹れた。
なんとなく、先程あったことを話した方がいいのかと悩んだが、令に余計な心配を掛けさせられないと思い、優菜は先程のことは言わないでおくことにした。
「令、今日もお疲れ様でした」
「ああ、優菜もな。どうした? やけに嬉しそうだが」
「ううん、何でもないの。今日はブルーマウンテンなの。やっと入荷したんだって。好きなだけ飲んでね」
「……ああ」
令は優菜が嬉しそうにしていると、自分まで嬉しくなるのだった。
だが、なんとなくそれが自身も関係しているような気がしてならない。それだけに、何があったのかを知りたかったのだが、優菜は恐らく口を割らないだろうと思い、聞かずにいるのだった。
一方で優菜もふと不思議に思っていることがあった。あの画像が、令のところには回ってきていないのは何故だろう……と。あの画像が回ってきていたのならば、令は恐らくもっと優菜に何かしら言葉を掛けていただろうし、それこそ自分から犯人捜しをするはず。それなのにそうではないということは、令のところにだけ画像が入ったメールが届いていないということだろうと、優菜は思うのだった。
実際のところ、令には画像は届いていない。そのため、聞かないという優菜の判断は正しかった。聞いてしまえば何かあったと勘繰られる。そうすれば、優菜はますます会社に居られなくなり、恐らくは辞めさせられていただろう。
(辞めさせられる前になんとかなるといいな……)
今後のことも考え、早く画像について解決させたいと、優菜は思うのだった。
「ねえ、令。お願いだから、会社を辞めろ……なんて、何があっても言わないでね」
そう言って方に頭を預けると、令は優菜の頭を優しく撫でる。
「……あまりに酷い時は言うかもしれないが、お前の意思を尊重しよう」
「うん。ありがとう」
そして優菜はいつものように火傷の薬を塗ってもらうが、いつまで経っても令に素肌を見せるということが恥ずかしく感じられ、顔が赤くなってしまうのを自分自身で感じ取っていた。
「そんなに緊張するな……」
(俺まで緊張してしまうだろう)
そう言う令もまた、緊張してしまう。優菜は背中を向けたまま、小さく「ごめん」と言って薬を塗られるのだった。
そして令が見たところ、火傷は日に日に良くなっているような気がした。
まだ少し赤いところがあるものの、前ほど酷くはない。
「優菜、もう少しで火傷が治りそうだ」
「本当?」
「ああ。こんなことで嘘をついてどうなる。これなら、綺麗に治るだろう。痕も残らないはずだ。……恐らくな」
「そっか。よかった……」
「ありがとう。じゃあ、令ももうすぐ、夜に来ること、なくなっちゃうのかな……。あ、ご、ごめんね。私ったら何を言ってるんだろう……」
優菜がそう言うと、令は口を開く。
「たまに、寄ってもいいか」
「え?」
「また、寄らせてほしい。お前との時間は、その、不快ではない。また、こうして二人でゆっくり過ごしたいんだ」
「令……。もちろん、いいよ。こちらこそ、よろしくお願いします!」
「よかった。ありがとう」
令から「ありがとう」と聞いた優菜は、珍しいこともあるものだと驚いた。
あの冷酷な令から、そんな言葉を聞けるなんて思わなかったのだ。
ましてやあの姫乃ではなく優菜の自分に。
(やっぱり、世界が変わってきている……。令も、変わって……。変わらないのは、姫乃と、あと、陽も……なのかな。どちらにしても、警戒はしておかないと)
「俺はそろそろ帰るからな。また、明日。優菜」
「うん。またね。令」
そして令が帰ると優菜は明日の用意をした。
その時に、荷物に洗った制服を入れる。
(着替えの時は慎重に、怪しまれないように警戒しなくちゃ……。あまりしたくないけれど、犯人は姫乃じゃないだろうから、私自身が囮になって犯人を特定するしか、ないものね)
優菜はそう思いながら、次の日を寝て待とうとした。
「……誰だろう。こんな時間に」
不意にトークアプリの通知音がした。見てみると陽からのメッセージで、優菜のことを酷く心配しているといった内容だった。
そう言えばあの日以来、返信も何もしてなかったと気づき、慌ててメッセージ全てに目を通すことになるのだった。
そのメッセージのやり取りの相手の陽が、どんなことを考え、日々生きているのかを知らずに。