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第十四話

 令と優菜は会社を出て、令が運転する車でどこかへと向かっていた。

「れ、令さん。どこに向かって……。あの、私なら本当に大丈夫ですから。戻って仕事を」

「今から、俺の家に行く」

「え……?」

「人を入れたことは、ほとんどない。あの姫乃でさえも入れていないくらいだ」

 令にとって、人を家に入れるということは大切な存在であると伝える手段だった。だが、優菜からすると突然家に上げると言われても、ピンと来ない。それに、姫乃でさえも入ったことがない家に入ったら、あの姫乃を嫉妬に狂わせるだけだ。

「姫乃さんに、悪いです……」

「どうしてだ。あいつは恋人でも何でもない。ましてや、婚約者のお前が家に来ないということの方が変な話だろう」

「でも、令さんは姫乃さんと一緒になりたいんじゃないんですか」

 思い切って優菜は令に聞いてみたかったことを聞いてたのだった。もし、令が姫乃と一緒になりたいのであれば婚約を白紙にするのが当然だし、もし出来ないというのであればその原因となっているものを一緒に取り去ることも考えられる。きっと、姫乃と一緒になりたいに違いない。そう思って聞いたのだが……。

「いや、姫乃とは一緒になりたいと思わない。婚約者がいるのだから、そんな風に考えたことなど一度もない」

「で、でも私とは一緒になりたいなんて、思ってないでしょう? これまでだって、令さんは……その、優しく、ありませんでしたし……すみません」

「それは悪いと思っている。謝っても取り返しのつかないことだろう。だから、これからのことを考えていきたい」

「……どういうことですか」

「今まで婚約者らしいことを全くしてこなかったからな。遅くなったが、結婚を前提とした恋人になりたい」

「それは、婚約を白紙にしたいと考えている私への冗談か何かですか」

「まさか。俺は冗談が言えないし好きじゃない。真剣にそう思っているんだ」

「……申し訳ないですが」

「最初から受け入れられるとは思っていない。……さあ、着いた」

 そう言って、令は車を高級マンションの駐車場に駐車し、優菜の手を引いて自分の「家」に連れて行く。

「ま、待って。私、やっぱり入れない。入ったら……」

「ほら、入れ」

 背中をぽんと押され、家の中に入れられた。

「……お邪魔します」

 結局、優菜が折れた。

 令の家であるマンションの一室は広く、家具は必要最低限しかないシンプルな家だった。

「適当に座っていろ。何が飲みたい。紅茶、コーヒー。緑茶もあるが」

「コーヒーを、お願いします」

「わかった。ミルクと砂糖は?」

「入れてほしいです」

「……そんな遠慮がちに言うな。このくらいのこと、何でもないだろう」

 そう言いながら、どこか機嫌よさそうに令はコーヒーを淹れ始めた。

「そういえば、優菜は姫乃にいつからああいうことを?」

「ああいうこと、というのは」

「いじめのようなものだろう。あんなこと」

「別に、あのくらいは……。普通です。だから、大丈夫です」

 あれが、普通? と、令は動揺した。とても自分の考える普通に入らないのだが、優菜はこれまでもああいうことをされていたということなのだろう。しかし、優菜は自分から言ったものの、傷ついた顔をしていた。

「全く、大丈夫じゃないだろう。大丈夫なら、どうしてそんなに傷ついた顔をしているんだ」

「傷ついてなんか……。仮に傷ついていたとして、令さんには関係ない。令さんにとっても何のメリットも、ないでしょう」

 そんなことを話していると、コーヒーメーカーから音がした。

 コーヒーが入ると、令は優菜と自分の前にコーヒーを置いてソファーに座った。

「ありがとうございます。でも、私……」

(もう帰らなきゃ、姫乃に何をされるか)

 そう思ったのだが、令は優菜を帰そうとはしない。

「姫乃のことは気にするな。まあ、俺があいつに構いすぎていたことが原因なのはわかる。だが、俺はお前に素直になってほしいんだ。もっと、いろいろ言ってくれていい」

(言ってくれていいって、何様……。私が、前に困ってる時に助けてくれた? そんなの自分で何とかしろって、知らぬ存ぜぬだったじゃない。全部姫乃の言いなりだったのに、今更何なの……でも)

 優菜は揺れていた。最近の令は明らかに自分に優しかった。助けてもくれた。本当に、何かが変わってきているのかもしれない。

 だとしたら、それを信じるというのも道の一つではある。

 ただ、そうすると姫乃の敵に回るという、最も危ない道を歩くことになってしまうが。

「……信じても、いいんですか」

「何を?」

「……あなたを。令さんを、信じてもいいんですか。これ以上、私を騙そうとしているなんて、そんなことないですか」

「……お前も、案外疑うんだな。そうさせてしまったのは俺のせいだろうが。だが、安心してほしい。騙そうとなんてしていない。それは確かだ。大体、騙そうとしている信用できないやつを家に上げたりなどしない」

 もしも、それが本当だとすれば、優菜は初めて令に認められたような、そんな気がした。

「……」

「別に他意はない。それよりも、休もう。疲れているだろう。何なら、しばらく会社を休んでもいい。姫乃がいると、休まるものも休まらないだろうからな……」

「……」

 優菜は令にもたれ掛かった。そしてぼそりと呟く。

「……疲れた」

「そうか」

 優菜の敬語が外れるなど、思ってもみなかった令は、少しばかり嬉しそうな顔をしていた。

「ずっとずっと、檻の中に入れられているような、そんな感じがしてた。誰も助けてくれなくて、ひとりで耐えて……」

 胸の内を少しだけ。ほんの少しだけ令に打ち明けてみる。

「そうだな。……悪かった」

「令には、わからない。わからないよ。きっと」

「すまない」

 優菜は静かに泣き始めた。

(やっと、本音を言えた。少しだけど、言える相手が出来た)

 それでも頭を過る姫乃が、言いたいことを全ては言わせてくれない。

(でも、それでもいい。今までよりは、ずっといい。ただ、いつかは別れなければならない相手だけれど。それに、きっと恋人のようには一生なれない。だけど今だけは……私の助けになってくれている)

 令もそんな優菜の小さな泣き声と心の声を聞きながら思う。

(やっと、助けられた。気づくまで、随分と時間が掛かってしまった。きっと、俺は優菜と姫乃を間違って見ていた。意図的に、姫乃にそう見せられていた。だが、今度からはそうはいかない。今まで、本当に悪いことをしたな……)

 そう思った令は優菜の頭を優しく撫でると、優菜はそのまま令の腰に抱き着いてきた。

「……」

 優菜は気が済むまで泣くと、顔を赤くして令に謝る。

「すみません。取り乱しました……」

「今更敬語なんて使わなくてもいい。あと、俺にさん付けは禁止だ」

「えっ、そんな……」

「いいだろう。そのくらい。婚約者なんだからな。遅すぎたくらいだ……」

「……そう言われちゃうと。うん。わかった……」

(でも、距離なんて詰めるものじゃない。いつかは離れなくてはいけないのだから。悪いけれど、自分が生き残るためなら、私は令を姫乃に渡すくらい、何でもない。そのはず……だよね)

「ところで、明日だが、何か予定はあるか? よければ夕飯でも一緒に」

 その言葉を聞いて、優菜は罪悪感に駆られながら次の言葉を発した。

「明日は……友達と、一緒に遊ぶ約束があって……。すみません」

 陽と約束している日だ。今更約束を破ることなど出来ない。

もし、令に相手が誰かと問われたら正直に言うしかないが。

 そんなことを考えていたら令は優菜の頭を撫でて言う。

「ああ、わかった。たまには楽しんで来い。会社には来るのか?」

「一応、出勤する予定です。夕方から、遊ぶつもりで予定組んでて」

「わかった。あと、敬語」

「あ、ごめんなさい」

 優菜が思わず謝ると、令は穏やかに、それでいてわずかに微笑む。

「……少しずつで、いい」

「うん」

 それから二人は特別な話をしたりはしなかったが、これまでよりもずっと話しやすくなったとお互いに思うようになった。

「あ、いけない。もうこんな時間。家に帰らなくちゃ」

「泊っていけばいいだろう」

 令は簡単にそう言う。

 しかし優菜は……。 

「そうはいかないの。お化粧落としとか必要だし、着替えだってないじゃない」

「……そうか。わかった。送って行こう」

「ありがとう」

 気づけば時間は二十二時を回っていた。

 優菜が家に戻って令と別れると、優菜は急いで明日のための支度をした。

 そして寝る前にスマホを確認すると、陽から何件もメッセージが入っていた。

「ちょっと明日の確認したいんだけど」から始まり、「通話できない?」になっていた。

 慌てて優菜はメッセージで「ごめん! 令の家に行ってたの! すぐ通話しよう!」と送ると、送った瞬間既読が付き、着信があった。

「早い……けど、出なくちゃ」

 優菜が通話ボタンを押すと、陽のイライラした声が聞こえてきた。

「連絡遅い。あいつの家で今まで何してたわけ。まさか、何かしたとかじゃないよね? メッセージ見る余裕もなかったから、そういうこと?」

「ちょ、ちょっと待ってよ。何でそうなるの。本当に何でもないんだよ? ちょっと会社でいろいろあって、話を聞いてもらっただけなの」

 嘘はついていない。だが、陽はまだ疑っているようだ。

「証拠がないでしょ。優菜って、恋愛経験とかなさそうだし、ちょっとしたことですぐ男を信じそう。傷ついてほしくないから言うけどさ、正直令は信じちゃいけない。あいつは自分のためなら何だって騙すし、利用する男なんだからな」

「わかってるよ。……そんなこと、わかってる」

 そう。信じかけていた自分が馬鹿を見るところだった。もしかしたら、令は嘘をついているのかもしれない。そう思った方が、自分は傷つかないし、この後のことを考えると気が楽なはず。そう思っていたのに、優菜は何故だか涙が滲んできてしまった。

「優菜。どうしたの?」

「ううん。なんでもない。……それより、明日、どうしようか」

「迎えに行くよ。たまにはあいつらの面見てやりたいし。それで、優菜にそんな声を出させてる原因は、昔と同じ? 姫乃のせいで合ってる?」

「それは、言えない」

「言えないってことは、合ってるんだね。でも、中身は言わなくてもいいよ。言える時が来るのを、待ってるから。……集合時間は俺も仕事の関係上わからないから、メッセージ入れるよ。迎えに来たよって。そしたら出てきて」

「わかった」

「じゃ、また明日。いっぱい話聞くから、何を話すか考えておいて。と言っても、考えなくてもいいくらい、時間を確保しておくからさ」

 優しいその言葉に、優菜はすっかり安心してしまった。

「……ありがとう。陽」

「うん。じゃあね」

 そして通話は切れた。

 優菜は久しぶりに陽に会うことだし、少しくらいおしゃれしようかなとクローゼットを開いた。

 上品で可愛らしい落ち着いたワンピースがあったため、それを着て行こうと決めた。

 でも、別にそこまで気にしなくてもと思ったが、たまにはこういう風におしゃれをして息抜きをするのも大事だろうと思う優菜。

 ただ、心配していることは会社から出た時に陽と出かけるのを令に見られた時、どうしたらいいのかということだった。

 令も、姫乃とよく出かけているが、自分まで同じようなことをしては……と今更ながらに令に了承を得ればよかったと思うのだった。しかし、令と陽は宿敵同士。絶対にいい返事が聞けるとは思えなかった。

「もし、何かあったら令にごめんなさい、だなぁ……。変な意味でじゃないけれど、デートと間違えられてもおかしくはないし……」

そう思いながら、眠りに就くのだった。

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