翌日のこと。陽のこともあり、少しだけ気分が良い中でのことだった。優菜が一人で更衣室で着替えをしていると、ロッカーにあるものがあった。
「何? この封筒……。ラブレターなんかじゃなさそうだけど。ちょっと、厚みもある……」
見知らぬ封筒が入れられていた。そしてそれを開けると、そこには優菜の火傷を負った時の上半身が下着の時の姿や、家でのんびり眠っている優菜の姿、通勤している時の姿などの写真がたくさん入っていた。
「やだっ! な、何これ……っ!」
思わず封筒を床に落としてしまう。落ちた瞬間、写真も一緒になってばらばらと床に散乱する。何枚……などという生易しい数の量ではなかった。それこそストーカーではないかというくらい、生活に密着した写真ばかりが入っていて、優菜は気分が悪くなってしまう。
「……一体誰が。私の家を知ってるのなんて、令くらいで、あの姫乃は……知らないはず。じゃあ、本当に誰なの。令がこんなことをするなんてありえない。姫乃は考えられるけれど、でも、自分からこんな危険なことをやりはしない」
小声でそう呟きながら、震える手で写真を回収し、封筒の中に入れ直す。
そして封をしてから自分の鞄の中に入れて他の人達に見られないようにロッカーの鍵を閉めた。
一気に疲れた優菜は、このことを令に報告しようか悩んだが、そこまで相談したら心配させてしまって申し訳ないと思うと同時に、そんなに信頼したら後が辛くなると思い、誰にも相談出来ないと一人思い悩むことになるのだった。
とりあえず、ロッカーに入ることが出来たということは恐らく社内の仕業。犯人を見つけて、早く何とかしなければ。そう思うも、解決の手立てはないのだった。
優菜が気が滅入っている中で自分の席に行くと、机には優菜の名前が記入済みの離婚届が置かれていた。
「誰がこんなこと……。そもそもまだ結婚していないのに」
そう思って周りを見回すと皆パソコンを見ていたり、話していたりと優菜の方を見ようとしない。そんな中で聞こえてきたのが姫乃の明るい声と、取り巻き達の声だった。
「やっぱり姫乃部長の方が令さんとお似合いですよ」
「ううん。この前の、見たでしょう? やっぱり私、令には相応しくないみたい……。でも、仕方ないよね」
出来る限り明るくした、というような声を出す姫乃に、男性社員が大きな声でこんなことを言う。
「そんなことないですって! あれは優菜先輩が何か令さんに仕掛けたんですよ。あー、あれだ。ハニートラップとか!」
それに同調するかのように別の女性社員が続けて行った。
「そうそう。身体だけは女なんだから。きっといやらしいことでもしたのよ。小鳥遊部長の方が明るくて優しくて、人の弱みに付け込まない人なんだから、その内、令さんもわかってくれますよ」
(酷い……。そんなこと、わざわざ周りに聞こえるように言わなくたっていいじゃない。大体、私そんないやらしい女じゃないもの。それに、弱みに付け込んでいるのは、姫乃の方……)
「みんな、やめて。優菜さんは悪くない。それに、優菜さんや他の人達にも聞こえちゃうでしょう? いじめみたいなのがあったら、私、これ以上どうなるか……」
(まるで私がいじめているかのような言い方。本当は逆なのに。どうしてここまでして自分を都合よくして生きていけるの。その下で潰れる私のような存在は、どうでもいいって言うの? でも、恐ろしいのはそこじゃない)
「優菜先輩にいじめられてるんですか?」
「何なら、私が優菜さんに直接言いますよ。彼女とは一応同僚ですし」
「令さんにだって、言えばきっと目を覚ましてくれますよ」
「ううん。令の耳には入れたくないの。令、最近本当に優菜さんのことが大切みたいでね、私の話でさえも聞いてもくれないんだから。でも大丈夫。きっと、いつかわかってくれるから。優菜ちゃんも、令も!」
(そうまでして、私を陥れたいの? どうして? だったら、堂々と婚約破棄してって言えばいいじゃない。そして結婚でも何でもしたらいい。そうすれば、皆幸せになれるでしょ)
そう思った途端、優菜は心の中で令の穏やかな顔が浮かんだ。滅多に見せない安心した顔を、自分には見せてくれた。そんな彼は、本当にこの女と一緒になれば幸せになれるのだろうか。この、自分の都合ばかりを優先する女に。
でも、それで自分の命が助かるのならば……。優菜はそう考えたが、それだと姫乃と変わらないことに気づいた。
本当の意味での幸せとは、生きるということはどういうことなのかと漠然と思ってしまう。
今までの気持ちが、揺らいだのだった。
そして始業時間のチャイムが鳴った時。
「優菜ちゃん、真に受けないでね!」という、明るい姫乃の声が、聞こえた気がした。
昼食の時間、令が優菜に合わせて優菜と一緒に食べるとメッセージを送ってきた。
そのため、近くのコンビニで軽く食べられるパンを選んで買って、令のいる部屋に行くと、令が姫乃と話しているのを偶然聞いてしまう。
「私達、いつか一緒になろうね」
「……まだそんなことを。俺には優菜という婚約者が既にいる。それが答えだ」
「そんなの、向こうがどう思ってるかわからないじゃない。確かに、優菜ちゃんはいい子かもしれないけれど……」
「けれど、何だ。自分の方が優れていて、いい子だとでも? この前のことで、俺は目が覚めたよ。お前が、どんな人間なのか、少しはわかった気がする」
「それって……」
「もう出て行ってくれ。これから、優菜と食事をするんだ。今まで、お前と一緒にしてきた時間と同じ時間、いや、それ以上を優菜と共にする。そうでもしないと、悪いだろう」
「令……いつか、きっと後悔するわ」
優菜は物陰に隠れ、姫乃が部屋から出て去って行ったんを確認すると、令の部屋へと入って行った。
「令、お待たせ……。今、姫乃さんが居たみたいだけれど」
「ああ、あいつのことは気にしなくていい。あいつの周りで言われたことや起こったことは、真に受けるな。いいな。……そのパンを、食べるのか?」
「え、あ、う、うん……」
「っはは!」
その時、初めて令は優菜の前で笑った。
「そ、その、持ち運びが出来る簡単な食べ物ってパンかおにぎりくらいかなって。……そんなに笑わなくてもいいじゃない」
「いや、すまない。なんだか、お前が心配そうな顔をしながらそのパンを持っているのが、なんだかアンバランスでな」
「アンバランスって言われても、でもこれ食べたかったんだもの……」
「悪いな。俺も今度そういうのを買うか。学生の頃に少し食べたくらいで、今じゃ全く食べていないからな」
「確かに、想像出来ないね……。でももっと栄養のあるものを食べた方が」
「最近は栄養があるものも多いだろう」
「そりゃそうだけど」
「……とりあえず、食べるか」
「そうだね。……って、それ」
「サラダだが」
「他には食べないの?」
「サラダだけで十分だ」
「ふふっ。令も、もうちょっといろいろ食べた方がいいよ」
「……ああ、そうかもしれないな」
(優菜が笑った。思えば、俺の隣にいる時に笑ってくれたことなど、あっただろうか……。余計に、手離したくなくなってきた。絶対に婚約を白紙になんかさせない。優菜も俺も、もう、ただの関係には戻れないだろう……)
令は日に日に優菜に対しての気持ちが強くなっていく。それは優菜の思っている関係とは真逆のもので、離してほしいのに離してくれないという状態にまでなっていることを優菜はまだ知らないのだった。
そして昼食を食べ終えた二人は話をするのだが、優菜は朝にあったあの写真のことについて相談しようかと悩んでしまった。
その表情の暗さを見た令はすぐに「何かあったのか?」と聞いた。
優菜は口を開きかけて、すぐに閉じる。
「ううん! なんでもない。ちょっと、眠くなっちゃって……」
「……そうか。だが、何かあったら、すぐに言え」
(助けてほしいけど……助けてなんて、言えないよ)
その心の声が、令に届いた。
優菜が何か助けを求めている。助けてと言えないということは、何か面倒事なのだろうか……と、令は今更ながらに心配するようになった。
「そう言えば、姫乃さんとは、どうなの……?」
「どうと言われてもな。何もないさ」
「……そう。でも、いいんだよ。何かあっても。私は、婚約を白紙にしてもらえたら、その方がいいから」
「そんな言い方はないだろう」
「だって、そうでもしないと……」
(また、優菜は何かを隠している)
令は優菜の心を読もうとしたが、余程心を閉じているのか、読むことが出来なかった。ただ、なんとなく、優菜が長年悩んできていたことのようには思える。
「……令」
「ん?」
「……なんでもない」
そして昼食の時間は過ぎていき、休憩時間は終わりを迎えた。
「優菜」
「え?」
「今度から、ここで一緒に昼を食べよう。そうすれば、何かされる心配もないだろう」
「う、うん。そう、だね……。そうさせてもらおうかな」
(おかしい。冷酷な令が、こんな風に私を心配するなんて。やっぱり、信用しきれない。今までのことが、頭を過って信じきれない。令の心が読めたら、何かわかるのかもしれないけれど……。まあ、そんな能力、あるはずないよね。いくら小説の世界でも)
「それから、今日の仕事の後の息抜き、楽しむといい」
「……! ありがとう、令」
優菜は胸がちくりと痛んだ。