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第十話

「! 今、優菜の声が……。行ってみるか」

 令は仕事を途中で切り上げ、優菜がいるであろう食堂に向かって行く。

 食堂に着くと、男性社員を中心に輪が出来ていて、何事かと思いながら令は輪の中に入って行った。

 そこには背中を真っ赤にした上半身下着姿の優菜が座り込んでいた。

 着ていたと思われるシャツはもう着られない状態で、優菜の腕に絡まっているような状態だった。

「誰か氷持ってきてあげて! お水でもいいから!」

 姫乃がそう言った時に、令は姫乃を初めて押し退けて上着を脱ぐと、優菜に今脱いだ自身の上着を掛けた。

「れ、令さん……」

「行こう」

「あ、待って。令! 優菜さん、火傷してるの。だから冷やしてあげなくちゃ……!」

「これ以上、ここで皆に晒し者にするのは、俺が許さない。たとえそれが、姫乃の善意によるものだったとしてもだ。お前だって、女なら優菜の気持ちくらい考えてやれ。他のやつらも。黙って見てないで、上着の一つくらい、貸してやれ! 行こう。優菜。俺の部屋でいいな。冷蔵庫に水もあるから、火傷を冷やすことも出来る。さっさとこの場から去ろう」

「うん……うん……!」

「……」

 立ち尽くす姫乃に、令は一言ぼそりと呟いた。

「悪いが、幻滅した。その行為、恥じるがいい」

「令……」

 令は優菜を抱き上げて、そのまま自身の部屋に連れて行った。

 それを、姫乃は恐ろしい形相で睨んでいたのだった。

「冷たっ……。あ、す、すみません。大丈夫です。びっくり、しちゃって」

「これは、コーヒーだな。こんな熱いものを掛けられて、痛くないはずがない。大丈夫か……」

「ええ……。ありがとうございます」

 令の部屋で、優菜は令による火傷の応急処置を受けていた。

 優菜がここまで酷いことをされたのは久々だった。だから悲しみとかよりも驚きの方が増していたし、皆の晒し者にされたのはとてもではないが許せる気もしない。

 令も、姫乃があんなことをするとはとても信じられなかったが、実際に目にしたものを信じないわけにはいかず、優菜のこれまでの姫乃に対する心の声を、少しずつ、受け入れるしかないと思うのであった。同時に、自分があれほど入れ込んでいた姫乃に対して、残念な気持ちになる。姫乃は優しい人間だったと思っていたのにと……。

「今までも、こんなことを?」

「いえ……そんなことは……」

(こんなこと、たくさんあった。でも、どう訴えようにも皆私の声よりも姫乃を優先するから、言ったところで無駄だった。全てお前が悪いんだろうと、お前のミスだろうと言われて誰も信じてくれなかった。……令も、そうだったのに。どうして今頃になってそんなことを聞くの)

 令は自分のしてしまっていたことに対して、申し訳ないという気持ちがあった。

 優菜はそんな令の気持ちが不思議でならない。令が自分の心を読めるとは思ってもいないのだから、仕方がないこと。だからこそ、令のその心変わりが姫乃の仕組んだことに思えたり、ただの気紛れにしか思えなかったりと、令を信じることが出来なかった。

「嘘を、言う必要はない。俺が言えたことじゃないが……」

「本当に、いじめとか、そんなものじゃないんです。ほら、姫乃さんってたまにおっちょこちょいなところあるでしょう? だから、たまにこういうことがあっただけです。気にしないでください」

(余計に姫乃に目をつけられるようなことは、避けたい。だから、あまり令には動いてほしくない。でも、助けてくれたのは何故……。この間も……。偶然にしては出来すぎている)

 優菜のその心の声が聞こえた令は、正直に打ち明けようとも思ったが、打ち明けたところで信じてくれないだろうし、今後優菜を守ろうと思った時に守れなくなる可能性がある。

 それだけではない。姫乃のことが今、少しずつわかりつつある。もっと確実なものとなってから明かしても、何ら問題はないだろう。そう令は判断した。

「わかった。お前がそこまで言うなら、あまり気にするのはやめよう。だが、あまりにもそういうことが続いたら言うといい。俺からも姫乃に注意してみる」

「……ありがとうございます」

(たった数回、助けただけで、よくそんなことを言えるものだね……。私は、何度も辛い目に遭ってきた。それを、こんなたった数回でチャラには出来ない)

 そう思うと、優菜は心を閉ざし、令にその心の声が聞こえることはしばらくの間はなくなった。

 だが、令はもし、また助けを呼ぶ声がしたら優菜を助けようと考えるのだった。

「今日はもう早退しろ。着替えは、ロッカーだな。外で待っていてやるから、一緒に行こう」

「……はい。でも、課長達に」

「俺から言っておく。その方が角も立たないだろう。酷い火傷を負ったから早退して病院に行くとでも言っておく。診断書の提出を求められたら、俺に出したとでも言えばいい。それで大丈夫なはずだ」

「わかりました。ありがとうございます」

「行こう」

「はい」

 更衣室に行くと、仕事中のため誰もいなかった。鏡を見てみると、確かに酷い火傷ではあったが、この程度なら数日大人しくしていれば治るだろう。まさに不幸中の幸いだと思った。それから優菜は着替えてから、更衣室を出て、令に「上着は今度クリーニングに出してからお返しします」と言ったが、令はそのまま上着を受け取って「いや、大丈夫だ」と言った。

 そしてわずかに切ない表情をして「姫乃が、すまなかった」と言う。

 これまでの令と、今目の前にいる令の明らかな違いを目の当たりにした優菜は、これは現実なのかと自分を疑った。

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